浜木綿子さんと離婚して以来、30年以上に渡って絶縁関係にあったという息子の香川照之さんと再会し、親子の溝が徐々に埋まっていったという、二代目市川猿翁(にだいめ いちかわ えんおう)さんですが、当初は、香川さんの歌舞伎界入りに反対していたといいます。

「市川猿翁(2代目)の息子(長男)は香川照之!」からの続き

Sponsored Link

息子・香川照之の歌舞伎界入りを反対し、後継者には甥の市川亀治郎を考えていた

パートナーの藤間紫さんの説得により、浜木綿子さんと離婚後、絶縁状態だった息子の香川照之さんと30年以上ぶりに再会すると、以降、香川さんの長男・政明さんも交え、食事を共にするなど、親子の絆を取り戻したという猿翁さんですが、

それでも、梨園(歌舞伎界)入りを熱望する香川さんに対し、40歳を過ぎて歌舞伎は教えられない、ましてや「猿之助」を名乗らせることはできないと反対し、「猿之助」の後継ぎには、甥の市川亀治郎(四代目市川猿之助)さんを考えていたといいます。

(猿翁さんは、2003年に、パーキンソン症候群を発症して以降、後継者探しをしていました)

息子・香川照之の歌舞伎界入りを許したのは藤間紫の死がきっかけだった

ただ、2009年に藤間紫さんが他界するとすっかり気落ちし、ちょうど同じ頃、香川さんの息子・政明さんを歌舞伎界に入れたいという熱意が、すっと猿翁さんの心に入ったそうで、

このことにより、香川さんの梨園入りを反対していた気持ちが緩まり、香川さんの歌舞伎界入りを認めたのだそうです。

Sponsored Link

襲名発表会見後のフォトセッションでは、前妻・浜木綿子への感謝を口にしていた

こうして、45年間、親子関係を築けなかった父と息子の溝が埋まり、2011年9月27日には、2012年6月に新橋演舞場で行われる「初代市川猿翁 三代目市川段四郎 五十回忌追善興行」において、息子の香川さんが九代目市川中車を、香川さんの長男で孫の政明さんが五代目市川團子を襲名し、初舞台を務めることが発表されたのでした。

(同時に猿翁(当時・市川猿之助)さんが二代目市川猿翁を、甥の市川亀治郎さんが四代目市川猿之助を襲名しました)

ちなみに、2003年に脳梗塞を患って以来、会話が不自由で公の場には出ていなかった猿翁さんも、ひさしぶりに姿を見せると、「四代目・市川猿之助襲名発表」会見後のフォトセッションでは、不自由な口で、

浜(木綿子)さん、ありがとう。恩讐の彼方に、ありがとう、ありがとう。

と、絞り出すように、前妻・浜さんへの感謝の気持ちを述べています。

また、猿翁さんは、「私の履歴書」で、

40数年をへた2012年、息子の九代目中車(香川照之)を介して浜さんと再会することになろうとは夢にも思わなかった。「(息子を)よく育ててくれました。大変だったでしょう、ありがとう」「はい、大変でした」。稽古場で短い言葉を交わした。すべては恩讐のかなただった。

と、綴っています。

(甥の市川亀治郎さんは、かねてより、「ずっと亀治郎のままでいたい」と公言していたほか、結婚もせず子ども(跡継ぎ)を作る気もなかったため、いずれ猿之助(五代目)の名跡は香川さんの息子の市川團子(政明)さんが継ぐということで、香川さんと話をしていたそうで、亀治郎さんは、「四代目」襲名の条件として、あくまで市川團子(政明)さんが「猿之助」を襲名するまでの期間だけという条件を猿翁さんに提示し、猿翁さんもこれを了承。そのうえでの亀治郎さんの四代目襲名だったそうです)


「襲名披露記者会見」より。(左から)市川中車(香川照之)さん、市川團子(香川政明)さん、猿翁さん、四代目市川猿之助さん、四代目市川段四郎さん。

「市川猿翁(2代目)は72歳の時に40代女性との交際が報じられていた!」に続く

Sponsored Link