「チューリップのアップリケ」「手紙」「友よ」などを発表し、”フォークの神様”と称された、岡林信康(おかばやし のぶやす)さんですが、
“歌謡界の女王”と称された美空ひばりさんとは、「月の夜汽車」「風の流れに」などの楽曲を提供して以来、親交を深めていたといいます。
今回は、岡林信康さんの、美空ひばりさんとの出会い、美空ひばりさんとのエピソード、2010年にリリースした美空ひばりさんの楽曲をカバーしたアルバム「レクイエム~我が心の美空ひばり~」についてご紹介します。
「岡林信康の妻は?吉田日出子は元カノ!子供は息子と娘!孫がジャケットを制作!」からの続き
岡林信康と美空ひばりの出会いは?
岡林信康さんは、美空ひばりさんに、楽曲「月の夜汽車」「風の流れに」を提供しているのですが、
1975年、「月の夜汽車」のレコーディングで初めて美空ひばりさんに会うと、すぐに意気投合して、美空ひばりさんの自宅で一緒にお酒を飲み、以来、親しい仲となったそうで、
岡林信康さんは、美空ひばりさんに、初対面で、
あんた、ヒゲそったら?あんた、ヒゲそったらいい男になるのに
と、言われたことも明かしています。
岡林信康は美空ひばりと新宿ゴールデン街に飲みに行ったことがあった
また、岡林信康さんは、美空ひばりさんの希望で、新宿ゴールデン街に、美空ひばりさんと美空ひばりさんの母の喜美枝さんを連れて行ってあげたこともあったそうですが、
美空ひばりさんは、流しの歌に合わせて歌を歌い始めると、止まらなくなったそうで、次第に人が押し寄せて、通りにも人が溢れ、最終的にはパトカーまで出動する騒ぎとなったといいます。
そんな中、岡林信康さんは、ヒヤヒヤしたそうですが、なんとか、パトカーが来る前に脱出することに成功し、警察署に引っ張られることなく、事なきを得たそうです。
1975年、新宿ゴールデン街を飲み歩く、(左から)美空ひばりさん、岡林信康さん、美空ひばりさんの母・喜美枝さん。
岡林信康は美空ひばりの楽曲をカバーしたアルバム「レクイエム~我が心の美空ひばり~」をリリースしていた
そんな岡林信康さんは、2010年1月20日、美空ひばりさんの楽曲をカバーしたアルバム「レクイエム~我が心の美空ひばり~」をリリースしています。
(この「レクイエム~我が心の美空ひばり~」には、「越後獅子の唄」「お祭りマンボ」「悲しい酒」など、美空ひばりさんの大ヒット曲のほか、岡林信康さんが美空ひばりさんに書き下ろした「月の夜汽車」「風が泣いてる」など全14曲が収録されています)
岡林信康さんによると、2009年1月、自宅の机を整理していると、1975年12月16日に行われた中野サンプラザのコンサートのカセットテープを見つけたそうですが、
実は、このコンサートの終盤には、美空ひばりさんが飛び入り参加していたそうで、急に、美空ひばりさんの歌が歌いたくなり、アルバム「レクイエム~我が心の美空ひばり~」をリリースすることになったのだそうです。
(岡林信康さんは、カセットテープを発見した日から、まるでとりつかれたように美空ひばりさんの楽曲を聴く日々を送ったそうです)
ちなみに、ひばりプロダクションの加藤和也社長も、
岡林信康さんは、母とはお互いにミュージシャンという魂に共感して、生前中、深いお付き合いをさせていただいた方で、今回のレコーディングではマスタリングまで押しかけ的に参加させていただきました。
フォークの神様の岡林さんの音楽をつくる現場に携わらせていただいたことはこの上ない幸せで、天国の母に個人的に感謝しています
と、喜びのコメントを寄せています。
岡林信康は美空ひばりからの手紙の作詞に曲をつけた「レクイエム~麦畑のひばり~」をシングルカットしていた
そして、このアルバム「レクイエム~我が心の美空ひばり~」には、美空ひばりさんが岡林信康さんに送った手紙に書かれていた歌詞に、岡林信康さんが曲をつけた「レクイエム~麦畑のひばり~」が収録されているのですが、
美空ひばりさんのファンたちからの強い要望で、シングルカットされたといいます。
岡林信康さんにとって、自らの意思でシングル盤を出すのは初めてのことだったそうですが、美空ひばりさんのファンから届いた何十通もの手紙に心を動かされたそうで、
岡林信康さんは、
わしはシングル盤なんて家に1枚もない。でもひばりさんのファン、あの世代の人たちにとってシングル盤は重要なんやな。ヒット曲とはシングルであり、それが流行歌になった。ひばりさんが歌謡界の女王と呼ばれたのは、そのヒット曲がぎょうさんあったから
(ファンからの手紙の中には美空ひばりさんの料理番だったという女性からのものもあり)毎晩枕元で聴いていると書いてあって感激した。ひばりさんからの手紙で作った歌がひばりさんのファンからの手紙によってシングル化される。あらためて人の言葉というものの力を感じた
と、語っています。
(美空ひばりさんは、1975年、岡林信康さんに宛てて1通の手紙に歌詞を書いて送り、その作曲を岡林信康さんに託したそうですが、岡林信康さんは、あまりに壮大なテーマの歌詞に戸惑い、やむなく作曲を見送っていた、という経緯があったそうです)
岡林信康は美空ひばりをボーカリストとして絶賛していた
ちなみに、岡林信康さんは、ボーカリストとしての美空ひばりさんを、
ひばりさんは100年か200年に1人のあらゆるジャンルを超越した世界最高のボーカリストだと思います
(美空ひばりさんは歌が)うまいとかってレベルじゃなくて、みんなが脂汗流して必死になってる歌を、鼻歌のように歌えるんですね
と、絶賛しています。
1968年、「山谷ブルース」でデビューすると、以降、社会的タブーに鋭く踏み込んだメッセージ性の強い曲を発表し、特に、反戦フォークソングが多くの若者の心をつかみ、”フォークの神様”と称されるようにな …