1956年、17歳の時、「復讐のせむし男」で漫画家デビューすると、その後も貸本屋で漫画を描き続け、1958年、高校卒業前には、「少女ブック」に掲載された「舞踏会の少女」で雑誌デビューも果たした、ちばてつやさんは、その後、「ユカをよぶ海」の連載を始めたそうですが、当時、少女漫画で主流だった、主人公が逆境に耐える悲しい話を描くうちにストレスが溜まり、思い切って、イジメっ子をやっつけるシーンを描くと、これが大反響を呼び、以降、元気な女の子を描くようになると、ついに少年誌から声がかかり、「週刊少年マガジン」(野球漫画「ちかいの魔球」)で少年誌デビューを果たしたといいます。

「ちばてつやが若い頃は少女漫画を描いていた!」からの続き

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他の少女漫画を読んで参考にし「ユカをよぶ海」を描いていた

1956年、17歳の時、「復讐のせむし男」で漫画家デビューすると、1958年には、「少女ブック」(「舞踏会の少女」)で雑誌デビューも果たしたちばさんですが、

男ばかりの4人兄弟で育ったちばさんにとって、女の子は異星人のような存在で、女の子の気持ちなど分かるはずもなく、古本屋で少女雑誌を買ってきては、研究しながら描いていたそうですが、

戦争の記憶がまだ残っていたせいか、少女漫画は悲しい話が多く、ほとんどの物語が、不遇な女の子がいじめや社会の不合理に負けず、健気(けなげ)に頑張って、最後に幸せをつかむ、シンデレラのような話や、父親がシベリアから帰らず、母子が苦労する話だったそうで、ちばさんも、それらを参考に「ユカをよぶ海」という作品を描き始めたそうです。


ユカをよぶ海

イジメに耐え続ける主人公にストレスが溜まりイジメっ子をやっつけるシーンを描くと大反響となっていた

ただ、ずっと、悲運に泣きながらも、健気に我慢する女の子ばかりを描いていると、だんだんストレスがたまってきたそうで、ある時、「このまま我慢ばかりさせるストーリーは嫌だ」と、主人公の女の子が、いじめにあった際、逆襲し、意地悪な男の子をやっつける場面を描いたのだそうです。

すると、担当編集者には、「虐められても我慢をするヒロインだから読者が応援するのに、これじゃダメだ」と描き直すように言われたそうですが、

すでに締め切りが過ぎており、描き直している時間がなく、やむを得ずそのまま掲載されると、読者からは、「そんなユカちゃんが大好きです」という手紙がたくさん届いたそうで、ちばさんは、この経験から、人の気持ちや漫画の面白さに男も女もなく、人間はすべて一緒だということが分かったのだそうです。

(ちばさんは、子供にとって、漫画を読むということは、勉強で疲れたり、親や先生に怒られたりして塞(ふさ)ぎ込んだ時に、嫌なことを忘れ、気持ちが明るくなるためのものだと思っていたことから、明るい話を描きたい、暗い話は嫌だと思っていたそうで、そのため、少女漫画は描いていて少し辛かったのだそうです)

「週刊少年マガジン」(野球漫画「ちかいの魔球」)で少年誌デビュー

こうして、「ユカをよぶ海」で、男の子をやっつけるシーンが大反響となったちばさんは、ますます元気な女の子を描くようになったそうですが、ついに、今度は少年誌から声がかかり、1961年には、週刊少年マガジンで野球漫画「ちかいの魔球」の連載を開始したのでした。

ちなみに、ちばさんは運動音痴で野球のことはほとんど知らなかったにもかかわらず、編集部から野球漫画を描いてみないかと言われていたそうで、野球に詳しい人を担当につけてもらい、その人に、ボールとグラブで「これがカーブ、これがフォークボール」なとと、実践しながら教えてもらったのだそうです。


ちかいの魔球

(実は、この頃、ちばさんは、背中の下辺りから赤い虫が這い上がってくる、奇妙な幻影を見るようになったそうですが(後に、椅子に座りっぱなしによる重い神経症だと知ったそうです)、無理やり運動させられたことが功を奏し(寒い日にもかかわらず、キャッチボールをすると、ほんの10分ほどでものすごく汗が出たそうです)、体も気持ちもスッキリし、以来、赤い虫の幻影も消えてなくなったのだそうです)

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「週刊少年マガジン」連載の「ハリスの旋風」がテレビアニメ化されると視聴率31.8%の大ヒットを記録

以降、少年誌と少女誌の二刀流で活動したちばさんは、1963年には、「週刊少年マガジン」で連載を手掛けた「紫電改のタカ」や「週刊少女フレンド」で手掛けた「ユキの太陽」が人気を博すと、


紫電改のタカ


ユキの太陽

1965年には、「週刊少年マガジン」で連載を手掛けた「ハリスの旋風」がテレビアニメ化され、視聴率31.8%を記録する大ヒットとなったのでした。


ハリスの旋風

ちなみに、ちばさんは、少年誌も手掛けるようになったことについて、

デビューから2年ほど少女マンガばかり描いていたので、影響は残りましたね。(少年誌でも)どうしても目が大きく睫毛(まつげ)が長い、ちょっと憂いを含んだ瞳を描いてしまうんです。それがかえって「男として色気がある」と言ってもらえたり。

少女マンガでデビューしたときはどう描くべきか、苦しんだけれど、結果的には貴重な財産になりました。だって世の中の半分は女の人で、物語には母親や恋人、女性がたくさん出てきます。デビューさせてくれて、作家として成長させてくれた、少女マンガには心から感謝しています。

と、語っています。

「ちばてつやは「あしたのジョー」のラストシーンを不満で変更させていた!」に続く

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