15歳の時、家出してゲイボーイになると、18歳の時には、もっと女性らしい丸みを帯びた体になりたいと、当時、薬局で売られていた女性ホルモンを自分で打ち始めたという、カルーセル 麻紀(カルーセル まき)さんは、30歳の時、ついに、当時、日本ではまだ行われていなかった性転換手術(性別適合手術=男性器除去及び造膣)をモロッコで受けたそうですが、手術後は患部が化膿するも医師は相手にしてくれず、自分でメスを持って処置し、なんとか回復するも、帰国後はマスコミだけではなく仲間内からも酷い誹謗中傷を受けたといいます。
「カルーセル麻紀のデビューからの出演ドラマ映画CM写真集を画像で!」からの続き
カルーセル麻紀は19歳の時に睾丸摘出手術(去勢手術)を闇医者から受けるも完全な女性の身体を手に入れたいと思っていた
18歳の時から女性ホルモンの注射を打ち始めたというカルーセルさんは、19歳の時には睾丸摘出手術(去勢手術)を闇医者から受けていたそうですが、
女になって愛される歓びを味わいたいという欲望はもちろんのこと、それ以上に、完璧な美でストリップショーをしてお客さんたちを喜ばせたいという気持ちが強くなっていたそうで、いつかは完全な女性の身体を手に入れたいと思いを募らせていたそうです。
(当時はまだ、日本で性転換手術(性別適合手術)は行われていませんでした)
カルーセル麻紀はモロッコで性転換手術(性別適合手術)を受けるためパリに渡っていた
そんな中、カルーセルさんは、フランス・パリのクラブ歌手のコクシネルという人がモロッコで性転換手術(性別適合手術=男性器除去及び造膣)を受けて男性から女性に生まれ変わったということをニュースで知ったそうですが、
ちょうど、同時期に、若い頃にお世話になった銀座のゲイバー「青江」のママから、パリのポンヌフという所に日本人が新たにゲイバーをオープンするのでママをやらないか、という話を持ちかけられたそうで(「青江」の姉妹店をオープンするという話も)、
これは性転換手術(性別適合手術)を受けるチャンスと、二つ返事で快諾したのだそうです。
(モロッコは、日本からは遠すぎますが、パリからだと比較的近いことから)
ちなみに、ゲイバー「青江」の同期で、赤坂のゲイバー「ニュー春」を経営する春駒こと原田啓二さんは、その時のカルーセルさんについて、
まだ男性が女性になることが考えられない時代に、神を冒涜(ぼうとく)するとか頭がおかしいとか言われていたわ。
“人間の急所をいじったりして、あんた死んじゃったらどうするの?”と言っても、それでもいいの、私は女になるのと。あの女はね、けっこう気が強いから、決めたら誰の言うことも聞かないのよ
と、語っています。
カルーセル麻紀はモロッコで性転換手術(性別適合手術)を受けるも傷口が化膿し生死の境をさまよっていた
こうして、1972年4月からパリで働き始めたカルーセルさんは、同年10月(30歳)には、ついに、性転換手術(性別適合手術=男性器除去及び造膣)をするため、モロッコのカサブランカに渡り、病院で150万円支払ったそうですが、何の調べもないまま、紙切れ1枚で手術室に入ったそうです。
そして、手術は、残されていた男性器と肛門の間に穴を開け、造膣するものだったそうで、内部臓器を除いた陰茎の表面を大陰唇および小陰唇、陰嚢皮膚は膣壁とし、尿道口は陰茎の根元に形成したそうですが・・・
麻酔がきつ過ぎたせいで、手術後は3日間意識が朦朧(もうろう)とした状態となり(3日後に麻酔から目覚めたという話も)、さらには、傷口が化膿して、40度近い高熱と気絶しそうなほどの激痛に見舞われたそうで、
通常であれば1週間程度で退院できるところ、カルーセルさんは40日間入院して生死の境をさまよったのだそうです。
カルーセル麻紀は性転換手術(性別適合手術)で化膿した傷口を自分でメスを持って処置していた
しかし、どんなに医師に訴えても、「サヴァ、サヴァ(大丈夫、大丈夫)」と言って、相手にしてくれなかったそうで、
カルーセルさんは、看護師にお金を渡してオペの道具を持ってきてもらうと、なんと、自分でメスを持ち、股間から化膿した皮膚を引っ張り出して切り取り、ガーゼを詰めたのだそうです。
ちなみに、カルーセルさんは、その時のことについて、
切羽詰まって生き延びようと思ったら、人間、どんな痛みにも耐えられるのよ。でも、今思い出すと、ゾッとするけど。
人間生きようと思えばなんでもできるのね。皮膚の感覚と性感帯は残されたの。それはドクターに感謝しているわ!
と、語っています。
(モロッコの病院では、医療ミスでどうにかなったとしても、自業自得とあきらめるしかない状況だったそうで、実際、麻酔のミスで亡くなった人たちも大勢おり、カルーセルさんやゲイ仲間たちは、神の審判を受けるような覚悟で手術に臨んだのだそうです)
カルーセル麻紀はモロッコで性転換手術(性別適合手術)を受けたことで日本のマスコミから人造人間と書き立てられていた
こうして、なんとか回復したカルーセルさんは、1974年8月5日に帰国したそうですが・・・
マスコミからは、「人造人間」などと書き立てられるほか、仲間内でも、生まれ持った性を変えるなんて悪魔に魂を売ったようなものだ、人でなし、と陰口を叩かれたそうです。
カルーセル麻紀は美輪明宏の言葉で救われていた
しかし、美輪明宏さんだけは、
あんたはこれから魔女として生きて生きなさい。今まで女を泣かせてきた男たちを、今度は片っ端から泣かせておやり
と、言ってくれたそうで、
カルーセルさんは、その言葉が、「魔性の女・カルーセル麻紀」の信念になっているのだそうです。
カルーセル麻紀は今でも手術後初めてのショーで味わった喜びを忘れていない
ちなみに、カルーセルさんは、手術後、初めてのショーで味わった喜びは今でも忘れられないそうで、
(性転換手術をして良かったことは完全に女性になったことか、との問に対し)それはもちろん、生まれてからずっと、そうなるために生きてきたようなもんだから。
でもそれ以上に、今までショーに出るときはいつもガムテープで前張りしてたのが、しなくてもよくなったことが嬉しかった。
水着もレオタードも紐付きパンティも何でも来いよ。それに、邪魔な突起物がなくなったおかげで踊りやすくなったし、パフォーマンスの幅が広がったわね。
だから、手術に挑んだ自分の本心としては、女として愛されたいというよりも、ダンサーとしてもっと上手く踊りたいプロとしての情熱、執念、野心の方が大きかったの。
と、語っています。
(カルーセルさんが性転換手術(性別適合手術)をした1970年代は、性的少数者や性転換手術(性別適合手術)に対して、今以上に強い偏見や差別がありました)
「カルーセル麻紀は戸籍上も女性になるも屈辱的なチェックを受けていた!」に続く