1985年7月24日、神奈川県足柄郡真鶴町の海水浴場で、海水浴中に心臓マヒにより溺れ、44歳の若さで他界された、たこ八郎(たこ はちろう)さん。

今回は、そんなたこ八郎さんの、通夜、葬儀、タモリさんによる追悼、赤塚不二夫さんによる追悼、たこ地蔵について、友人だった外波山文明さんの視点を交えてご紹介します。

たこ八郎

「たこ八郎の死因は?飲酒後に海で泳いで溺れ「タコ海に帰る」と報じられていた!」からの続き

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たこ八郎の通夜と葬儀は外波山文明の劇団の稽古場で執り行われていた

たこ八郎さんは、1985年7月24日、友人の外波山文明さんら6名で、神奈川県足柄郡真鶴町の海水浴場に遊びに行った際、海水浴中に溺れて他界されたことから、その日の夕方、棺に入れられ、ワゴン車に乗って東京に戻ってきたそうですが、

たこ八郎さんの自宅は、新宿区内にある四畳半一間のアパートだったため、たこ八郎さんの遺体は、外波山文明さんが主宰する劇団の稽古場として借りていた新宿区富久町にある一軒家の1階の広間に安置されたそうで、

お通夜は、その2階で、7月24日から26日までの3日3晩、告別式は、7月27日に行われたそうです。

(霊前には、小皿に盛られた梅干しと納豆、たこ八郎さんが大好きだったサントリーホワイトがグラスに半分ほど注がれて、供えられたそうです)

たこ八郎の葬儀は生前の遺言通り執り行われていた

葬儀は、生前、たこ八郎さんが、

俺が死んだら喪主は由利徹で葬儀委員長は赤塚不二夫、副委員長は山本晋也とトバ(外波山文明さん)がやって

俺が死んだらみんなで送ってくれよな!

と、言っていたことから、

その遺言通り行われ、タモリさん、高平哲郎さん、ビートたけしさん、菅原文太さん、柄本明さん、あき竹城さん、根津甚八さん、原田芳雄さん、小松政夫さんと、錚々(そうそう)たる顔ぶれで、とても賑やかなお葬式となったそうです。

たこ八郎の葬儀でのタモリが独特過ぎる

そして、葬儀では、水曜日の「笑っていいとも!」の生放送中に、たこ八郎さんの死を全国に伝えていたタモリさんが、

たこが海で死んだ。何にも悲しいことはない

と、独特の言い回しで追悼の意を述べたそうで、

外波山文明さんは、タモリさんのこの言葉が今でも忘れられないといいます。

(たこ八郎さんは、タモリさんのお昼の番組「笑っていいとも!」に火曜日レギュラーとして出演しており、その翌日の水曜日に他界されています)

たこ八郎の葬儀で赤塚不二夫は笑いながら泣いていた

また、赤塚不二夫さんは、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙をこぼし、出棺の時には、たこ八郎さんの額をピシャリと叩いては、

このやろう逝きやがった

と、また高笑いしながら、大粒の涙を流していたそうで、

葬儀が終わると、たこ八郎さんの師匠だった由利徹さんの先導により、参列者の三本締めが行われ、その後、たこ八郎さんの遺体を乗せた霊柩車は式場を後にしたのだそうです。

たこ八郎の葬儀での香典返しは菅原文太が差し入れたサントリーホワイトウイスキー(ポケット瓶)だった

ちなみに、外波山文明さんによると、菅原文太さんは、

(香典返しに)神津島の焼酎を取り寄せてやる

と、言っていたところ、間に合わなかったため、

当時、菅原文太さんがCMに出演していたサントリーのホワイトウイスキー(ポケット瓶)500本を進呈してくれたそうで、

外波山文明さんは、それを香典返しとしたそうです。

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たこ八郎の「たこ地蔵」が下谷法昌寺に建立されていた

その後、7月29日には、たこ八郎さんの地元・仙台で本葬が行われ、たこ八郎さんの遺骨は斉藤家(たこ八郎さんの本名)のお墓に納骨されたそうですが、

外波山文明さんは、当時、まだ存命中だったたこ八郎さんの両親の厚意で分骨してもらったそうで、同年(1985年)秋には、由利徹さん、赤塚不二夫さん、山本晋也さんと共に発起人となって、東京都台東区下谷2丁目の下谷法昌寺に、たこ八郎さんのお墓を作り、「たこ地蔵」を建てています。

ちなみに、「たこ地蔵」は、たこ八郎さんのトレードマークだった中央部だけ少し伸ばした髪型と欠損した右耳がそのまま象(かたど)られており、たこ八郎さんの座右の銘である、

めいわくかけてありがとう

と、刻まれています。

「たこ八郎の右耳は?左目は?パンチドランカーの後遺症でも苦しんでいた!」に続く

たこ地蔵
「たこ地蔵」

お読みいただきありがとうございました

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