1977年から1983年の7年で、5年連続40本塁打100打点を含む283本塁打744打点、4度の本塁打王、3度の打点王と、素晴らしい成績を残した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、1984年には、通算2000本安打(大学出身者としては3人目)、1985年には通算500本塁打(NPB史上4人目)と通算200盗塁を達成しています。
「山本浩二は古葉竹識監督にプライドを刺激され上手く操縦されていた!」からの続き
山本浩二は1984年には通算2000本安打を達成していた(大卒では3人目(当時))
山本さんは、1984年5月5日の巨人戦、4回表、槙原寛己投手から左前打を放って通算2000本安打を達成し、名球会入りを果たしているのですが、
ON(王貞治さん・長嶋茂雄さん)をはじめとする錚々(そうそう)たるメンバーに加われて素直にうれしかったそうです。
(名球会の入会資格は、日米通算2000本安打、200勝、250セーブのいずれかを達成したプロ野球選手とされているのですが、当時、大卒選手で名球会入りを果たしていたのは、長嶋茂雄さんと村山実さんのわずか2人で、そこに山本さんも加わったのでした)
1984年5月5日、2000本安打を達成し花束を贈呈される山本さん。
山本浩二は1984年オフには王貞治を抜く球界最高の推定年俸8500万円で契約更改していた
そんな山本さんは、以降も、
- オールスターゲーム第1戦、1回に松沼雅之投手から、オールスター戦通算13本目(王貞治選手と並ぶタイ記録)となる3点本塁打し、優秀選手賞を獲得
- 8月15日のヤクルト戦、1点ビハインドで迎えた6回一死満塁の場面で大川章投手から通算10本目の満塁本塁打
- 8月19日の阪神戦、1回一死満塁の場面、中西清起投手からシーズン3本目となる満塁本塁打
- 10月4日の大洋戦(横浜)、2点を追う6回無死一三塁の場面、関根浩史投手から逆転で決勝打となる3点本塁打
- 阪急との日本シリーズ第1戦では、3回裏に山田久志投手から同点適時打、第3戦では、2回表に佐藤義則投手から先制ソロ、第4戦では、9回表に山田投手から決勝適時打し、日本一に大きく貢献
などの活躍で、
同年オフの12月11日には、王貞治選手(現役最終年の1980年当時)を抜く球界最高額となる推定年俸8500万円で契約を更改しています。
山本浩二は1985年には通算500本塁打を達成していた(当時NPB歴代3位)
そして、山本さんは、翌1985年7月26日の中日戦では、杉本正投手から本塁打を放ち、通算500本塁打を達成しているのですが、
当時、NPBで通算500本塁打を達成していたのは、王貞治さん(868本)と野村克也さん(657本)のわずか2人で、山本さんはここに加わり、NPB歴代3位の本塁打数となったのでした。
1985年7月26日、500本塁打を達成し花輪を贈呈される山本さん。
また、山本さんは、この年、通算200盗塁も達成しています。
(NPB史上、500本塁打&200盗塁は、山本さん、張本勲さん、衣笠祥雄さんの3人のみ)
山本浩二の通算536本塁打はNPB歴代4位
ちなみに、その後、門田博光さんが本塁打を量産し、山本さんは、NPB歴代4位となっているのですが、それでも、2024年現在、通算500本塁打を達成しているのは、以下のたった8人で、いかに山本さんが凄かったかが分かります。
山本浩二は1986年4月は打率3割7分7厘、8本塁打、19打点を記録で月間MVPを獲得していた
そんな山本さんは、1986年も、4月には、打率3割7分7厘、8本塁打、19打点を記録して、月間MVPに選出されるほか、
8月10日の中日戦では、1回、桑田茂投手から3点本塁打し、13年連続20本塁打を達成、
9月11日の中日戦では、2対2の同点で迎えた延長11回、無死無走者の場面で、杉本正投手からサヨナラ本塁打するなど(39歳10か月でのサヨナラ本塁打は球団最年長記録)の活躍で、広島カープの5度目のリーグ優勝に貢献しています。
「山本浩二は引退年の日本シリーズで起死回生の本塁打を打っていた!」に続く