1975年にプロ入りすると、以降、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの海外メジャー4大会全てでトップ10入りを果たし、ゴルフ史に残る名プレーヤー、セベ・バレステロスさんをして「世界で5本の指に入る美しいスイングの持ち主」と称された、中嶋常幸(なかじま つねゆき)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、そんな中嶋常幸さんの奥さんとの馴れ初め、結婚に至るまでの経緯、結婚後、子供(娘・息子)についてご紹介します。
「【画像】中嶋常幸の若い頃は?現在までの経歴を時系列でまとめ!」からの続き
中嶋常幸の妻・律子との馴れ初めは?
中嶋常幸さんは、1977年、プロ入りしてから間もない22歳の時に、律子さんと結婚しています。
律子さんは、もともと、ゴルフを習っていたそうで、そのゴルフの先生が、山口で行われる「宇部ペプシ・ゴルフトーナメント」に出場するということで応援に行ったそうですが、この試合に中嶋常幸さんも出場しており、この時に知り合い、これをきっかけに交際するようになったのだそうです。
実は、律子さんは、中嶋常幸さんがデビューしたことをテレビ番組で見て、「すごくかっこいいな」「この人は絶対強くなるだろうな」と思っていたそうですが、試合では先生を応援しなければならず、中嶋常幸さんを見ることはできないかなと諦めていたそうですが、
なんと、中嶋常幸さんと先生が偶然にも同じ組で一緒に回ることになったそうで、実物の中嶋常幸さんを間近で見て、(男性にもかかわらず)なんと美しいんだろうと感じたといいます。
中嶋常幸は妻・律子に出会った時スランプに陥っていた
一方、中嶋常幸さんはというと、(ゴルフ人生の中で何度かスランプに陥っているのですが)律子さんと出会った頃、最初のスランプに陥っていたといいます。
実は、中嶋常幸さんは、ゴルフが好きで、小学生の頃からゴルフを始めていたそうですが、お父さんは、中嶋常幸さんをプロにするべく鬼軍曹そのものだったそうで、
ゴルフ以外のことは全くさせてもらえず、負けたら叱られ、勝ってももっと上を目指すように圧力をかけ続けられたそうで、そんなお父さんの厳しい教育により、人生とは競争に勝つことだと考えるようになっており、
勝てなくなると、スランプから抜け出そうと、(お父さんに激励されるまま)自分をもっと追い込み、練習に明け暮れる毎日を送っていたそうで、そんな中で律子さんに出会ったのだそうです。
中嶋常幸は妻・律子に教会に連れて行かれてキリスト教を信仰するようになっていた(洗礼を受けていた)
そして、中嶋常幸さんは、律子さんと結婚後も、両親と同居し、相変わらず、お父さんからゴルフばかりさせられ、夫婦としての生活がほとんどできなかったそうですが、
そんな中嶋常幸さんを見て、キリスト教徒だった律子さんは、このままでは夫が潰れてしまうと居ても立っても居られなくなり、中嶋常幸さんを教会に連れて行ったそうで、
中嶋常幸さんもキリスト教を信仰するようになり、1980年に洗礼を受けたのだそうです。
とはいえ、中嶋常幸さんのゴルフに対する姿勢は変わらず、
ゴルフだけは神でもなんともできない、これは自分の力で乗り越える以外ない
という考えだったこともあり、
1993年の日本シリーズで優勝し、家に帰った際、
律子さんが、
良かった。祈っていたよ
と、喜ぶと、
おまえが祈ったから勝てたのか。血のにじむような練習をして努力しているのは俺だ。もう祈るな
と、怒鳴ったそうで、
律子さんは、それ以来、教会に行くことをやめたのだそうです。
また、中嶋常幸さんは食卓で、律子さんに、
おまえは人を救えても、俺を救うことはできない
などとも、言っていたそうですが、
中嶋常幸さんは、当時の苦しい胸のうちを、
父の死後、プロデビューした76年の日本プロ選手権で6位に入った時に母に宛てた手紙が出てきた。「新人ながらあっぱれ。だが褒めるな。褒めたらあの子は弱くなる」。父は「鬼監督」を演じていたのかもしれない。
それでも「本当に俺は愛されていたのか」と疑問符が浮かぶ。思い出すのは、嫌なことばかり。一方的に猛練習を押しつけ、私をなぐり、母をたたく理不尽な父を受け入れられず、気持ちに折り合いをつけられなかった。
自宅で家族と夕飯を囲んでいても、苦い思い出を愚痴のように話していた。
と、語っています。
中嶋常幸は妻・律子と夜逃げ同然で両親と同居の実家を家出していた
