1997年に芸能界入りすると、以降、グラビア、タレント、バラエティー番組などの司会者、女優として人気を博し、マルチな才能を発揮している、小池栄子(こいけ えいこ)さん。

今回は、そんな小池栄子さんのデビューからグラビアアイドルとしてブレイクするまでの経歴を時系列でまとめてみました。

小池栄子

「小池栄子の生い立ちは?幼少期はお金持ち!中学高校時代はダンスに夢中だった!」からの続き

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小池栄子は高校2年生の時にテレビドラマ「踊る大捜査線」の不良少女役で女優デビュー

小池栄子さんは、高校生の頃は、将来、保育士になろうと思っていたそうですが、1997年、高校2年生の時、グラビアアイドルが多く所属する「イエローキャブ」の野田義治社長(現在は芸能事務所サンズエンタテインメントの会長)にスカウトされたそうで、

イエローキャブで初めて水着をやらないタレントとして売り出したい

との約束で、芸能界入りすると、

同年には、テレビドラマ「踊る大捜査線」の不良少女役で女優デビューしています。

「踊る大捜査線」に出演する小池栄子
「踊る大捜査線」より。

小池栄子は高校3年生になると太りだしオーディションではことごとく落選していた

また、小池栄子さんは、1998年には、深夜ドラマ「美少女H」に出演しているのですが、共演した余貴美子さんからセリフ回しを教わるほか、背中だけで泣ける芝居をするのを見て感動し、もっとお芝居を勉強したいと思うようになったそうです。

ただ、事務所に入った時は、たまたまダイエットをして痩せていたのが、そのうちリバウンドをして太りだしてしまったそうで、

その後受けたオーディションでは、

そんなに太っていたら映像では使えない

などと言われて、ことごとく落ち、なかなか次の仕事が決まらなかったそうです。

小池栄子は高校3年生の時に渋々グラビアデビューするも品評会のようにダメ出しされ続けていた

そんな中、

写真なら角度などで誤魔化せるから

と、グラビアの仕事が舞い込み、乗り気ではなかったそうですが、

野田義治社長にも、

おまえにはだまされた

と、言われていたことから、

もはや、グラビアをやるしか選択肢がない、という空気になってしまったそうで、渋々ながら、グラビアの仕事を始めたのだそうです。

すると、小池栄子さんは、「宇宙一のメロンパイ」というキャッチフレーズで売り出されたのですが、

その頃は、スリムでありながら胸が大きいグラビアアイドルが人気だったため、小池栄子さんのように骨太でグラマラスなタイプはブレイクしないと言われており、

雑誌の編集者らには、

太もも、ウェストが太い

あと何キロ痩せないと

と、まるで品評会のようにダメ出しされ続けたのだそうです。

小池栄子は高校3年生の時に芸能界を辞めると宣言していた

そんな中、もともと、女優志望で、グラビアに乗り気ではなかった小池栄子さんは、次第にモヤモヤが募っていったそうで、

バラエティ番組に出演した際には、

私、芸能界をやめます

と、宣言したこともあったのだそうです。

小池栄子は高校3年生の時に父親の言葉で目が覚め、グラビアの仕事に一から取り組むようになっていた

そして、グラビアの仕事を始めて1年経ったそうですが、やはり、グラビアの仕事が好きになれそうになかったことから、事務所にも、

もう、辞めたい

と、言ったこともあったそうですが、

そのことを知ったお父さんから、

おまえがどうしても(芸能界で)やりたいと言ったから許したのに、もし、いまここでやめたら中途半端で、今後、何をやっても続かない

と、言われたそうで、

この言葉に目が覚めた小池栄子さんは、

胸が大きいのはコンプレックスだけど、これを売りにすれば良いのでは

あらゆる雑誌に出ることは顔と名前を売るチャンス

と、心を一新してグラビアに一から取り組むようになったのだそうです。

また、小池栄子さんは、

実家の家業がうまくいかなくなり、「グラビアなら仕事が取れるかも」「私が食わしたる」と一攫千金を夢見てグラビアの仕事を始めた

とも、語っています。


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小池栄子は20歳の時に”威圧系”グラビアアイドルとして人気を博していた

そんな小池栄子さんは、「癒し系」のグラビアアイドルが人気を博す中、キリッとした目鼻立ちや、コンプレックスだと思っていた体型を逆手に取り、あえて笑顔を見せない強気な雰囲気のグラビアで徐々に人気を獲得していくと、

やがて、小池栄子さんのそんなキャラは他者にはない個性として際立っていき、「威圧系」という新しいジャンルで、ブレイクを果たしたのでした。


ちなみに、小池栄子さんは、この頃について、著書「小池の胸のうち がんばるの、やめてみます」で、

そのころにはテレビのバラエティに出たいという気持ちも強くなっていた。すると意識も「撮ってもらう」ではなく「私が出たことで前号より売れてみせたい」「グラビア誌全部の表紙になって、コンビニに並ぶようにしてやる」というふうに変わり、グラビアの仕事がどんどん好きになっていった

と、綴っています。

「【画像】小池栄子の若い頃(グラビア以降)から現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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