「時の流れに身をまかせ」(テレサ・テンさん)、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆりさん)など数多くの楽曲をヒットさせるほか、「アンパンマンのマーチ」などテレビアニメの主題歌も手掛けた、三木たかし(みき たかし)さんですが、プライベートでは、少なくとも3度の結婚と2度の離婚をしていたようです。
今回は、そんな三木たかしさんの、結婚歴(元妻2人と最後の妻)、子供について調べてみました。

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三木たかしの元妻は?
三木たかしさんは、少なくとも3度の結婚と2度の離婚をしているようです。
ただ、三木たかしさんは、プライベートをほとんど明かしていないため、元妻2人について、どのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で、結婚、離婚に至ったかは不明です。
三木たかしの最後の妻は30歳年下の元タレント
そんな三木たかしさんの最後の奥さんは、30歳年下の元タレントで、恵理子さんと言うそうで、
ガンで闘病中の三木たかしさんを看病して看取り、葬儀では喪主を務めています。
(三木たかしさんは2006年に下咽頭ガンが判明し、2009年に他界されています)
ちなみに、三木たかしさんは、知り合いのプロデューサーに紹介されて恵理子さんと知り合ったと言われていますが、真偽は不明です。
三木たかしの子供(娘)はタレントのようこ
三木たかしさんには、息子さんと娘さんがいるそうですが、
奥さん同様、子供についても、ほとんど明かしていないため、詳細は不明です。
ただ、三木たかしさんは2番目の奥さんとの間に、女の子が少なくとも2人誕生しているようで、長女は、1984年6月6日に誕生した、タレントのようこさんです。
ようこさんは、10代の時には、「ゴールデン小雪」の名前でグラビアアイドルとして活動し、グラビアアイドルユニットを組んだり、「寝起きドッキリ」などのバラエティ番組に出演したりと芸能活動をしていたそうですが、
その後、芸能界を離れ、会社員や歯科医院の受付、居酒屋などのアルバイトとして働いていたそうです。

三木たかしさんの長女のようこさん。
三木たかしの娘・ようこはヘアヌード写真集を出版していた
ただ、そんな中、2018年、34歳の時、オファーが来て、ヘアヌード写真集「ようこ」を出版するほか、「週刊ポスト」(11月12日発売号)でヘアヌードを披露しています。
そして、その後、再び芸能界を離れていたそうですが、2021年10月1日には、会社員をしながら二足のわらじで芸能活動を再開しています。
また、ようこさんは、プライベートでは、29歳の時に結婚したそうですが、3ヶ月で離婚したそうです。
ちなみに、ようこさんは、お父さんである三木たかしさんとの思い出について、
父は母と離婚してからも、私のことをかわいがってくれました。もはや父がバツ何回かわかりませんが、交際女性ができると必ず私に紹介してくれるんです。
そしてすごく寂しがり屋。よく言っていたのは『女性と別れてつらい思いをするほど、いい曲が書ける』と。確かに父の曲にハッピーソングは少ないかもしれませんね
『歌だけは絶対に歌うな』と言われたんです(笑)。父いわく、私の歌声は人を一番不快にさせる音らしい。確かにリズム感は絶望的に悪いんですけど…。
今まで友達や彼氏とカラオケに行っても、歌ったことがありませんからね。昔、路上で歌ってCDを手売りしていたんですが、トラック運転手の方から『聞くと事故る』とクレームが入ったこともあります(笑)
などと、語っています。
さて、いかがでしたでしょうか。
三木たかしさんの、
- 三木たかしの生い立ちは?幼少期は歌手志望!妹・黛ジュンと流しをしていた!
- 三木たかしのプロフィール
- 三木たかしが幼い頃は父親の仕事が長続きせず貧困家庭で育っていた
- 三木たかしは12歳の時に独学でギターと作曲を始めていた
- 三木たかしは12歳の時に歌手に憧れ船村徹に弟子入りを志願するも作曲家になることを勧められていた
- 【画像】三木たかしの若い頃は?アンパンマンほか代表曲や経歴を時系列まとめ!
- 三木たかしが12歳の時には歌手志望も船村徹に作曲家になることを勧められていた
- 三木たかしは14歳の時にジャズベーシストの小野満に弟子入りし作曲と編曲を学んでいた
- 三木たかしは22歳の時に泉アキの「恋はハートで」で作曲家デビュー
- 三木たかしは23歳の時に「天使の誘惑」のカップリング曲「ブラック・ルーム」で作曲、編曲、コーラスを担当していた
- 三木たかしは23歳の時に妹の黛ジュンに提供した「夕月」が100万枚を売り上げる大ヒット
- 三木たかしは24歳の時に森山良子に提供した「禁じられた恋」が8週連続チャート1位&100万枚を売り上げる大ヒット
- 三木たかしは28歳~32歳の時には作詞家・阿久悠とタッグを組み「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」「若き獅子たち」「ブーメランストリート」「思秋期」を作曲
- 三木たかしは31歳の時に作曲した「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)が100万枚以上を売り上げる大ヒット
- 三木たかしは37歳~41歳の時には「めだかの兄妹」「もしも明日が…。」「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」などを作曲
- 三木たかしは43歳の時にはテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」に「アンパンマンのマーチ」と「勇気りんりん」を作曲
- 三木たかしが49歳の時には坂本冬美に作曲した「夜桜お七」がロングランヒット
- 三木たかしが60歳の時には紫綬褒章を受章
- 三木たかしは下咽頭ガンにより死去
- 三木たかしの死因は下咽頭ガン!手術は成功するも肺に転移していた!
- 三木たかしは下咽頭ガンが判明した時にはすでに進行した状態だった
- 三木たかしは手術をしなければ半年程で死亡すると医師に告げられていた
- 三木たかしは咽頭ガンがリンパ節にも転移している可能性が高いと診断されていた
- 三木たかしは13時間にも及ぶ大手術を受けていた
- 三木たかしは手術後に肺に転移が見つかり岡山の病院に転院していた
- 三木たかしの死因は下咽頭(いんとう)ガン
- 三木たかしの元妻は?再婚相手は?3度の結婚と2度の離婚!娘はようこ!
- 三木たかしの元妻は?
- 三木たかしの最後の妻は30歳年下の元タレント
- 三木たかしの子供(娘)はタレントのようこ
- 三木たかしの娘・ようこはヘアヌード写真集を出版していた
について、ご紹介しました。
貧しい中、幼少期から独学でギターと作曲を学び、12歳で妹の黛ジュンさんと飲み屋で流しをしながら家計を支えると、
後に船村徹さんに作曲家への道を勧められて、22歳で作曲家デビューを果たし、「津軽海峡・冬景色」「時の流れに身をまかせ」「夜桜お七」「アンパンマンのマーチ」など、演歌からアニメソングまで幅広いジャンルで数々のミリオンヒットを生み出して、日本の音楽界に輝かしい足跡を残した三木たかしさん。
そんな三木たかしさんの珠玉のメロディーは、今もなお多くの人々の心に響き続けており、日本の音楽史に永遠に刻まれることでしょう。
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1967年、泉アキさんに提供した「恋はハート」で作曲家デビューすると、以降、「ブーメラン・ストリート」「津軽海峡・冬景色」「時の流れに身をまかせ」など、次々とヒット曲を生み出し、演歌、歌謡曲、ポップス、アニメソングと幅広 …







