優勝85回、賞金王5回と素晴らしい成績で日本男子ゴルフ界を牽引した青木功(あおき いさお)さんですが、実は、中学時代には、野球部だったといいます。
今回は、そんな青木功さんがゴルフを始めた経緯などを、生い立ち(幼少期から研修生時代)と合わせて、ご紹介します。
青木功のプロフィール
青木功さんは、1942年8月31日生まれ、
千葉県我孫子市の出身、
身長180センチ、
体重80キロ、
血液型はB型、
学歴は、千葉県我孫子市立我孫子中学校卒業
趣味は、釣り、
「青木功」は本名です。
青木功は中学時代は野球部も中学3年生で野球を辞めていた
青木功さんは、千葉県我孫子市の農家に4人兄弟の末っ子として誕生すると、少年時代はプロ野球選手に憧れ、中学進学後は野球部に入部したそうで、体が大きかったことから、主にファーストを守り、抑え(リリーフ)のピッチャーもしたそうですが、
1956年、中学3年生の時、あと1勝すれば県大会に出場できるという大事な試合で、1-1の九回裏二死一、三塁から、リリーフとしてマウンドに立つと、捕手のパスボールでサヨナラ負けしたそうで、
もうこんなものやめた
と、頭にきて、ユニホームもグラブも燃やしてしまったのだそうです。
中学時代の青木功さん。
青木功は中学時代、野球を辞めた後、ゴルフのキャディをアルバイトでしたことがきっかけでゴルフを始めていた
すると、お父さんにこっぴどくぶん殴られ、
自分で生活しろ!
と、言われたそうで、
そんな中、近所の先輩に、
キャディーをやれば稼げる
と、聞き、
家から歩いて行ける我孫子ゴルフ倶楽部でキャディのアルバイトを始めたのだそうです。
そんなある時、お客さんがチョロした際、笑ってしまい、ムッとされたそうですが、後日、また、同じお客さんがダフった時に、今度は「プッ」と吹き出してしまったそうで、
ついにお客さんが怒り、
私だって一生懸命やっているんだけど、当たらないんだ
と、練習場に連れて行かれて、
わしのクラブで打て!
と、言われ、
青木功さんが、
キャディーだから駄目です
と、断るも、
わしが打てと言っているんだ
と、言われたそうで、
仕方なく、クラブを振ると・・・
(青木功さんは、この時、初めてゴルフクラブを握ったそうです)
尻餅寸前の空振りになってしまい、お客さんに、
ほら見い
と、言われたそうで、
これをきっかけに、青木功さんは、お客さんがまだ来ない早朝と、お客さんが帰った後の夜遅くに、ゴルフの練習するようになったのだそうです。
青木功は中学卒業後の15歳の時、本格的にゴルフに取り組もうとゴルフ場にキャディとして就職していた
そんな青木功さんは、中学卒業後の1957年、15歳の時、新東京都民ゴルフ場にキャディとして就職すると、働きながら、林由郎プロの研修生となり、1958年、16歳の時には、林由郎プロに引き抜かれ、我孫子ゴルフ倶楽部に移籍。
どんどんゴルフが上達し、従業員の大会で優勝するようになるほか、お客さんとコースを回っていいスコアを出し、お小遣いをもらったりしたそうで、とにかく、お金にありつきたいと、頑張ったのだそうです。
「【画像】青木功の若い頃は?現在までの経歴を時系列でまとめ!」に続く
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