幼少期から少年時代のイチローさんの野球生活を献身的に支えるも、後年、イチローさんとの確執が報じられ、絶縁していると言われていた、イチローさんの父親の”チチロー”こと鈴木宣之(すずき のぶゆき)さん。
二人三脚で歩んできた鈴木宣之さんとイチローさんの間に一体何があったのでしょうか。
今回は、イチローさんと鈴木宣之さんが絶縁していた理由、不仲が知られるようになった出来事、そして、現在のイチローさんと鈴木宣之さんの関係をご紹介します。
イチローの父親チチロー(鈴木宣之)は少年時代のイチローの野球生活を献身的に支えていた
イチローさんの父親の、”チチロー”こと鈴木宣之さんが、イチローさんが3歳の時、おもちゃのバットとボールを買い与えると、
イチローさんは、たちまち野球に夢中になって、みるみるうちに上達し、やがて、野球選手になりたいという強い気持ちが芽生え、小学3年生を目前に控えたある日、毎日野球の練習をすることを、鈴木宣之さんと約束したそうで、
それからというもの、鈴木宣之さんは、イチローさんが小学校3年生から中学に入学するまでの間、学校から帰宅してから暗くなるまで、毎日のように野球の練習に付き添うほか、練習後は、毎晩、イチローさんの足の裏をマッサージするなど、献身的にイチローさんの野球生活を支えたといいます。
また、鈴木宣之さんは、イチローさんが高校生になっても、野球部の練習を毎日見に行っていたそうで、たまに行けない日があると、病気か事故にでも遭ったのではないかと野球部員たちに心配されるほどだったといいます。
(鈴木宣之さんによると、イチローさんは、自分が野球をしている姿を見ることがお父さんの何よりの楽しみだということを知っていたのか、一度も「見に来ないで」と言われたことはなかったそうです)
イチローの父親チチロー(鈴木宣之)はイチローと福島弓子の結婚を手放しで喜ぶことができなかった
その後、イチローさんは、高校卒業後の1991年、ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団すると、入団1年目と2年目は一軍と二軍を行ったり来たりも、入団3年目の1994年から一気に才能を開花させ、日本プロ野球史上初となるシーズン200安打を達成するなど、様々な記録を打ち立てるのですが、
イチローさんが、1999年12月、元TBSアナウンサーの福島弓子さんと結婚すると、
鈴木宣之さんは、イチローさんの結婚相手を「イチローさんの妻」ではなく「鈴木家の嫁」と、考えており、
弓子さんが、
- (イチローさんよりも)8歳年上
- 婚約していた栗山英樹さんと破局した過去がある
との理由から、手放しで喜ぶ気持ちにはなれなかったそうで、
テレビ番組で、
2、3歳上なら理想的だった。10歳離れるとアウトだったけど、7歳は、ギリギリセーフかな
と、発言しています。
イチローの父親チチロー(鈴木宣之)は新築した豪邸にイチロー夫婦と一緒に暮らすことが夢だった
そんな鈴木宣之さんは、翌年の2000年には、地元の愛知・豊山町に2階建て延床面積520平方メートルの豪邸を建てているのですが、鈴木宣之さんの夢は、新築した豪邸にイチローさんと一緒に暮らすことだったそうで、
スポーツ紙の某デスクは、
宣之さんは、幼少期から野球一筋で手塩にかけてきたイチローが、自分の大好きな中日に移籍し、新築した豪邸で一緒に住む日を思い描いていた。
その夢が、弓子夫人の登場でガラガラと崩れていったわけです。まるで大切な“作品”を奪われたような寂しさに襲われたのは、想像に難くありません
と、語っています。
(実家の隣には「イチロー記念館」もオープンしています)
イチローの父親チチロー(鈴木宣之)はイチローの妻・弓子に過干渉だった?
そんな中、イチローさんは、当時、オリックス・ブルーウェーブに所属していたことから神戸で単身生活をしており、その豪邸では、鈴木宣之さん夫婦とイチローさんの妻の弓子さんの同居生活が始まったそうですが・・・
鈴木宣之さんは、ネギ1本買うのも弓子さんに領収書をもらうように言うなど、事細かに干渉していたことから、弓子さんは、そんな暮らしに息苦しさを感じ、わずか数ヶ月で豪邸を出て、神戸で単身生活をしていたイチローさんのもとへと向かったのだそうです。
イチローと父親チチロー(鈴木宣之)はメジャーリーグ移籍をきっかけに確執が生まれていた
また、鈴木宣之さんは、イチローさんが中日に移籍したあかつきには、新築した豪邸で一緒に住もうと考えていたため、イチローさんのメジャー移籍に猛反対していたそうですが、
(お父さんの猛反対に悩むイチローさんの背中を押し、メジャー移籍を決断させたのは、ほかならぬ、弓子さんだったと言われています)
この猛反対が、イチローさんとの間に確執を生んだそうで、2000年10月、イチローさんはメジャー挑戦を発表しているのですが、なんと、鈴木宣之さんは、イチローさんが会見する当日の朝まで何も知らされていなかったのだそうです。
また、イチローさんは、2002年11月、故郷・豊山町で行った「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」に参加した際、表彰式で、少年たちに向かって、
大リーグ挑戦を父に反対されて辛かったけれど、意思を貫いてよかった。自分で決断ができる大人になってほしい
と、挨拶しています。
(その場には鈴木宣之さんもいたそうで、イチローさんは親の立場を悪くするようなことを敢えて言ったのでした)
