1986年に「あぶない刑事」でブレイクすると、以降、サスペンスからコメディまで、様々なジャンルのテレビドラマや映画に出演し、人気を博している、仲村トオル(なかむら とおる)さんですが、
中学時代には、野球選手になる夢を断念するほか、公立高校の受験にも失敗し、自身を失い、無気力・無感動で過ごす中、大学入学直後には、お父さんが亡くなってしまったといいます。
今回は、そんな仲村トオルさんの、生い立ち(幼少期から大学時代)をご紹介します。
仲村トオルのプロフィール
仲村トオルさんは、1965年9月5日生まれ、
東京都大田区の出身、
身長185センチ、
血液型はA型、
本名は、中村亨(読み方同じ)、
学歴は、
流山市立八木南小学校
⇒流山市立東部中学校
⇒専修大学松戸高校
⇒専修大学文学部卒業
特技は、乗馬、スキューバダイビングだそうです。
仲村トオルの幼少期は関東で関西弁を話していたことからコミュニケーションを取ることが苦手だった
仲村トオルさんは、サラリーマンのお父さんのもと、3人きょうだい(2歳年上の兄と妹)の真ん中として、東京都大田区に誕生するのですが、
0歳の時に大阪府寝屋川市に引っ越し、幼稚園に上がる前に神奈川県川崎市に引っ越したことから、神奈川県川崎市では、「アホちゃうか」「あかんがな」など、コテコテの関西弁を話していたそうで、
幼稚園では異端児扱いされ、そのせいで、小学2年生まで、人とコミュニケーションを取ることが苦手だったそうです。
(小学1年生ぐらいまでは、「何か(自分のことが)伝わらないなあ」と思っていたそうです)
幼少期の仲村トオルさん。
仲村トオルの小学生時代はドッジボールで活躍したことで認められ上手くコミュニケーションが取れるようになっていた
そんな仲村トオルさんは、小学校3年生の時には千葉県流山市に引っ越すと、転校先の小学校では、窓の外ばかり見ていたそうですが、
やがて、クラスメイトに誘われてドッジボールに参加し、クラスで1番目、2番目に上手な子たちを続け様に当てると、「ドッジボールうまいね」などと話しかけられたそうで、この出来事がきっかけで、うまく人とコミュニケーションが取れるようになったのだそうです。
(それまでは、「それは違う」と否定されることが多かったそうですが、ドッジボールの件で、認められたと感じたそうです)
仲村トオルは小学5年生の時の担任の先生との出会いで人とコミュニケーションを取れるようになっていた
また、仲村トオルさんが、人とうまくコミュニケーションをとれるようになったのは、ドッジボール以外にも、もう一つ、小学5年生と6年生の担任の先生との出会いも大きかったといいます。
その担任の先生は、当時20代半ばぐらいで、授業が独特でとてもおもしろかったそうで、
国語の時間には、教科書に載っている小説を数ページだけ読ませて、その続きを自分たちで考えさせ、次に、それぞれが書いたものの中から班ごとに一番おもしろいストーリーを選んで、それをベースにした劇を作る、ということをし、土曜日の放課後には発表会まであったのだそうです。
また、先生は、クラス新聞のようなものを発行し、その新聞の一角で、ボブ・ディランさん、吉田拓郎さん、井上陽水さんなどの詞を紹介してくれたそうで、
小学生が詞の内容を全て理解できたわけではなかったそうですが、世の中にはまだまだ分からないものがたくさんある、ということを教えてくれた先生だったのだそうです。
とはいえ、仲村トオルさんは、当時、プロ野球選手になりたいと思っていたため、先生の影響で演じることや表現することに興味が沸いた(俳優を目指すように)訳ではなかったそうです。
(この先生とは現在も交流があり、コロナ禍前までは何年かに1度はクラス会で会っていたのだそうです)
仲村トオルの中学生時代はプロ野球選手になりたいと考えていたが3年生の時に断念していた
仲村トオルさんは、中学時代には野球部に所属し、将来はプロ野球選手になりたいと真剣に考えていたそうですが、やがて、小学校時代から一緒にやっていた、一番野球がうまいと言われていた友人との実力差がどんどん開くのを感じるようになっていったそうです。
(仲村トオルさんが通っていた中学校は、校舎がホームベースから80メートルくらいのところにあり、校舎にぶつかればホームランとしていたそうで、仲村トオルさんは、バッティング練習でもたまにしかホームランにならなかったそうですが、その友人は毎日2~3本校舎に当てていたそうで、「あいつを抜くのは無理かもなぁ」と思い始めていたのだそうです)
そんな中、仲村トオルさんが通っていた中学校で試合があり、ある中学生のエースが4階建ての校舎の屋上を越えるホームランを打ったそうで、
仲村トオルさんは、自分が目標としていた友人よりも、さらに屋上を越えるホームランを打つ同い年が、すぐ近くの中学校にいるという事実に愕然(がくぜん)とし、自分は絶対プロ野球選手にはなれないと自信をなくして、野球を断念したのだそうです。
仲村トオルの高校時代は無気力で無感動な日々を送っていた
すると、これに伴い、学校の成績まで下がっていき、志望校だった県立高校の受験にも失敗したそうで、
滑り止めの私立高校には進学したものの、野球での挫折や高校受験の失敗が尾を引き、高校時代は、これといって夢中になれることもなく、無気力、無感動な日々を過ごしたそうで、
放課後は、校庭で部活に熱中する同級生を見るのも嫌だったため、さっさと帰ってビルの清掃や運送会社の手伝いなどのアルバイトをしていたのだそうです。
(平均的なサラリーマン家庭で育った仲村トオルさんは、私立高校に行ったことで学費がかさんで申し訳ないという両親への負い目から、洋服ぐらいは自分の稼いだお金で買おうと思っていたのだそうです)
仲村トオルは大学入学直後に父親を亡くしていた
そんな中、仲村トオルさんが、大学入学直後の4月、突然、お父さんが倒れ、わずか2~3週間後に他界してしまったそうで、
仲村トオルさんは、悲しみの中、いきなり大学を中退して社会人になる自信がなかったため、いずれ、大学を中退するまでに就職につながる何かを早く探さないといけないと思い、とにかくアルバイトをしながら学生生活を送ったのだそうです。
「【画像】仲村トオルの若い頃は?現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く
1985年、何気なく受けたオーディションに合格し、映画「ビー・バップ・ハイスクール」の主演で俳優デビューすると、翌年の1986年には、テレビドラマ初出演の「あぶない刑事」でたちまちブレイクを果たし、以降、「チーム・バチス …