1970年、ゴルフのプロテストを受けて合格すると、翌年の1971年には、いきなり、日本プロゴルフ選手権で初優勝し、以降、通算優勝回数113回(男子プロゴルフの日本ツアーでも通算最多の94勝)という凄まじい記録を樹立した、「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司(おざき まさし)さん。
今回は、そんな尾崎将司さんの若い頃から死去までの活躍や経歴を時系列でご紹介します。

「尾崎将司の生い立ちは?高校では甲子園で優勝しプロ野球選手になっていた!」からの続き
尾崎将司(ジャンボ尾崎)は23歳でゴルフのプロテストに合格すると翌年にはいきなり優勝5回
高校時代にはエースとして、徳島海南高等学校を春の選抜高校野球大会に導き、甲子園初出場初優勝という離れ業を成し遂げて、プロ野球の西鉄ライオンズに入団するも、1967年、わずか3年でプロ野球を引退した尾崎将司さんは、
(西鉄ライオンズ時代に打撃コーチだった花井悠さんにゴルフへの転向を勧められていたこともあり、プロゴルファーに転向することを決意すると、
1970年、23歳の時には、ゴルフのプロテストを受けて合格すると、同年夏にはデビュー戦である関東プロ選手権大会に出場し、新人とは思えないほどの飛距離を飛ばし、すぐにその名が知れ渡ります。
そして、翌1971年には、日本プロゴルフ選手権でいきなりプロ入り初優勝を飾ったうえ、この年通算5勝を挙げる活躍を見せています。

1971年、初優勝した時の尾崎将司さん。
尾崎将司(ジャンボ尾崎)は26歳で初代賞金王になるとその後は12回の賞金王と優勝113回
そして、1972年にはマスターズトーナメント(メジャー選手権)に招待されて初出場を果たすと、残念ながら予選落ちしてしまうのですが、1973年には、2年連続2度目のマスターズ招待を受けると、東洋人として初めて8位タイ入賞という好成績を収めます。
また、同年(1973年)には、尾崎将司さんの活躍で、年間獲得賞金額による賞金シード制が導入されると、初代賞金王に輝き、以降、合計12回の賞金王(国内プロツアー記録)に輝くほか、通算勝ち星113回(世界プロツアー最多記録)、生涯獲得賞金1位(約26億8,853万円)という、凄まじい記録を残したのでした。

1974年の尾崎将司さん。
尾崎将司(ジャンボ尾崎)は50歳を過ぎてもレギュラーツアーに参加し優勝を量産していた
そんな尾崎将司さんは、50歳を過ぎても、シニアツアーには参加せずにレギュラーツアーにこだわり、1997年3月13日、50歳で、「東建コーポレーションカップ(東建ホームメイトカップ)1997」の開幕戦で優勝すると、
(開幕戦の優勝はプロ28年目で初めて)
その後も、
- 1997年5月「中日クラウンズ1997」優勝
- 1997年5月「三菱ギャラントーナメント1997」優勝
- 1997年8月「久光製薬KBCオーガスタ1997」優勝
- 1997年10月「ブリジストンオープン1997」優勝
- 1998年7月「ヨネックスオープン広島1998」優勝
- 1998年8月「久光製薬KBCオーガスタ1998」優勝
- 1998年10月「Philip Morris Championship1998」優勝
- 1999年3月「東建コーポレーションカップ1999」優勝
- 1999年7月「ヨネックスオープン広島1999」優勝
- 2000年8月「サン・クロレラ クラシック2000」優勝
と、優勝を重ね、
なんと、2002年、55歳の時にも、「全日空オープン」で優勝しています。

「全日空オープン」で優勝した時の尾崎将司さん。
尾崎将司(ジャンボ尾崎)は63歳の時に世界ゴルフ殿堂入り
そして、尾崎将司さんは、2010年、63歳の時には、世界ゴルフ殿堂入りを果たしているのですが、
(世界ゴルフ殿堂入りは、日本人では、樋口久子さん、青木功さん、岡本綾子さんに続く4人目の快挙)
インタビューでは、
私は日本での貢献は自負しておりますが、世界では残念な結果に終わっている。それだけに世界で評価して頂いたのは光栄に思います
もう1度優勝争いをしたい。そこでどう自分が変わっているかを感じたい。私の頭の中には新しい優勝の2文字しかありません
と、語っており、
63歳という、プロアスリートとしては高齢すぎる年齢にもかかわらず、優勝へのこだわりを見せています。
尾崎将司(ジャンボ尾崎)は66歳の時に史上初のエージシュートを達成
そんな尾崎将司さんは、2013年、66歳の時には、「第20回つるやオープン」に参加すると、初日の同年4月25日、1イーグル、9バーディー、2ボギーと計62打の9アンダー(コースレコードタイ)で、史上初のレギュラーツアーでのエージシュートを達成しているのですが、
(※エージシュートとは、ゴルフの1ラウンドで、プレーヤーが自分の年齢以下(同じを含む)のスコアで18ホール全てを回り切ること)
エージシュートなんか目指してゴルフをしているわけじゃないっつうの
と、語っており、
この時にも、レギュラーツアー(シニアツアーではなく)優勝へのこだわりを見せています。