イチローの父親チチロー(鈴木宣之)は名古屋国税局から約9000万円の申告漏れを指摘されていた
そんな中、2003年初めには、イチローさんの個人事務所「オフィス・イチロー」(イチローさんの稼いだお金を管理する会社)が、名古屋国税局から約9000万円の申告漏れを指摘されているのですが、
この事務所を運営していたのは鈴木宣之さんで、鈴木宣之さんはイチローさんのオリックス時代のCM出演料などを個人所得とせず、「オフィス・イチロー」の所得に計上していたそうで、
これに、イチローさんは激怒し、
他人任せにしたのがいけなかった
と、お父さんを露骨に非難するコメントをしています。
この申告漏れがきっかけとなり、イチローさんは、その後、資産管理会社「IYI」を立ち上げ、妻の弓子さんがイチローさんの稼いだお金を管理するようになったそうです。
イチローは父親チチロー(鈴木宣之)の勝手な振る舞いに嫌気が差していた
また、鈴木宣之さんは、イチローさんを広告塔にして、
- 地元の愛知・豊山町の実家の隣に「イチロー記念館」をオープン
- イチローさんが子どもの頃に食べていたというカレーをレトルトカレーにして商品化
- イチローさんのグッズを展示する「アイ・ファイン」を運営
- 講演会や公の場で度々イチローさんに言及
と、お金儲けをしていたことから、
イチローさんは、そんなお父さんの勝手な振る舞いに嫌気が差していったそうで、
某スポーツ紙のデスクは、
イチローは、宣之さんが講演などで事あるごとに自分の名を使うことに嫌気がさしていた。豪邸に隣接する記念館についても快く思っていません。そもそも『チチロー』というのも、露出の多さゆえメディアがつけた呼称。
これまでも『黙っていてほしい』と苦言を呈してきました
と、語っています。
イチローは父親チチロー(鈴木宣之)がいない時に帰省していた
そして、その後、イチローさんと鈴木宣之さんの確執はますますエスカレートしていったそうで、イチローさんは、島根県松江市にある弓子さんの実家には、1年に1度、里帰りするも、
(弓子さんのお母さんによると、里帰り中、イチローさんは、弓子さんを助手席に乗せて自ら車を運転し、近くの運動公園でランニングに励んでいたとのこと)
実家(愛知県西春日井郡豊山町)には、毎年、現地で行っている「イチロー杯」に参加する際、鈴木宣之さんと顔を合わせないように、目立たない形で短時間だけ立ち寄るだけなのだそうです。
(イチローさんと鈴木宣之さんの仲を辛うじて取り持っているのがお母さんの淑江さんだそうで、「イチロー杯」表彰式にも、イチローさんの意向で鈴木宣之さんは姿を見せなくなり、代わりに、2015年には、お母さんがイチローさんと出席しています)
イチローと父親チチロー(鈴木宣之)は現在は和解している?
そんな中、2019年3月20日、21日の両日、イチローさんは、東京ドームで開催されたマリナーズの開幕戦に出場し、21日に引退を発表しているのですが、3月21日の試合前、バックネット裏から見守る鈴木宣之さん夫婦に引退を知らせたのは弓子さんだったそうで、
鈴木宣之さんは、
引退を告げたとき、弓子さんは私に手を差し出してきたんですよ。「今までありがとうございました」という感謝の気持ちだったのでしょう。
私の手を握り、彼女はにっこりと微笑んで去っていきました。今までそんなことは一度もなかっった。私は何も言えず、無言で手を握りましたが、長年のわだかまりが解けていくような感覚でした
と、語り、
私はイチローに「結婚は25歳まではするな」と言ってきましたが、(スポーツ選手の)世話をしてくれるのは、やっぱり年上女房なんですよ
と、弓子さんを認める発言をしています。
そして、イチローさんの引退後には、弓子さんから、
彼(イチローさん)と日本でゴルフをやってもらえませんか。彼がお義父さんとやりたがっています
というメールが届いたといいます。
ちなみに、鈴木宣之さんは、イチローさんが引退を表明した際、取材に対し、
あの小さい子が45歳、メジャーリーガーになって、ここまでやってきた。うわーっと涙が出た
私自身を夢中にさせてくれたイチローに、(野球をするための)環境を与えてくれた方たちがいる。本当にお礼を申し上げたい
(最後の試合後、東京ドームの観客が残ってイチローさんが出てくるのを待っていたことに対し)ファンの皆さんはよく残ってくれた。支えてくれたファンの皆さんに感謝したい
と、涙ぐみながら語っており、
鈴木宣之さんにとっては、親子間の確執などはなく、ずっと変わらず、愛息・イチローさんを見守り続けていたことが分かります。
イチローさんの引退を知り、人目をはばからず涙を流す鈴木宣之さん
さて、いかがでしたでしょうか。
イチローさんが幼い頃から、のびのびと野球をできる環境を与え、野球生活を支え続けた、鈴木宣之さん。
イチローさんが、2004年にシーズン258安打のメジャー新記録を打ち立てた際、感謝を伝えたい人に、幼少期から少年時代まで二人三脚で歩んできた鈴木宣之さんには一切触れず、妻の弓子さんと愛犬の名を挙げるのみだったため、鈴木宣之さんとの関係の悪さが露呈し、少し、気の毒だった鈴木宣之さんですが、
間違いなく、鈴木宣之さんの支えなくしてイチローさんがメジャーリーグで様々な記録を達成することはできなかったことでしょう。
NPB(日本プロ野球)とMLB(メジャーリーグ)で驚異的な記録を残したイチローさんですが、今回は、そんなイチローさんが野球をやるきっかけを作り、幼い頃からつきっきりで練習に付き合い、導いてきた、父親の”チチロ …