そんな日々の中、ついに、ある日、中嶋常幸さんは、お父さんと一緒に住んでいることがいたたまれなくなり、律子さんを連れて夜逃げ同然で家出したそうで、
しばらくて子供が誕生するなど、お父さんから自立し、平穏な日々を送っていたそうですが・・・
40歳を過ぎた頃、再び、スランプに陥り、打とうとすると手が震えて止まらなくなったそうで、2000年、46歳の時には、予選落ちが続き、何をどうやっても勝てなくなってしまい、CMのスポンサーも全部打ち切られ、収入の道が断たれていったのだそうです。
中嶋常幸は妻・律子と子供と暮らす家からも家出するも、帰ってきてからは安らぎを感じるようになっていた
それでも、中嶋常幸さんは、自分の力でやるしかないと頑張り続けたそうですが、どうしてもスランプから抜け出だすことができず、ある試合で予選落ちした際、
ついに、律子さんに電話をかけ、
もう疲れた。頑張ったから、もうこれでいいだろう。
と、言い残して、家に帰らなかったのだそうです。
(これを聞いた律子さんは、夫が死ぬかもしれないと思い、子供とともに必死で祈り続けたのだそうです)
そして、しばらくして、中嶋常幸さんは家に戻ったそうですが、その後は、再び、律子さんと一緒に教会に行くようになったといいます。
(律子さんは、2000年頃から再び教会に通い始めていたそうです)
そして、外出時、恥ずかしがる中嶋常幸さんにお構いなしに律子さんが腕を組んできたそうですが、そんな中、やがて、徐々に家庭にやすらぎが生まれたそうで、
中嶋常幸さんも、食卓で笑い話を口にするようになり、
スランプって嫌なものじゃないんだ。スランプと付き合おう。乗り越えたところに、新しい中嶋常幸が待っている。新しい自分と出会いたい
と、考えるようになり、暗闇の中に光が見えたのだそうです。
(中嶋常幸さんは、律子さんに腕を組まれた際、触れられることで手当てをされ、癒やされているように感じたのだそうです)
中嶋常幸さんと妻の律子さん。
中嶋常幸はゴルフ殿堂式典で涙ながらに妻・律子に感謝していた
そんな中嶋常幸さんは、2019年には、ゴルフ殿堂入りを果たしているのですが、
式典に参加した際、成績の悪い時には、やり場のない怒りを家族にぶつけたこともあったと明かしつつ、
良いときも、悪いときも、もっと悪いときも支えてくれた。出来の悪い夫だったけど、この賞を家内に捧げたい
と、目を潤ませつつ、コメントしています。
中嶋常幸の娘(長女)はアマチュアゴルファーの佳乃
そんな中嶋常幸さんと律子さんの間には、子供が2人(女の子と男の子)が誕生しています。
まず、長女は、アマチュアゴルファーの佳乃さんです。
佳乃さんは、父・中嶋常幸さんの影響で、自然とクラブを握るようになり、プロゴルファーを目指していたそうですが、「上を目指す戦いには終わりがない」と、プロの道を断念したそうで、2003年には結婚し、翌2004年には長女の愛さんが誕生しています。
ただ、2010年、第2子を妊娠中に子宮頸ガンが発覚し、お腹の赤ちゃんは助からないと言われたそうですが、出産前にガン切除の手術を受けると、その数カ月後には無事、男の子を出産しています。
その後は、ゴルフに興味を持った子供たちにゴルフ教えながら、自身もゴルフを楽しみ、家族でゴルフに浸る日々を送っていたそうで、2019年に競技に復帰したそうです。
長女の佳乃さん。
中嶋常幸の息子(長男)はプロゴルファーの中島雅生(中島マサオ)
中嶋常幸さんの長男は、1979年11月18日に誕生した、プロゴルファーの中島雅生(なかじま まさお)さんです。
中島雅生さんは、1999年、日本体育大学在学中はアマチュアとして活動すると、2002年にはプロに転向し、2004年、プロ転向後、最高位の4位タイで決勝ラウンド進出を果たした際には、
父親である中嶋常幸さんは、
息子の成長が、嬉しくない親はいないよ・・・
オレもやったことのない方法で、彼なりに考えていろいろチャレンジしようとしている。そんな息子を心から誇りに思うよ
と、目を細めています。
その後、中島雅生さんは、2007年に初優勝しています。
(いつ頃からかは分かりませんが、現在は、中島マサオという登録名で活動しているようです)
長男の中島雅生(中島マサオ)さん。
「世界一美しい」と称されたスイングを武器に、プロ生活45年間で日本ゴルフツアー通算48勝、賞金王4回のほか、海外メジャー4大会(マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロ)の全てでトップ10入りした、中嶋常幸(なか …