1968年11月12日のドラフト会議で、広島カープから1位指名を受け、相思相愛で広島カープに入団した、山本浩二(やまもと こうじ)さん。今回は、そんな山本さんの入団1年目の成績ほか、デビュー戦、初ヒット、初本塁打などをご紹介します。

背番号27番時代の山本浩二

「山本浩二はドラフト1位で広島カープに入団していた!」からの続き

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広島カープ入団1年目の春キャンプは精神的にきつく10日ほどで発熱していた

1968年、ドラフト1位で広島カープに入団した山本さんは、入団1年目の1969年2月1日、宮崎・日南での春季キャンプでは、新人だったことから、昔ながらの日本旅館の10人の大部屋に入れられたそうですが、

練習に関しては、法政大学時代に松永怜一監督の特訓を体験していたため、特段、きついとは思わなかったそうです。

ただ、精神的にはきつく、キャンプが始まって10日ほど経った頃、発熱したそうで、「知恵熱じゃ」と言われたそうです(笑)

入団1年目でもグラウンドでしっかり練習することができた

また、法政の3年先輩の鎌田豊さんによると、鎌田さんの入団時は、藤井弘さん、大和田明さんといった重鎮がたっぷり打ち込んでいたことから、打撃練習の順番が回って来ず、グラウンドではまともな練習ができなかったそうで、外野後方の山に登って足腰を鍛えていたそうですが、

山本さんの1年目は、比較的、恵まれていたそうで、野手は3つのグループに分かれ、時間は平等に振り分けられていたことから、グラウンドでしっかりと練習することができたそうです。

広島カープ入団1年目の山本浩二
広島カープ入団1年目のキャンプでの山本浩二さん。

デビュー戦は3打数無安打1四球でノーヒットだった

そして、オープン戦の遠征では、新人は道具運びを命じられたそうで、山本さんはヘルメット係だったそうですが、球場に着くと、法政大学の先輩がいたら挨拶に行かなければならないことから、選手名簿でチェックして、挨拶に行くなど、初めての経験ばかりだったそうですが、

そんな中、オープン戦では調子が良く、まずまずの成績だったそうで、4月12日の開幕戦(中日戦)は、いきなり、6番・センターで起用されたそうです。

ただ、結果は、3打数無安打1四球で終わり、デビュー戦で初ヒットとはいかなかったそうです。

(ちなみに、初打席の初球は、絶対振ろうと思っていたそうで、空振りだったそうです)

初ヒットは?

それでも、翌日の4月13日、中日とのダブルヘッダー第1試合では、4回、田中勉投手から、それほどいい当たりではないものの、左前安打を放って、(プロ6打席目で)初安打を記録すると、

守備でも、7回一死、三塁という場面で、中日・木俣達彦選手が右中間に打った打球を、ライトの山本一義選手が捕球体勢に入っていた前で捕球し、振り向きざま、本塁へノーバウンド返球すると、タッチアップしていた三塁走者の江藤慎一選手を本塁の2~3メートルも前でアウトにしたそうで、

この時、広島市民球場のスタンドがウワーッっと沸き、山本さんは、広島カープの一員になったことを実感したのだそうです。

広島カープ入団1年目の山本浩二
広島カープ入団1年目の山本浩二さん。

プロ1年目は打撃はパッとしなかった

そんな山本さんは、プロ入り1年目の1969年は、最終的には、120試合に出場し、打率2割4分、12本塁打、40打点で(ギリギリだったものの)規定打席には達しているのですが、大学とプロの違いを痛感し、このままではダメだと思ったそうです。

(打順は6番から始まって、終盤は3番が多かったそうですが、定着したわけではなく、1番から9番までの全ての打順を経験したそうです)

一方、守備に関しては、ある程度試合に出ることができたことから自信がついたそうです。

(それでも年俸が月10万円上がり、180万円から300万円になったそうです)

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初ホームランは開幕から1ヶ月以上経った101打席目ながら2打席連続ホームランだった

ちなみに、この年(1969年)、山本さんが初めて打撃で活躍したのは、4月26日の広島市民球場での巨人戦だったそうで、初回2死満塁、カウント・ツーナッシングの場面で、堀内恒夫投手が投じた外角高めのボール球を右中間へ先制二塁打を放ったそうです。

また、初ホームランは開幕から1ヶ月以上経った5月14日の県営富山野球場での巨人戦だったそうで、6回、プロ101打席目に、高橋明投手からレフトへ2ラン、9回にもレフト場外へ2打席連続ホームランを放ったのだそうです。(ただ、チームは7対8で負けたそうです)

「山本浩二の広島入団2年目は野球漬けの日々を送っていた!」に続く

背番号27番時代の山本浩二
背番号27番時代の山本浩二さん。

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