1959年、14歳の時、ジャズベーシスト・作曲家の小野満氏に師事し、1967年、「恋はハートで」で作曲家デビューすると、1968年、23歳の時には、妹の黛ジュンさんに提供した「夕月」が100万枚を売り上げる大ヒットとなり、その後も数々のヒット曲を生み出した、三木たかし(みき たかし)さん。
今回は、そんな三木たかしさんの若い頃から他界されるまでの、代表曲や経歴を時系列でまとめてみました。
「三木たかしの生い立ちは?幼少期は歌手志望!妹・黛ジュンと流しをしていた!」からの続き
三木たかしが12歳の時には歌手志望も船村徹に作曲家になることを勧められていた
三木たかしさんは、12歳の時に、歌手を目指し、作曲家で歌手の船村徹さんに弟子入りを志願したそうですが、
三木たかしさんが作曲した譜面を見た船村徹さんからは、作曲家になることを勧められたそうです。
三木たかしは14歳の時にジャズベーシストの小野満に弟子入りし作曲と編曲を学んでいた
その後、三木たかしさんは、1959年、14歳の時に、ジャズベーシストの小野満さんに弟子入りし、作曲と編曲を学ぶと、
15歳の時には、自身で作詞作曲した「恋のとりこ」で、本名の「渡辺匡」名義で歌手デビューもし、都内のダンスホールで歌を歌っていたそうです。
三木たかしは22歳の時に泉アキの「恋はハートで」で作曲家デビュー
そして、1964年、19歳の時に作曲家に転身すると、1967年、22歳の時には、作詞家のなかにし礼さんの推薦により、泉アキさんに提供した「恋はハートで」で作曲家デビューを果たしています。
「恋はハートで」
三木たかしは23歳の時に「天使の誘惑」のカップリング曲「ブラック・ルーム」で作曲、編曲、コーラスを担当していた
そんな三木たかしさんは、1968年には、妹の黛ジュンさんに作曲・編曲し、コーラスも担当した、「天使の誘惑」のカップリング曲「ブラック・ルーム」が、46万枚を売り上げる大ヒットを記録しているのですが、
黛ジュンさんの「天使の誘惑」のカップリング曲「ブラック・ルーム」
「ブラック・ルーム」の作曲者は鈴木邦彦さんの名前でクレジットされており、黛ジュンさんは、Youtubeのコメント欄に、
黛ジュンです!ブラックルームは作曲者が、鈴木邦彦先生になっていますが、正式には兄の三木たかしが作曲してくれました。
ちなみに、男性コーラスは兄、なかにし礼先生、ディレクターさんです。兄の提案で、即興で決まりました。今は亡き兄の声が、明確に聞こえます!編曲も兄です!
と、自らコメントを残しています。
三木たかしは23歳の時に妹の黛ジュンに提供した「夕月」が100万枚を売り上げる大ヒット
また、三木たかしさんは、同年、妹の黛ジュンさんに提供した「夕月」(1968年9月10日リリース)が、1968年11月時点で100万枚を売り上げる大ヒットを記録しています。
(オリコンチャート初登場6位にランクインすると、3週目から7週連続2位だったそうです)
黛ジュンさんの「夕月」
三木たかしは24歳の時に森山良子に提供した「禁じられた恋」が8週連続チャート1位&100万枚を売り上げる大ヒット
さらに、1969年(24歳)には、森山良子さんに提供した「禁じられた恋」(3月25日リリース)が、8週連続チャート1位を記録(売上80万枚~100万枚)する大ヒットとなり、
三木たかしさんは、一躍、売れっ子作曲家の仲間入りを果たしたのでした。
(この曲で、森山良子さんは、同年12月31日、「第20回NHK紅白歌合戦」に初出場しています)
森山良子さんの「禁じられた恋」
三木たかしは28歳~32歳の時には作詞家・阿久悠とタッグを組み「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」「若き獅子たち」「ブーメランストリート」「思秋期」を作曲
以降、三木たかしさんは、作詞家の阿久悠さんとタッグを組み、
- 1973年5月27日(28歳)には、「コーヒーショップで」(あべ静江さん)
- 1973年9月25日(28歳)には、「みずいろの手紙」(あべ静江さん)
- 1976年9月5日(31歳)には、「若き獅子たち」(西城秀樹さん)
- 1977年3月15日(32歳)には、「ブーメランストリート」(西城秀樹さん)
- 1977年9月5日(32歳)には、「思秋期」(岩崎宏美さん)
など、次々とヒット曲を連発しています。
