オリックス入団3年目の1994年、20歳にして、首位打者、最多安打(当時のNPB記録)、最高出塁率を記録し、MVPに輝いたイチローさんは、翌1995年には、首位打者、最多安打、打点王、盗塁王、最高出塁率のタイトルを獲得して、前代未聞の「打者5冠王」でオリックスを優勝に導き、2年連続でMVPに輝くと、1996年も、首位打者、最多安打、最高出塁率を獲得するほか、9月23日の日本ハム戦では、優勝決定サヨナラ打を放って、オリックスを連覇に導き、3年連続でMVPに輝いています。
今回は、そんなイチローさんが特に凄まじかったと言われている、オリックス時代の1995年と1996年の活躍をご紹介します。
「イチローと仰木彬監督の出会いは?「仰木マジック」の本当の意味とは?」からの続き
イチローは1995年は日本プロ野球史上初となる打点王と盗塁王の同時受賞を含む打者5冠王となっていた
イチローさんは、オリックス入団4年目の1995年には、21歳にして、打率3割4分2厘、25本塁打、89打点、49盗塁、179安打、出塁率4割3分2厘の圧巻の成績で、首位打者、最多安打、打点王、盗塁王、最高出塁率のタイトルを獲得する、前代未聞の「打者5冠王」の活躍で、オリックス・ブルーウェーブを優勝に導き、2年連続となるシーズンMVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、正力松太郎賞も受賞しています。
(打点王と盗塁王の同時受賞は日本プロ野球史上初で、現在も更新されていません。また、全試合フル出場での首位打者は王貞治さん(1969年)に続く史上2人目の快挙でした)
イチローの1995年のバッティングが凄すぎる
そんなイチローさんの1995年のバッティングについて、
河村健一郎のコメント
イチローさんと共に”振り子打法”を作り上げた河村健一郎さんは、
この年はバッティングの形が本当に良かったんだよね。アメリカに行ってからは、ボールに当てに行く、内野安打の多い打ち方だったけど、’95年は芯を食った、キレイなヒットがとくに多かった印象がある。
と、語っています。
岩本勉のコメント
また、イチローさんと何度も対決したことがあったという岩本勉さん(当時・日本ハムの投手)は、
この年のイチローは、左方向の打球が強くなったのを感じました。グッと踏み込んで、我慢してからでもレフト方向にガチンとライナーを打つ。バッティング練習ではパワーのある外国人選手よりもスタンド中段、上段に飛ばしていた。ホームランだけ狙えば余裕で30本は打てた。
と、語っています。
(イチローさんは、二軍にいた時から、飛距離を出していたそうですが、体はまだ細く、一軍では、力んで飛ばそうとすると打てなかったそうです。ただ、1995年頃には、体ができてきたことから、無理をしなくてもホームランを打てるだけの技術が身についたのだそうです)
本塁打王、首位打者、最多安打、打点王、最高出塁率のタイトルでの「5冠王」は過去5名
ちなみに、首位打者、最多安打、打点王、盗塁王、最高出塁率のタイトルでの「5冠王」は、イチローさんだけですが、
本塁打王、首位打者、最多安打、打点王、最高出塁率のタイトルでの「5冠王」は、過去5名います。
- 1973年 王貞治 打率3割5分5厘、51本塁打、114打点、152安打、出塁率5割
- 1982年 落合博満 打率3割2分5厘、32本塁打、99打点、150安打、出塁率4割3分1厘
- 1985年 ランディ・バース 打率3割5分、54本塁打、134打点、174安打、出塁率4割2分8厘
- 1986 ランディ・バース 打率3割8分9厘、47本塁打、109打点、176安打、出塁率4割8分1厘
- 2004年 松中信彦 打率3割5分8厘、44本塁打、120打点、171安打、出塁率4割6分4厘
いずれも、凄まじい記録です。
イチローは1996年には、優勝決定サヨナラ2ベースを放ち、オリックスを連覇に導いていた
さておき、さらに、イチローさんは、オリックス入団5年目の1996年には、打率3割4分2厘、16本塁打、84打点、35盗塁、193安打、出塁率4割2分2厘の成績で、首位打者(3年連続)、最多安打(3年連続)、最高出塁率(3年連続)のタイトルを獲得しているのですが、
チームも、前半戦、首位の日本ハムを追い2位で終え、8月半ばから驚異的な追い上げを見せて首位に立つと、優勝マジック「1」として迎えた1996年9月23日、
(オリックスが勝てば優勝という試合でした)
グリーンスタジアム神戸(現・ほっともっとフィールド神戸)で行われた日本ハム戦では、1点を先制されるも、2回、高橋智選手の2ランで逆転に成功(2対1)。
ただ、その後、日本ハムに再び逆転されるのですが、6回には、岩本勉投手からイチローさんが同点弾を放って試合を振り出しに戻します(3対3)。
そして、7回には田口壮選手、大島公一選手が適時打を放って勝ち越しに成功するのですが(5対3)、8回には、3点を失ってまたしても逆転を許し、5対6に。
しかし、9回裏2死無走者の土壇場で、代打のD・J選手が起死回生の同点弾を放って6対6とし、試合は延長線にもつれ込みます。
そして、延長10回、先頭打者の大島公一選手が右前安打を放ち、無死一塁という場面で、イチローさんに打席が回ってくると、イチローさんは、初球をファウルしたあと、島崎毅投手の2球目をとらえて、左翼線を破る一打を放ち、レフトのデューシー選手がクッションボール(外野手の間を抜け、フェンスに勢いよく当たり跳ね返ってきたボールのこと)の処理に手間取る間に、一塁走者の大島選手が一気に本塁へと生還。
イチローさんの劇的なサヨナラ勝ちで、オリックスはパ・リーグ連覇を決めたのでした。
(これは、イチローさんがプロ入り後、1472打席、605安打目にして、初めて記録したサヨナラ安打でした)
イチローは1996年の優勝決定後は大喜びして飛び跳ねていた
ちなみに、イチローさんは、二塁ベースを回ったところで、勝利を知ったそうで、空中高く2度にわたってジャンプすると、たちまちナインの歓喜の輪が広がっているのですが、
イチローさんは輪の横に飛び出すと、オリックスファンで埋まるライトスタンドに向かって、右手を突き上げて、再びジャンプ。
イチローさんは、試合後、
まだ22年間しか生きてませんけど、初めての気持ち。最高というものを通り越したものです。(ライトスタンドに向かって飛んだのは)喜んでくれるファンの気持ちがすごく伝わってきて、僕たちだけで喜んじゃいられないと思ったら、そうなってて。
と、興奮冷めやまぬ中で、喜びを語っています。
(その後、オリックスは、読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズでも、4勝1敗でジャイアンツを下して日本一に輝き、イチローさんも、3年連続でMVPを獲得しています)
「イチローはメジャーで10年連続3割200本安打(MLB史上初)を達成していた!」に続く
1996年、優勝決定サヨナラ打を放ち、大喜びして飛び跳ねるイチローさん。