1982年12月、阪神タイガースに入団すると、1985年、1986年と2年連続の三冠王となるほか、1986年に記録した打率3割8分9厘は、いまだ誰にも破られていない驚異的な成績を挙げ、「史上最強の助っ人」と称された、ランディ・バース(Randy Bass)さんですが、ただ、そんなバースさんも、メジャーリーグ時代はレギュラーになれなかったといいます。

「ランディ・バースは若い頃メジャーリーグでレギュラーになれなかった!」からの続き

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幼少期に足を複雑骨折した影響で全力疾走できず守備に難があった

バースさんは、ロートン高校卒業後の1972年、18歳の時、ドラフト7巡目でミネソタ・ツインズに入団すると、マイナーリーグでは、5年間でホームランを100本打つなどの活躍をしたそうですが、

そのパワーは高く評価されていたものの、幼少期に足を複雑骨折した影響から全力疾走ができず、守備に難があったことから、なかなかメジャー昇格の機会に恵まれませんでした。

(プレー中は膝に装具をつけていたそうです)

ミネソタ・ツインズのマイナーで5年過ごした後メジャーデビューするもウォーニングトラック・フライボールヒッターで出場機会に恵まれなかった

それでも、1977年には、ついにミネソタ・ツインズのメジャーに昇格すると、「ニューヨークからロサンゼルスまで飛ばす男」と言われ、長打力が期待されたのですが・・・

実際には、「ウォーニングトラック・フライボールヒッター」で、さらには、スピードボールが苦手だったことから、9試合しか出場出来ず、2安打、0本塁打、0打点に終わってしまいます。

(ウォーニングトラックとは、外野フェンス手前で芝生の色が変わっていたり、白線が引いてある場所のことを言い、バースさんはそこまでしか打球を飛ばせず、米国の広い球場では柵越えできなかったのだそうです)

カンザスシティ・ロイヤルズに移籍するも出場機会に恵まれなかった

そんなバースさんは、1978年には、カンザスシティ・ロイヤルズに移籍するのですが、ここでもわずか2試合と出場機会に恵まれず、成績は、打率0割、安打数0、本塁打数0、打点0で終わってしまいます。

モントリオール・エクスポズに移籍するも出場機会に恵まれなかった

また、1979年にはモントリオール・エクスポズに移籍するのですが、ここでも、メジャーでの出場数はわずか2試合。しかも、打席に立てたのはそのうちの1打席だけで、成績はまたしても、打率0割、安打数0、本塁打数0、打点0で終わってしまいます。

サンディエゴ・パドレスに移籍しようやく出場機会に恵まれるも成績はパッとせず

ただ、そんなバースさんも、1980年、サンディエゴ・パドレスに移籍すると、ようやく出場機会に恵まれるのですが・・・

1980年は、19試合で、打率2割8分6厘、14安打、3本塁打、8打点
1981年は、69試合で、打率2割1分、37安打、4本塁打、20打点
1982年は、13試合で、打率2割、6安打、1本塁打、8打点

と、成績はパッとしませんでした。

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テキサス・レンジャーズに移籍するも成績は振るわなかった

そして、1982年途中からは、テキサス・レンジャーズに移籍するのですが、やはり、16試合で、打率2割8厘、10安打、1本塁打、6打点で終わってしまったのでした。

「ランディ・バースは当初ヤクルトに入団するはずだった?」に続く

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