66歳で史上初のエージシュート達成した時の尾崎将司さん。
尾崎将司(ジャンボ尾崎)は70歳の時にもエージシュート(2度目)を達成
そして、尾崎将司さんは、それから4年後の2017年、70歳の時にも、「HONMA TOURWORLD CUP」に参加すると、2日目の同年10月6日には、3バーディ、2ボギーの計70打で回り、2度目のエージシュートを達成しています。

70歳で2度目のエージシュートを達成した時の尾崎将司さん。
尾崎将司(ジャンボ尾崎)は実質72歳で引退していた
ただ、そんな尾崎将司さんも、さすがに、2019年11月、72歳の時に「ダンロップフェニックス」に出場したのを最後に、戦列を離れており、復帰についても、
(この年は、7試合に出場し5回が棄権でした)
ないない。ほとんどありません。この齢で何をしろって言うんだ
と、語っており、事実上、引退となっています。
実は、尾崎将司さんには腰痛の持病があるのですが、それだけでなく、翌2020年からのコロナ禍の影響で、体を気遣い、ほとんど表舞台に出ることがなくなったことが大きかったようで、
尾崎将司さんは、
コロナでこの4年間のギャップがちょっと大きかった。自分の人生の中でね。ここ1年で出たのはロイヤルホーム(ホームセンター)に資材を買いに行ったくらい
と、笑っています。
尾崎将司(ジャンボ尾崎)は近年は若手選手の育成に取り組んでいた
また、尾崎将司さんは、2018年から、千葉市内で「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を運営して、後進の育成に情熱を注いでおり、
2024年2月3日、4日には、千葉市内で「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーセレクションsupported by ISPS HANDA」を実施すると、プロゴルファーを目指す中学3年生から高校3年生の候補生男女を指導し、
できるだけ良い環境で、子どもたちに練習してもらいたい。それだけだ
もう俺のことはいいんだよ。人生がほとんど終わってんだから。だから、終わる前に、なんか良いものを見てみたいってのはあるわな。うちの女の子が頑張ってるのを
もう“テレテレしてるやつ”はもう怒鳴り散らかすんだ。今の時期じゃない(時代に即さない)ような感じで。すぐ訴えられそうだ(笑)
と、語っています。

尾崎将司(ジャンボ尾崎)の死因は?
そんな尾崎将司さんですが、2025年12月23日午後3時21分、78歳でS状結腸ガン(ステージ4)のため他界されたことが、長男の尾崎智春さんによって、翌日24日に発表されました。
(約1年前に診断された後、本人の強い意志で自宅療養していたそうです)
また、葬儀・告別式は故人の遺志により近親者のみで家族葬を行うとのことで、後日、お別れの会を開催する予定といいます。
ちなみに、
尾崎将司さんと長年しのぎを削ってきた青木功さんは、
長年よきライバルとして2人でゴルフ界を引っ張ってきただけに、ことばが無いです。また1人、大切な戦友を失い寂しい気持ちでいっぱいです。長く、つらい闘病生活、お疲れさまと伝えたい。かなうことなら最後にもう一度会いたかった
同じく、中嶋常幸さんは、
残念でなりません。一緒に戦った日々を思い出します。その1つ1つが宝物です。僕が頑張ってこられたのもジャンボのおかげです。ありがとうのことばしかありません
長弟の尾崎健夫さんは、
兄弟というのは大抵、進む道はわれていくと思うけど、われわれ兄弟はたまたま同じ職業でおよそ70年間、一緒にいることができました。
兄がいない人生というのは経験がないから、これからが寂しいし苦しいと思う。今までいつも一緒ですべてを教えてくれた。兄貴、ありがとう
次弟の尾崎直道さんは、
高校野球で優勝してプロ野球選手になり、尾崎家の家を建て直してくれました。プロゴルファー、尾崎直道があるのは、兄貴が野球をやめてゴルフの道に進み、ゴルフというスポーツを教えてくれたからで感謝しかない。兄貴、ありがとう
丸山茂樹さんは、
プロデビューからアメリカツアーに参戦するまで、ともにプレーさせていただいたが、ジャンボさんは目の前の大きな壁でした。40代中盤から数多くの優勝を果たしたジャンボさんの活躍を間近で見られたことはプロゴルファー人生の宝物です。
総合力では足元にも及ばなかったので、ジャンボさんが取り入れていないアプローチができれば、海外で活躍できると考えていた。私がアメリカツアーで頑張れたのもジャンボさんのおかげです。感謝しかありません
と、それぞれコメントしています。
【動画】尾崎将司(ジャンボ尾崎)の若い頃のスイング(ショット)が凄すぎる
それでは、最後に、尾崎将司さんの若い頃の豪快なスイング(ショット)をご覧ください。
(尾崎将司さんは、スライス(打球が利き手の方向に曲がって弧を描くように飛んでいく事)で飛ばす、豪快なショットが持ち味で、圧倒的な飛距離を武器にしていたため、飛距離の天才と言われました)
「尾崎将司と青木功が不仲になった3つの理由とは?現在は和解してる?」に続く
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1970年にプロデビューし、国内で無敵の強さを誇っていた、「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司さんと、1965年にプロデビューするも、遅咲きで、1976年に初の賞金王に輝き、1978年から4年連続で賞金王に輝いた青木功(あおき …







