阪神タイガースの入団テスト(秋季キャンプの練習に特別に参加)に合格し、1973年、ドラフト6位で阪神に入団した、掛布雅之(かけふ まさゆき)さんは、1年目の1974年は、一軍春季キャンプのメンバーに選ばれず、甲子園で居残り組として練習していたそうですが、練習後は、阪神・武庫川駅の河川敷で電車の車窓から漏れる明かりを頼りに一人練習に励んだといいます。

「掛布雅之はドラフト6位で阪神タイガースに入団していた!」からの続き

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阪神入団1年目は一軍の春季キャンプメンバーに選ばれなかった

1973年、ドラフト6位で阪神タイガースに入団した掛布さんは、1974年2月、入団1年目のキャンプは、高知県安芸市での一軍の春季キャンプメンバーには呼ばれず、甲子園球場での居残り組となったそうです。

(前年リーグ2位だった阪神は内野のレギュラー陣がほぼ固定され、新人選手が割り込む余地がなかったそうです)

甲子園での練習後は、阪神・武庫川駅の河川敷で電車の車窓から漏れる明かりを頼りに一人練習に励んでいた

すると、掛布さんは、甲子園での練習後は、球場横にあった合宿所「虎風荘」で夕食を済ませると、「虎風荘」から自転車で10分ほどの阪神・武庫川駅に向かい、武庫川駅下の河川敷で、(辺りはすでに暗かったため)阪神電車の車窓から漏れる明かりなどを頼りに、ボールの壁当てや、素振り、ダッシュなど、一人で練習に打ち込んだそうです。

砂を入れたビール瓶を振って手首を鍛えたり、湯船で両手を握ったり開いたりして握力をつけていた

また、「虎風荘」に戻ると、砂を入れたビール瓶を振って手首を鍛えるほか、入浴中は湯船で両手を握ったり開いたりして握力をつけたそうで、

掛布さんは、

やろうと思えば、いくらでも練習はできた。1年で烙印(らくいん)を押されたとしても、『他の選手より、これだけ多くの練習をやったんだから』と自分を納得させられれば、悔いは残らないだろうと

と、語っています。

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田淵幸一からの言葉と譲ってもらったバットを宝物にしていた

しかし、初めて一軍の練習を見た時には、周囲の選手が化け物のように大きく見え、特に、三代目ミスタータイガースと呼ばれていた田淵幸一選手は2メートル位に見えたそうで(実際は186センチ)、自分の入る世界ではなかったのではと不安になったといいます。

そこで、ある時、田淵さんに、

こんな小さい体(175センチ)で、プロでやっていけますか

と、尋ねると、

田淵さんは、

大丈夫。プロは小さくても、うまくなれるからおもしろいんだ

と、言って、自分のバットを譲ってくれたそうで、

以来、そのバットと田淵さんの言葉が掛布さんの宝物になったのだそうです。

「掛布雅之は阪神入団1年目は月給7万円で生活が苦しかった!」に続く

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