1979年、ドラフト1位で阪神タイガースに入団すると、1年目からレギュラーを掴んで新人王を獲得するほか、1985年には、5番打者として21年ぶりのリーグ優勝&日本一に貢献した、岡田彰布(おかだ あきのぶ)さん。

そんな岡田彰布さんは、お父さんが阪神タイガースの有力後援者だったことから、幼い頃から阪神の選手と身近に交流できる環境で育つと、小学5年生の時には、少年野球チーム「リトルホークス」に入団して、本格的に野球を始め、

中学入学後、野球部に入ると、ホームランを連発して注目を集め、中学3年生の時には、中学野球大阪府大会でチームの優勝に大きく貢献したといいます。

今回は、そんな岡田彰布さんの、生い立ち(幼少期から中学時代まで)をご紹介します。

岡田彰布

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岡田彰布のプロフィール

岡田彰布さんは、1957年11月25日生まれ、
大阪府大阪市中央区玉造の出身、

身長175センチ、
体重77キロ、

血液型はA型、

学歴は、
私立朝陽ヶ丘幼稚園
⇒大阪市立愛日小学校
⇒明星中学校
⇒北陽高等学校(現・関西大学北陽高等学校)
⇒早稲田大学教育学部教育学科体育学専修(現・スポーツ科学部)卒業

趣味は、ジグソーパズル、将棋で、

将棋は、小学校低学年の頃からの趣味で、現役時代も、しばしば、ランディ・バース選手や川藤幸三選手と対戦していたそうです。

(2008年1月24日に、日本将棋連盟からアマ三段の免状を授与されています)

岡田彰布の幼少期は阪神タイガースの選手と身近に交流できる環境で育っていた

岡田彰布さんは、大阪市中央区玉造で「大阪紙工所」という町工場を経営するお父さんの勇郎(いさお)さんとお母さんのサカヨさんのもと、一人っ子として誕生すると、

お父さんが、阪神の有力後援者だったことから、幼い頃から、名三塁手の三宅秀史選手とキャッチボールするほか、阪神タイガースがリーグ優勝し阪神間をパレードした際には、優勝パレードの車に乗せてもらったり、引退試合に備える村山実投手のキャッチボールの相手を務めたりと、阪神タイガースの選手と交流できる環境で育ったそうです。

岡田彰布は小学4年生の時に「(南海)ホークス子供の会」に入会していた

そんな岡田彰布さんは、幼い頃から阪神タイガースの大ファンだったそうですが、当時、阪神には「子供の会」がなかったため、小学4年生の夏、「(南海)ホークス子供の会」に入ったそうです。

(南海ホークスの本拠地である、大阪球場での試合では、本塁打を放つ活躍をしたそうです)

岡田彰布は小学5年生の時に少年野球チーム「リトルホークス」に入団し本格的に野球を始めていた

そして、小学5年生の時には、少年野球チーム「リトルホークス」に入団し、本格的に野球を始めると、町内の大人の野球チームに誘われたこともあったそうで、「ピッチャーなら」という条件で応じていたといいます。

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岡田彰布は中学3年生の時に中学野球大阪府大会で優勝していた

そんな岡田彰布さんは、明星中学校入学後も野球部に入ると、ここでも、ホームランを連発して注目を集め、中学3年生の時には、中学野球大阪府大会でチームの優勝に大きく貢献したのでした。

「【画像】岡田彰布の若い頃は?高校からプロ野球現役時代までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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