太平洋戦争前後に外交官を務め、極東国際軍事裁判(東京裁判)で重要な証言をした結城司郎次さんを祖父に持つ、結城アンナ(ゆうき あんな)さんは、司郎次さんの息子であるお父さんと、スウェーデン人のお母さんのもと、スウェーデンで誕生したそうですが、幼い頃は、森で過ごしたり、本を読んだりするのが好きな子供だったといいます。

「結城アンナの祖父は東京裁判で重要な証言をしていた!」からの続き

Sponsored Link

祖母は資産家の娘だった

結城さんの祖母の鶴さんは、資産家のお嬢様だったそうで、1909年、東京日本橋本町の文具商「市川商店」の四女として誕生したそうです。

ちなみに、1908年、鶴さんのお父さんの市川喜七さん(結城さんの曽祖父)は、当時、日本屈指の鉛筆製造所だった真崎鉛筆(三菱鉛筆の前身)と「市川商店」の合併により、「真崎市川鉛筆株式会社」を設立すると、取締役を務めたそうで、直接国税約1000円を納める資産家となったそうです。

(鶴さんは画家として活動していたそうです)

叔母(父親の姉妹)は女優で陶芸家の結城美栄子

結城さんの叔母さん(父親の妹)は、女優で陶芸家の結城美栄子さんで、少女時代を、外交官の父(司郎次さん)と画家の母(鶴さん)と共に海外で過ごすと、いつ頃かは不明ですが、女優を志し、イギリスのロイヤルバレエ団に入団。

その後、俳優座養成所を経て、劇団「雲」に入団し、テレビ、映画、舞台を中心に活動する一方、1984年より陶芸を始めたそうで、「ビバサーカス」「カーニバル」「CLOWNS―道化師たち」など、作品集も出版しているそうです。


結城さん(左)と叔母の結城美栄子さん(右)。

日本人(父親)とスウェーデン人(母親)のハーフ

さておき、結城さんは、外交官だったおじいさん(司郎次さん)の仕事の都合で14歳頃からスウェーデンで育ったというお父さんの弘隆さん(20歳)と、スウェーデン女性のマーゴットさん(19歳)の間にスウェーデンで誕生したそうですが、

幼い頃は、本を読むことや森で過ごすことが好きだったそうで、

結城さんは、

スウェーデンに住んでいたときは家のすぐ近くに森があったので、ベリーを摘んだり葉っぱを拾ったりしてのんびり遊んでいました。

と、語っています。


幼少期の結城さん。

ちなみに、やっちゃダメと言われるとやりたくなってしまう、好奇心旺盛な子供だったそうです。

Sponsored Link

4~5歳の時に初めて日本を訪れていた

そんな結城さんは、4、5歳の時に、初めて日本を訪れたそうですが、実は、お父さんは、おじいさん(司郎次さん)に、マーゴットさんとの結婚を反対され、それまで与えてもらっていた生活費や車、アパートなど支援をすべて打ち切られ、勘当されていたそうです。

(支援を絶たれたお父さんは、マーゴットさんの実家に一家で身を寄せて暮らしていたそうです)

それでも、お父さんは、生まれ故郷の日本が恋しく、何とかして帰りたいと考え、結城さんが4、5歳の時、ついに、日本に帰ることができたそうで、結婚に反対し、怒っていたはずのおじいさんも、孫の結城さんを見ると、大喜びで新しい家族として迎え入れてくれたのだそうです。

(どうしても日本に帰りたかったお父さんは、妻・マーゴットさんと相談した結果、マーゴットさんはスカンジナビア航空で働くことになったそうで、それから数年後に、社員とその家族割りのエアーチケットを使って帰国することができたのだそうです)


(左から)お父さんの弘隆さん、結城さん、お母さんのマーゴットさん。

「結城アンナは15歳の時にスウェーデンから日本に移住していた!」に続く

Sponsored Link