1950年、7歳の時に、「仔豚のラッパ」で童謡歌手としてデビューすると、その後、「パン売りのロバさん」「南十字星の歌」などのヒットを飛ばすほか、容姿の端麗さと均整の取れた体型で「八頭身美人」と呼ばれ、少女たちの間で絶大な人気を誇った、近藤圭子(こんどう けいこ)さんですが、22歳の若さで、突然、芸能界を引退し、その後、心中未遂を起こしています。
今回は、そんな近藤圭子さんの若い頃の活躍や経歴を、童謡歌手デビューから時系列でまとめてみました。
近藤圭子のプロフィール
近藤圭子さんは、1943年3月18日生まれ、
東京府(現・東京都)の出身、
学歴は、
精華学園女子高等学校卒業です。
近藤圭子は8歳の時に「仔豚のラッパ」で童謡歌手デビュー
近藤圭子さんは、1950年、7歳の時、キングレコード専属作曲家であった山本雅之氏に師事すると、1951年、8歳の時、「仔豚のラッパ」で童謡歌手としてデビューしています。
近藤圭子は12歳の時に「パン売りのロバさん」、17歳の時に「南十字星の歌」が大ヒット
そんな近藤圭子さんは、1954年、11歳の時、キングレコード専属となると、後に音楽文化研究家となる長田暁二氏が担当ディレクターに就き、過去の名作童謡の再レコーディングを行ったそうで、
以降、
- 1955年「海ほおずきの歌」
- 1955年「パン売りのロバさん」
「パン売りのロバさん」より。 - 1959年「少女錦華の歌」
- 1960年「南十字星の歌」
- 1965年「ドレミファそらち信用金庫」
ほか、
- 「森の小人」
- 「ひまわりどけい」
- 「白い花の思い出」
- 「世界名作童話劇 白雪姫」
(※井口小夜子さんと共演)
などの童謡をリリースしています。
ちなみに、「南十字星の歌」は、石ノ森章太郎さんの漫画を原作とする同名テレビドラマ「快傑ハリマオ」の挿入歌で、近藤圭子さんは、メインキャラクターのうちの一人、令子役も演じています。
(主題歌は三橋美智也さんが歌唱しています)
「快傑ハリマオ」より。
近藤圭子は11歳の時に子役でテレビドラマ「星を見つめて」「私のお母さん」の主演を務めていた
また、近藤圭子さんは、童謡歌手として活動するかたわら、子役として、映画やテレビドラマでも活動しており、1954年、11歳の時には、テレビドラマ「星を見つめて」「私のお母さん」で主演を務めると、
その後も、
テレビドラマでは、
- 1959年には、「豹の眼」
- 1960年には、「快傑ハリマオ」
- 1962年には、「バリ島への道」
- 1963年には、「松本清張シリーズ・黒の組曲/結婚式」
映画では、
などに、出演しています。
「豹の眼」より。近藤圭子さんと大瀬康一さん。
近藤圭子は18歳の時に雑誌の人気投票で5位にランクインしていた
そんな近藤圭子さんは、童謡歌手の少女たちの中でも、容姿の端麗さと均整の取れた体型で、”八頭身美人”と呼ばれ、少女層を中心に人気を博すと、
雑誌「明星」などのグラビアに、美空ひばりさん、中村錦之助(後の萬屋錦之介)さん、三橋美智也さんなどのスターに並んで毎号登場するようになるほか、
1961年、18歳の時には、雑誌「少女」において行われたスター人気投票で、松島トモ子さん、美空ひばりさん、中村錦之助さん、古賀さと子さんに続いて5位にランクインするほどの人気を博したのでした。
“八頭身美人”と呼ばれた抜群のスタイルの近藤圭子さん。
近藤圭子は18歳の時に童謡歌手から歌謡歌手に転身し「白い花の思い出」をリリース
こうして、童謡歌手として、絶大な人気を博した近藤圭子さんですが、1961年、18歳の時には、作曲家の飯田三郎氏に師事して歌謡曲を学び、童謡歌手からの脱皮を図ると、同年には、「白い花の思い出」をリリースしています。
「白い花の思い出」より。
(「白い花の思い出」は、春日八郎さんの「炭焼太郎の唄」のB面ですが、1960代のレコードは、男性歌手&女性歌手の組み合わせが一般的だったそうです)
近藤圭子は22歳の時に芸能界を突然引退し心中未遂を起こしていた
しかし、近藤圭子さんは、1965年、22歳の時に、突然、引退宣言。
その後、近藤圭子さんは、同年(1965年)4月28日、群馬県草津の有料道路に停めた乗用車の中で、妻子ある自動車セールスマンの男性と心中未遂を起こしています。
近藤圭子の現在(80代)は?
そんな近藤圭子さんは、それ以来、公の場に出ることはなく、
そっとしておいてほしい
と、言っていたとのことです。
ちなみに、近藤圭子さんの担当ディレクターだった、長田暁二氏の著書「童謡歌手からみた日本童謡史」によると、
近藤圭子さんは、その後、ハワイに移住したそうで、(この本が出版された)1994年時点でハワイ在住と記されているようです。
(「童謡歌手からみた日本童謡史」は、1960年代の童謡歌手について書かれた本なのですが、長田暁二氏は、一時期、近藤圭子さんのマネージャーを務めていたこともあったそうで、近藤圭子さんの心中未遂についても詳しく書かれているとのことです)
一方で、テレビドラマ「豹の眼」で近藤圭子さんと共演した大瀬康一さんは、2008年、「月光仮面を創った男たち」の中で、
恋人役の圭子ちゃんはとてもいい子で、こんな子だったらお嫁にしたいなぁとさえ思いましたよ。池袋の要町あたりにお母さんと住んでいて、圭子を宜しくってすっかりお母さんにも信頼されてたの。
手を握ったこともないんですけどね。その後、確か信州の方で妻子あるメーカー勤務の男性と心中未遂。本当にショックだったなぁ。その後は芸能活動やめて本郷の東大の近くでスナックやってると聞いたけど、行った事ないんだよね。
と、語っており、
前述の長田暁二氏の話とは異なりますが、近藤圭子さんは、スナックをやった後に、ハワイに移住したのかもしれません。
また、2024年現在、近藤圭子さんの消息は不明で、すでに他界されているという話もあるようですが、真偽は不明です。
「豹の眼」撮影中のワンショット。(左より)大瀬康一さん、船床定男監督、近藤圭子さん。
1948年、8歳の時、童謡歌手としてデビューすると、10歳~11歳の時には、「ひばりと麦笛」「ママのおひざ」「子鹿のバンビ」などを歌唱し、次々と大ヒットを飛ばした、古賀さと子(こが さとこ)さん。 今回は、そんな古賀さと …