1975年、ゴルフのプロテストを受けて合格すると、翌年の1976年には、いきなり、ゴルフダイジェストトーナメントで日本ツアー初優勝し、以降、日本ゴルフツアー通算48勝、賞金王4回に輝くほか、当時、日本人選手で唯一、海外4大メジャー大会の全てでトップ10を記録した、中嶋常幸(なかじま つねゆき)さん。
今回は、そんな中嶋常幸さんの、若い頃から現在までの経歴を時系列でまとめてみました。
「中嶋常幸の生い立ちは?ゴルフは小4から!高校中退して練習に専念していた!」からの続き
21歳でゴルフのプロテストに合格すると翌年には日本ツアー初優勝
中嶋常幸さんは、高校中退後の1973年、18歳の時、当時最年少で「日本アマチュア選手権」を制覇すると、1975年12月、21歳の時には、鳴り物入りでプロに転向。
翌年の1976年には、「ゴルフダイジェスト・トーナメント」で日本ツアー初優勝を飾ると、1977年には、「日本プロ選手権」も制して一気にトッププロの仲間入りを果たしています。
28歳と29歳で2年連続賞金王
中嶋常幸さんは、1982年、28歳の時には、
- ダンロップインターナショナルオープン
- フジサンケイクラシック
- 長野県オープンゴルフ選手権大会
- 日本プロ東西対抗
- ゴルフ日本シリーズ
の5大会で優勝し、プロ8年目で初の賞金王を獲得しています。
そして、翌年の1983年にも、年間8勝の活躍で2年連続賞金王に輝いています。
31歳と32歳でも2年連続賞金王
中嶋常幸さんは、1985年、31歳の時には、
- よみうりサッポロビールオープン
- 関東プロゴルフ選手権大会
- 全日空サッポロオープン
- 日本オープンゴルフ選手権競技
- 太平洋クラブマスターズ
- ダンロップフェニックストーナメント
の6大会で優勝し、3度目の賞金王に輝いています。
3度目の賞金王に輝いた中嶋常幸さん
特に、「ダンロップフェニックストーナメント」は、日本人で初めての優勝で、この大会で外国人ばかりが優勝することに悔しさを募らせていた中での優勝だったそうです。
また、中嶋常幸さんは、1986年も年間6勝を挙げ、4回目の賞金王に輝いています。
36歳で「日本オープンゴルフ選手権競技」で優勝
中嶋常幸さんは、1990年、36歳の時には、「日本オープン選手権競技」で優勝しています。
中嶋常幸さんは、初日、70で首位の飯合肇さんに、68で2位につけ、2日目は2バーディー、1ボギーの71にまとめ、通算5アンダーで単独首位に立つと、3位のジャンボ尾崎(尾崎将司)さんが2日連続の70で通算4アンダーで、1打差2位に浮上。
3日目、中嶋常幸さんは、同組で回った尾崎将司さんに圧倒されると、4打差をつけられ3位に後退したのですが、最終日、1位の尾崎将司さんと2位の川岸良兼さんを抑え、勝利を手にしたのでした。
1990年、「日本オープンゴルフ選手権競技」で優勝した中嶋常幸さん。
ちなみに、中嶋常幸さんは、この大会の終了後、
3日目のつまずきによって、一番大切な教えであるオールドマン・パーにたどり着いた。対戦する相手が、人(尾崎将司さん)からコースに変わった
と、語っています。
(「オールドマン・パー」というのは、対戦相手が人ではなく各ホールのパーを相手にプレーする概念のこと)
47歳で「ダイヤモンドカップトーナメント」で7年ぶりの優勝
中嶋常幸さんは、1995年、41歳の時、「フジサンケイクラシック」で優勝しているのですが、その後、優勝することができず、2002年、47歳の時、「ダイヤモンドカップトーナメント」で実に7年ぶりとなる優勝を果たしています。
ちなみに、中嶋常幸さんは、大会終了後、
この7年間は、本当に長く…。もう二度と、勝てないんじゃないか、と考えたこともありました。
それでも、みなさんが諦めずに応援してくださったから、苦しいときも頑張って来れました。みなさんの声援が、今日の最後の2メートルのパットまで、導いてくれたんです。長い間、お待たせしてほんとうにすいませんっ!!(笑)
これからも“47歳のルーキー”として、頑張っていきます。引き続きの応援を、どうかよろしくお願いします!!
