1950年代に声優の仕事を始めると、以降、「アルプスの少女ハイジ」(ペーター役)、「ヤッターマン」(ドロンジョ役)、「ドラえもん」(野比のび太役)などの声の出演で人気を博した、小原乃梨子(おはら のりこ)さん。
そんな小原乃梨子さんは、小学5年生の時から子役として芸能活動を始めると、中学生時代には女優を志していたといいます。
今回は、小原乃梨子さんの、生い立ち(幼少期)から女優時代をご紹介します。
小原乃梨子のプロフィール
小原乃梨子さんは、1935年10月2日生まれ、
東京府東京市豊島区池袋(現・東京都豊島区池袋)の出身、
身長162センチ、
体重48キロ、
血液型はO型、
学歴は、
跡見学園中学校・高等学校卒業
趣味は、美術、クラシック音楽、バレエ鑑賞、フルート、ハープ、
ちなみに、「小原乃梨子」は本名で、結婚後は戸部法子(とべ のりこ)、愛称は、ノッコだそうです。
小原乃梨子は父親が芸事が好きだったことから幼い頃から色々な芸事に触れながら育っていた
小原乃梨子さんは、弁護士のお父さんと敬虔(けいけん)なキリスト教徒のお母さんのもと、4人きょうだい(兄1人姉1人妹1人)の次女として誕生すると、幼い頃は芸事が好きなお父さんに柳橋に連れられたりしたそうで、幼少期から色々な芸事に触れ、育ったそうです。
(お父さんは、お姉さんに花柳流、小原乃梨子さんに藤間流、妹さんに坂東流を習わせ、同じ曲を3人一緒に踊らせて見るのを楽しむような、粋な人だったそうです)
小原乃梨子は小学生の頃は体が弱く入院中は本ばかり読んでいた
ただ、小原乃梨子さんは、小学生の頃はとても体が弱く、13回も入院したそうで、病室にはテレビがなく、本ばかり読んでいたことから、お話が好きになり、やがて、読むだけではなく、自分でも書いてみたくなったそうで、
少女小説家の村岡花子さんに憧れ、物書きになりたいと思っていたそうです。
小原乃梨子は小学5年生の時に児童合唱団「虹の橋」に入団
そんな中、小原乃梨子さんは、小学5年生の時には、友達に誘われて、児童合唱団「虹の橋」に入団すると、「虹の橋」には、劇団も併設されていたことから、子役としてNHKの子供番組や舞台などに出演していたそうです。
(お父さんには反対されたそうですが、お母さんがお父さんに内緒で通わせてくれたそうです)
小原乃梨子は映画「若草物語」の次女役ジューン・アリスンを見て女優を志していた
それでも、小原乃梨子さんは、この頃はまだ、物書きに憧れていたそうですが、中学に入った頃、大好きだったルイーザ・メイ・オルコットの「若草物語」が映画化されたことで、お母さんに観に連れて行ってもらうと、
4人姉妹の次女・ジョーを演じていたジューン・アリスンを見て、
女優ってすごい!! 女優になりたい
と、思ったそうで、このことがきっかけで、女優を志すようになったそうです。
小原乃梨子は高校時代は演劇部の活動に熱中していた
そんな小原乃梨子さんは、小学校卒業後、跡見学園中学校・高等学校に進学すると、この頃は、芸能活動を休止していたそうですが、高校時代には、演劇部の活動に熱中していたそうで、学生演劇のコンクールで最終審査に残ったこともあったそうです。
また、高校時代には、文芸部にも所属していたそうです。
小原乃梨子は高校卒業後は父親の反対を押し切って芸能活動をしていた
そして、高校卒業後は、自分と同じ法曹界に進ませたいと思っていたお父さんの期待に反して、劇団の先輩の紹介でプロダクションに所属すると、テレビやラジオに出演するようになったそうで、
1957年、22歳の時には、テレビドラマ「キンピラ先生青春記」という青春ドラマで、女学生役で出演したのだそうです。
(当時はテレビ放送が始まったばかりで、ドラマも生放送だったそうです)
「【画像】小原乃梨子の若い頃はのび太やペーター!デビューからのキャラや経歴を時系列まとめ!」に続く
「アルプスの少女ハイジ」のペーター、「未来少年コナン」のコナン、「ヤッターマン」のドロンジョ、「ドラえもん」の野比のび太などの声を担当すると、一躍、お茶の間の人気を博した、小原乃梨子(おはら のりこ)さん。 今回は、そん …