2012年に「四代目猿之助」を襲名して以来、歌舞伎の仕事でかかわる共演者やスタッフに、日常的にパワハラやセクハラを行うようになっていたと言われている、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さんですが、それ以外の言動でも、澤瀉屋一門から不満を抱かれていたといいます。

「市川猿之助(4代目)のハラスメントを歌舞伎界全体でもみ消し?」からの続き

Sponsored Link

澤瀉屋一門を離脱後は役に恵まれず、ついには歌舞伎座からお呼びがかからなくなっていた

2003年、猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんが、お父さんの四代目市川段四郎さんと共に、伯父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんの一門(澤瀉屋)を離脱して、フリー(歌舞伎界でどの一座にも加わらないという意味)となった際、大幹部たちは自分の子どもを引き立てるため、猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんは役に恵まれなかったそうですが、

たまに、猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんが大役を務めると、とても上手く、他の役者を食ってしまったそうで、やがては、歌舞伎座からお呼びがかからなくなったそうで、

猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんは、国立劇場を借りて自主公演をしたり、明治座などで自分よりも若い役者を率いて公演したり、NHK大河ドラマ「風林火山」に出たりと、新境地を開拓していたといいます。

伯父・三代目市川猿之助が脳梗塞で倒れ、弟子の市川右近が「猿之助」後継者として浮上していたが・・・

そんな中、同年(2003年)11月、三代目猿之助さんが公演中に脳梗塞で倒れて舞台に出演できなくなったことから、澤瀉屋一門は、市川右近(現・三代目市川右團次)さんをスーパー歌舞伎の主役にして公演を続けると、

右近さんは、三代目猿之助さんが演じていた全ての芝居を演じきり、歌舞伎ファンからも、

(宙乗りしている姿などは)三代目と見間違える

と、絶賛されたそうで、

右近さん自身も、2010年に誕生した長男に、スーパー歌舞伎の演目「ヤマトタケル」から取った「タケル」を命名するほどの熱の入れようで、周囲の期待に応えるべく、澤瀉屋を背負って立つ覚悟ができていたと言われていたのですが・・・

(三代目猿之助さんは、子どもがおらず、甥の猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんも一座から離脱していたため、周囲は「澤瀉屋(おもだかや)」は血縁にこだわらない一門になると期待し、弟子である右近さんが、三代目猿之助さんの後継者(四代目猿之助)になるのでは、と期待が寄せられたそうです)

四代目市川猿之助襲名後、三代目市川猿之助の「スーパー歌舞伎」に出演していた役者は脇に追いやられていた

しかし、フタを開けると、2012年、三代目市川猿之助さんの甥の猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんが「四代目市川猿之助」を襲名。

しかも、猿之助さんが「四代目市川猿之助」を襲名した後は、それまで、先代の三代目市川猿之助さんの「スーパー歌舞伎」で活躍していた役者たちは、脇に追いやられ、主戦場を別の舞台に移さざるを得なくなったのだそうです。

四代目市川猿之助襲名後ほどなくして澤瀉屋一門から離れて自分の活動を優先するようになっていた

しかも、猿之助さんは、襲名からしばらくは、一門を率いた公演をするも、やがては、一門から離れ、自分だけで歌舞伎座に出たり、他の演劇に出たりするようになっていったそうで、

一門は、市川右近(現・三代目市川右團次)さんを座頭として公演するほか、坂東玉三郎さんや市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎)さんを座頭とする公演で脇を固めるなど、別の舞台に出演することを余儀なくされたのだそうです。

Sponsored Link

傲慢さゆえに澤瀉屋一門から恨みを買っていた?

また、猿之助さんは、自身がプロデュースしたスーパー歌舞伎IIの「ワンピース」でも、「澤瀉屋」一門を総出演させたものの、一門以外の若い役者も登用・抜擢し、一門の役者たちにはあまり関心を示さなかったたといいます。

そんな一門の状況に危機感を持ったのか、2016年には、市川春猿さんと市川月乃助さんが新派へ移籍するほか、2017年には、「次期猿之助」と言われるほどの実力を持っていた市川右近さんも、一門を離れて、市川宗家の海老蔵(現・十三代目市川團十郎)さんの仕切りで「市川右團次」という名跡を3代目として襲名し、以後は、成田屋(市川宗家)の公演に多く出るようになったそうで、

(「澤瀉屋」は目に見えて崩壊していったそうです)

座頭(リーダー)でありながら、一門よりも自分を優先した傲慢さゆえに、猿之助さんは、素養、環境、能力がずば抜けていたにもかかわらず、人から恨みを買っていったと言われています。

「市川猿之助(4代目)は従兄弟の香川照之に誘われて猿之助を襲名していた!」に続く

Sponsored Link