と、語っています。
また、この7年間、息子さんへ世代交代を考えたこともあったそうですが、元弟子でプロゴルファー兼フィジカルトレーナーの石渡俊彦さんにコンディショニング法やスイング修正法を教わり、見事、優勝することができたそうで、
長かった。18番の最後の2メートルのパットが遠く感じた。ここ2年くらいは調子は良かったが、勝ちにいっても勝てず、世代交代を感じていた。息子(雅生)にバトンタッチだな、なんて思っていた。
トレーナーの石渡(俊彦)との出会いで生まれ変わった。勝てない時に多くの人から声援を受け励みになった。ジャンボ(尾崎)や青木(功)さんにも色々と教えてもらい、自分は良い先輩に恵まれた。これからも優勝できる選手でいられるよう努力する
とも、語っています。
2002年、「ダイヤモンドカップトーナメント」で優勝した中嶋常幸さん。
52歳で「三井住友VISA太平洋マスターズ」で4年ぶりの優勝
中嶋常幸さんは、2006年、52歳の時には、「三井住友VISA太平洋マスターズ」で優勝しています。
この優勝は、2002年、47歳の時以来、4年ぶりの優勝ですが、50代でのレギュラーツアー優勝は、青木功さん、尾崎将司さん、杉原輝雄さんんに次いで4人目という快挙でした。
51歳~59歳までシニアツアーで5大会優勝
そんな中嶋常幸さんは、シニアツアーにも参加し、2005年、51歳頃には、日本シニアオープンで優勝すると、
2006年には、「日本シニアオープン」「日本プロシニア選手権」(52歳)
2008年には、「日本シニアオープン」(54歳)
2013年には、「第14回スターツシニアゴルフトーナメント」(59歳)
と、全5大会で優勝しています。
中嶋常幸の現在は「ヒルズゴルフトミーアカデミー」で指導者として活動
中嶋常幸さんは、2012年からは、「ヒルズゴルフトミーアカデミー」を主宰し、畑岡奈紗さんや蛭田みな美さんなどのプレーヤーを輩出しているのですが、アカデミー開講当時の思いについて、
(静ヒルズCCをリメイクする設計・監修の仕事をもらって、改修の完成が間近になったコースを見ながら)「こんなところから世界で勝てる選手を育てられたらいいですよね」と故・森稔、森ビル社長からかけられた言葉が原点で、すべてなんです。
じゃあ自分にできることは何かと考えたら、ゴルフを教えること。これがなかったら始まらなかったですね。
と、語っています。
また、中嶋常幸さんは、アカデミーでの指導について、
すべての生徒に共通して教えるのはまず「構え」。それが基本です。そして「構え」から「動きに入る動作」。アドレスが歪んでいたら郵便もゴルフも目的地に到着できなんだよね。
正しく立てること、そこには奥深さがあって、前後や左右のバランスに加えて内面もある。内面の筋肉、感覚とそれを動かす連動性、そいうった動きに入るためにアドレス作りを基本の「キ」にしています。
と、語っています。
【動画】中嶋常幸の若い頃(昔)のスイングが美しい!
それでは、最後に、「世界一美しいスイング」と称された、中嶋常幸さんの若い頃のショット(スイング)を御覧ください。
(中嶋常幸さんのスイングは、リズム感や流れが良く、しなやかでありながらダイナミックで、「世界一美しいスイング」と称されました)
「中嶋常幸の妻との馴れ初めは?娘は?息子はプロゴルファーの中島マサオ!」に続く
1975年にプロ入りすると、以降、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの海外メジャー4大会全てでトップ10入りを果たし、ゴルフ史に残る名プレーヤー、セベ・バレステロスさんをして「世界で5本の指に入る美しいスイ …