1971年、フォークソンググループ「シュリークス」のメンバーとしてデビューし、1974年、「あの頃のぼくは」でソロデビューすると、1975年には、「なごり雪」が大ヒットを記録し、シンガーソングライターとしての地位を確立した、イルカさん。

そんなイルカさんは、ジャズ演奏家の保坂俊雄さんをお父さんに持ち、幼い頃から音楽に恵まれた環境で育ちながら、幼い頃は野生動物を助ける仕事をしたいと思っていたといいます。

ただ、中学2年生の時、ビートルズの音楽に出会うと、一転、ビートルズのようなバンドがやりたくて音楽を始めたといいます。

今回は、イルカさんの生い立ち(幼少期から女子美術大学フォークソング同好会時代まで)をご紹介します。

イルカ

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イルカのプロフィール

イルカさんは、1950年12月3日生まれ、
東京都中野区の出身、

学歴は、
東京文化中学校
⇒東京文化高校(現・新渡戸文化高校)
⇒女子美術大学卒業

お父さんは、ジャズ演奏家(テナーサックス奏者)の保坂俊雄(ほさか としお)さんで、美空ひばりさんのステージで指揮を務めたこともあったそうです。

イルカの本名は?芸名の由来は?

ちなみに、イルカさんの本名は、「神部としえ(かんべ としえ)」で、旧姓は「保坂(ほさか)」なのですが、

芸名「イルカ」の由来は、イルカさんが女子美術大学のフォークソング同好会に入ったばかりの頃、サークル活動の帰り道、皆が持っているギターケースが揺れているのを見て、

隣の学生に、

イルカの大群が泳いでいるみたいに見えない?

と、言うと、

皆が振り向いて、

えーっ?あーっ、ホントだ

と、笑ったそうで、

次回のサークルの時には、

こないだアナタ、イルカって言った子でしょ?

と、言われ、

そこから「イルカ」と呼ばれるようになり、そのまま芸名としたのだそうです。

イルカは父親が保坂俊雄で幼い頃から音楽に恵まれた環境で育っていた

イルカさんは、ジャズ演奏家(テナーサックス奏者)の保坂俊雄(ほさか としお)さんのもと誕生し、幼い頃は、いつも家では外国の音楽が流れている、音楽に恵まれた環境で育ったそうで、

小学校に入る前から、お父さんが捨てた、いらない譜面の切れ端に、最初は絵を描くなどして遊んでいたそうですが、

そのうち、

この楽譜ってものはなんなんだろう?

と、思うようになり、

お父さんから、

言葉を付けると歌になるんだよ

と、教えてもらうと、

子供の遊びの一貫として、犬、風船、汽車の歌を作曲して、勝手に口ずさむようになったそうです。

イルカは中学1年生の時にビートルズに影響を受けて音楽を始めていた

それでも、イルカさんは、幼い頃から、将来はジャングルに入って野生動物を助ける仕事をする、と心に決めていたそうで、そのためには、獣医師の免許を取ろうと思っていたそうですが、

中学1年生の時に、ビートルズが流行り出し、イギリスで爆発的にヒットしているという話を聞いたことから、ビートルズの音楽を聴いてみたところ、

これは、今までに聴いてきたものとは全てが違う。これは、まさに自分たちの世代を代表する、自分たちの音楽なんじゃないか!

ビートルズみたいなバンドがやりたい!

と、思い、音楽を始めたそうで、

イルカさんは、

私は、小さいころから声が低かったので、子供が歌うような高い歌は苦手で、逆に、ジョン・レノンのキーがピッタリだったんです(笑)。

当時、それまでの男性ボーカルの人たちの声って、とっても低かったでしょ。でも、ビートルズはキーが高くて、私の声にピッタリだったんですね。

ビートルズの曲を全部原曲キーで歌えるのが嬉しくて、学校から帰ると、毎日、ビートルズのアルバムの歌詞カードを見て歌ってました。そのうち、全部、覚えてしまいましたけど。

と、語っています。

(ただ、この頃はまだ、プロのミュージシャンになろうとは夢にも思っておらず、アマチュアのバンドを組んで、プロよりうまいバンドをやりたいと思っていたそうです)

