1960年代から2010年代まで50年という長きに渡り、その低く重厚感のある温かみのある声で、幅広い世代から人気を博した、内海賢二(うつみ けんじ)さんですが、

2010年には、1990年代に罹患した膀胱ガンが再発し、2013年6月13日、ガン性腹膜炎により75歳で他界されています。

今回は、そんな内海賢二さんが、膀胱ガンと診断された時のこと、再発に至る経緯、闘病生活について、妻の野村道子さんの視点からご紹介します。

内海賢二

「内海賢二の妻・野村道子との馴れ初めは?息子は内海賢太郎!」からの続き

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内海賢二は病院でガン(ステージ4)と診断されていた

内海賢二さんの妻の野村道子さんによると、内海賢二さんは、50代の半ば頃から体調が悪いことが続き、(いつ頃かは不明ですが)病院で一日かけて検査をしたところ、膀胱ガンで「ステージ4」であることが判明したそうです。

(ガンのステージは0~4の5段階で分類されており、「4」は一番悪化した状態)

内海賢二はガンの切除手術を3年に1回行っていた

そこで、詳しく再検査することになり、紹介状を持って別の病院に行くと、ポリープができているから手術しましょうということになり、ガンの切除手術を行ったそうですが、

それからは、3年に1回、ガンができたら取る、を繰り返していたそうです。

内海賢二は膀胱ガンが再発し、手術を受けるも歩けなくなっていた

その後、再発することも少なくなって元気になり、8年ほどは病院に行く必要もなくなり、安心していたそうですが・・・

2010年、声優仲間の野沢那智さんのお通夜に行った際、内海賢二さんがお手洗いに何度も行っていたため、野村道子さんが病院に行くことを勧めると、内海賢二さんは、病院に行きたくなかったのか、はぐらかしたそうで、

結局、1ヶ月後に病院に行くと、内海賢二さんは、病院から帰って来るなり、

入院して手術することになったから

と言い、そのまま入院。

しかし、この手術はあまりうまく行かず、歩けなくなってしまったそうで、内海賢二さんは、かなりショックを受けて、落ち込み、リハビリは頑張ったものの、退院の日が決まっても歩けるようにはならなかったのだそうです。

内海賢二は羽佐間道夫に勧められ闘病しながら声優の仕事を続けていた

そんな中、声優仲間の羽佐間道夫さんがお見舞い来てくれたそうですが、その際、内海賢二さんが羽佐間道夫さんに、足が動かないことを本当に悔しそうに伝えると、

羽佐間道夫さんは、

なんだ、声はまったく変わってないじゃん

声が出るんだったら仕事しろよ

と、言ってくれたそうで、

内海賢二さんは、仕事ができると分かった途端、表情が生き生きしてきたのだそうです。

それからというもの、内海賢二さんは、闘病をしながら、声優としての活動を続けたのだそうです。

内海賢二は最後はガンが骨に転移していることが判明していた

しかし、やがては、身体のあちこちにガンが転移し、満身創痍の状態になってしまったそうで、それでも、内海賢二さんは、手術を繰り返したそうですが、ついに、ガンは骨にまで転移したのだそうです。

そして、内海賢二さんは、仕事の途中で意識が飛んでしまい、セリフが言えなくなってしまったのだそうです。

(病院に着いても、「俺、仕事に行かなきゃ」とずっと繰り返していたそうです)

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内海賢二はガン性腹膜炎で死去

そして、2013年6月13日午後3時1分、ついに、内海賢二さんは、東京都新宿区の病院で、ガン性腹膜炎のため、75歳で他界されたのでした。

ちなみに、内海賢二さんの最後の時について、野村道子さんは、

覚悟はしていたけど、その瞬間がくることは信じていなかった。それから2年半、体のあっちことに癌(がん)が転移して満身創痍だった。だけど、すごく生命力のある人でね。手術をすれば生還してくるから、そのときも帰ってくるんだと思ってた。

結局、最期まで気取ってるし、気を使っちゃう人だったのね。歩くのだって辛かったはずなのに、手術をするので病院に行っても、車からは歩いていこうとするのよ。

ある日なんて、エレベーターが壊れてて、あとで気がついてそのことを聞いたら「歩いて登った」なんて言うのよ。そうやってかっこつけながら、最期の10日前まで仕事をしていた。

断ることも多くなってたけど、「どうしても内海さんに」という替えのきかない仕事も結構あったから。どうするのか訊くと「やる」と必ず答えるんですよ。その日にあわせて歩く練習もするし、食べるものも自分で管理して万全の準備をしてた。

だから、あのときも帰ってくると思ってたの。

と、語っています。

お読みいただきありがとうございました

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