入団6年目の翌1984年には、ナゴヤ球場で行われたオールスターゲーム第3戦で、中尾孝義捕手(中日)とバッテリーを組み、8者連続奪三振を達成した、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、実は、江夏豊投手の9者連続奪三振を抜くべく、10者連続奪三振を狙っていたといいます。
「江川卓は8者連続奪三振(オールスター)を記録していた!」からの続き
あと1球で9者連続奪三振だった
入団6年目の翌1984年には、ナゴヤ球場で行われたオールスターゲーム第3戦で、中尾孝義捕手(中日)とバッテリーを組み、8者連続奪三振を達成している江川さんですが、実は、9人目の打者・大石大二郎選手(近鉄)に対しても、2球連続ストレートで2ストライクに追い込んでいました。
しかし、江夏豊投手と並ぶ9者連続奪三振まであと1球となる3球目、江川さんが投じたボールは、江川さんの最大の武器であるホップする(浮き上がるような)快速球ではなく、外角高めのカーブで、
結果、大石選手にバットに当てられ、打球は篠塚選手の前にゆっくり転がる二塁ゴロとなってしまい、あと一歩というところで、江夏豊投手に並ぶ(9者連続奪三振)ことは出来なかったのでした。
1984年7月24日、オールスター第3戦で8連続奪三振を達成してMVPを受賞した江川さん。
9人目の大石大二郎選手はワンバンのカーブで振り逃げ三振にして、10連続奪三振を狙っていた
この投球に、中尾捕手や大石選手ほか、多くの人が、「ストレートなら三振」と思っていたのですが、実は、江川さんがあえて外角にカーブを投げたのは、ワンバンのカーブで三振を取り、その球を中尾捕手が後逸している間に、大石選手が振り逃げで1塁にセーフとなれば、次の打者を三振に取って10連続奪三振が出来ると考えていたそうで、
江川さんは、試合後、
ぎりぎりのボールを投げるつもりだった(完全に外すのではなく、あわよくば空振りを取りにいっていた)
ワンバウンドするカーブで(中尾捕手が後逸し)振り逃げになれば10連続奪三振ができるじゃないですか
と、語っています。
江川卓は当初、2イニング(4回と5回)の登板予定だった
ちなみに、中尾さんは、名古屋の実況アナウンサー・久野誠さんがMCを務めるYoutubeチャンネルに出演した際、当初、江川さんは、4回と5回の2イニングだけの登板予定も、4回と5回で連続6三振を取ったことから、当時、全セの監督だった王貞治さんが「6連続だったら9連続狙えよ」と言い、3イニング目も登板することになったことを明かしているのですが、
さらには、
江川さんに、3イニング目、マウンドに上がる前、
8連続三振取ったら、9人目ツーストライク後にワンバンのカーブ投げるから、中尾お前、悪いけど、パスボールしてくれ。
と、言われ、
10連続奪三振を狙っていることを理解した中尾さんが、
分かった分かったOK、そういうことな。
と、江川さんの希望を受け入れたことも明かすと、
で、まあ、(8連続三振奪取後、9人目の打者が近鉄の)大石大二郎になります。2ストライクになりました。当然、カーブを投げさせた(というよりも、本人が投げたいと言うから)。真っ直ぐ投げていれば絶対空振りだったと思います。
(カーブを投げました)・・・低めに来なかったんですよ。アウトコースはアウトコースだったんですけれど。(大石選手は食らいついてセカンドゴロ)
結局、ワンバンじゃなくて普通の高さだったんで当てられちゃいました。あれがワンバンで空振りしたら振り逃げで・・・(一塁に出ていた)
と、語っています。
「江川卓は小早川毅彦に2打席連続本塁打を打たれ現役引退を決意していた!」に続く
1984年のオールスターで近鉄の大石大二郎選手に外角高めのカーブを当てられて9者連続三振を逃し、苦笑いする江川さん。