イルカは中学生時代にNHKのクラシックギター講座を見てギターを学んでいた

こうして、イルカさんは、(エレキギターではなく)クラシックギターの小さいのを近所のお兄さんからもらい、ギターを弾くマネ事を始めたそうですが、誰も教えてくれる人がおらず、楽譜もなかったことから、ギターにコードがあるということすら知らなかったそうで、

まずは、NHKのクラシックギター講座を見て学ぶことにしたそうですが、

これは私が求めてるのとはちょっと違うのかな・・・

私、メロディーを弾くんじゃなくて、ジャンジャカジャンて弾いて歌いたいんだけど・・・

などと思いながら見ていたのだそうです。

イルカは高校1年生の時にコードを一つ覚えるたびに1曲作るようになっていた

そんな中、イルカさんは、何度もギターを弾くことに挫折しそうになっていたそうですが、高校1年生の時、友達がコードを教えてくれたことがきっかけで、コードをちゃんと理解できるようになったそうで、

コードを一つ覚えるたびに、1曲作るようにり、それが楽しくて仕方がなかったそうです。

(イルカさんは、高校では器楽クラブに入っていたそうです)

イルカは高校生時代に自分が作った歌を初めて人に聴かせていた

とはいえ、イルカさんは、(器楽クラブで皆で演奏したことはあったものの)自分の作った歌を人に聴かせたことはなかったそうですが、

ある日、放課後に、友達から聴かせてほしいと言われたことから、(人に聴かせるようなものではなかったため、恥ずかしいと思いながらも)恐る恐る歌ったところ、

その友達が、「いい歌だね」と言ってくれたそうで、とても嬉しかったそうです。

すると、そのうち、何人かが集まって聴いてくれるようになり、

また新しい歌ができたら聴かせてね

と、言われるようになっていったそうで、

イルカさんは、それが嬉しく、頑張ってまた作ろうという気になったのだそうです。

また、イルカさんは、高校時代、当時のニックネームだった「トン子」に、ビートルズの「リンゴのテーマ」をマネて、「トン子のテーマ」という曲を作り、学園祭で披露すると、評判が良く、先生からも褒められたそうで、とても嬉しかったそうです。

イルカは女子美術大学に進学するもフォークソング同好会に入部していた

それでも、イルカさんは、プロの歌手になりたいとは思っていなかったそうで、高校卒業後は、ものを創る仕事をしたいと思い、彫刻家か陶芸家になりたいと思っていたことから、高校卒業後は、女子美術大学に進学したそうです。

ただ、思わず、フォークソング同好会を窓からのぞくと、

ああやればいいのになぁ~

私ならこうやるのになぁ~

というような気持ちがムクムクと湧いてきてしまい、黙っていることができず、ついつい、フォークソング同好会のドアを開けて入部したそうで、

イルカさんは、この時のことを、

申し訳ございません!やっぱり私、自分の本能のままに生きていきます・・・って感じでしたね(笑)。

と、語っています。

(イルカさんが当初目指していた陶芸コースは、放課後も陶芸に時間を費やさなくてはならず、クラブ活動は全くできない状況だったそうで、陶芸のために大学に入ったため、クラブをあきらめて陶芸をやるべきだと思っていたそうですが、つい、フォークソング同好会をのぞいてしまったのだそうです)

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イルカは19歳の時にフォークソンググループ「シュリークス」に加入していた

こうして、女子美術大学に進学したにもかかわらず、フォークソング同好会に入部したイルカさんは、18歳の時に、コーチとして指導に来た早稲田大学のフォークソングクラブの部長だった3歳年上の神部和夫さんと知り合うと、

出会って1年経った頃、神部和夫さんに、

卒業したら、一緒に歌わないか?

と、誘われ、

(神部和夫さんは、フォークソンググループ「シュリークス」のリーダーとして、すでにレコードデビューをしていました)

イルカさんは、

うん

と、返事をしたそうで、

1970年、19歳の時、女子美術大学卒業と同時に、「シュリークス」に加入したのだそうです。

「【画像】イルカの若い頃は?デビューから現在までの楽曲や経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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