三木たかしは31歳の時に作曲した「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)が100万枚以上を売り上げる大ヒット
さらに、三木たかしさんは、1977年、31歳の時には、石川さゆりさんに提供した「津軽海峡・冬景色」(1977年1月1日リリース)が100万枚を超える大ヒットを記録し、
「第19回日本レコード大賞」の中山晋平賞(後の作曲賞)を受賞するなど、名実ともに人気作曲家としての地位を確立しています。
石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」
三木たかしは37歳~41歳の時には「めだかの兄妹」「もしも明日が…。」「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」などを作曲
また、三木たかしさんは、1980年代に入ってからは、作詞家の荒木とよひささんとタッグを組み、
バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」から誕生した企画ユニット「わらべ」に提供した、
- 「めだかの兄妹」(1982年12月21日リリース)
- 「もしも明日が…。」(1983年12月1日リリース)
が、いずれも100万枚を超える大ヒットを記録すると、
テレサ・テンさんに提供した、
- 「つぐない」(1984年1月21日リリース)
- 「愛人」(1985年2月21日リリース)
- 「時の流れに身をまかせ」(1986年2月21日リリース)
は、有線放送を中心に大ヒットし、3年連続で全日本有線放送大賞、日本有線大賞を受賞する快挙を遂げるほか、「時の流れに身をまかせ」はレコード大賞の金賞に輝いています。
三木たかしは43歳の時にはテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」に「アンパンマンのマーチ」と「勇気りんりん」を作曲
その後も、三木たかしさんは、劇団四季ミュージカル「李香蘭」などの音楽を担当し、舞踏音楽家としても活躍するほか、
1988年、43歳の時には、テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」に主題歌「アンパンマンのマーチ」とエンディングテーマ曲「勇気りんりん」を提供すると、「アンパンマンのマーチ」は2011年までに着うた配信でミリオンセラーを達成しています。
(作詞は原作者でもあるやなせたかしさん)
「アンパンマンのマーチ」
三木たかしが49歳の時には坂本冬美に作曲した「夜桜お七」がロングランヒット
そして、1994年(三木たかしさん49歳)には、坂本冬美さんに提供した「夜桜お七」(1994年9月7日発売)が、演歌としては異例の速さで売れ、発売から1ヶ月あまりで15万枚を売り上げると、
以降、オリコンシングルチャートで100位以内に25週ランクインするなどロングヒットを記録し、「第36回日本レコード大賞」では作曲賞を受賞しています。
坂本冬美さんの「夜桜お七」
三木たかしが60歳の時には紫綬褒章を受章
そんな三木たかしさんは、2004年には、日本作曲家協会理事長を務めるほか、日本レコード大賞制定委員や事務局長も務めています。
また、2005年、60歳の時には、広い世代に親しみやすい音楽を作り続けた功績が認められ、紫綬褒章を受章しています。
三木たかしは下咽頭ガンにより死去
ただ、そんな三木たかしさんも、2006年に下咽頭ガンが判明すると、2009年5月11日には、下咽頭ガンにより、64歳で他界されています。
(実は、2008年には主治医に治療の術がないことを告げられていたそうですが、最後まで望みを捨てず、岡山の病院に転院し、標準的な治療法でない種類の抗ガン剤治療を受けていたといいます)
「三木たかしの元妻は?再婚相手は?3度の結婚と2度の離婚!娘はようこ!」に続く
「アンパンマンのマーチ」
「時の流れに身をまかせ」(テレサ・テンさん)、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆりさん)など数多くの楽曲をヒットさせるほか、「アンパンマンのマーチ」などテレビアニメの主題歌も手掛けた、三木たかし(みき たかし)さんですが、プ …