1960年7月、20歳の時、「二人の並木径」でレコードデビューすると、同年10月にリリースした「無情の夢」がヒットし、翌年1961年にも、「ゴンドラの唄」「背広姿の渡り鳥」が立て続けにヒットすると、1968年にリリースした「今は幸せかい」が60万枚を売り上げる大ヒットとなった、佐川満男(さがわ みつお)さん。
今回は、そんな佐川満男さんの、若い頃(レコードデビュー)から他界されるまでのヒット曲や経歴を時系列でご紹介します。
「佐川満男の生い立ちは?高校中退後は絵?10代の頃は銀馬車で人気を博していた!」からの続き
佐川満男は20歳の時「堀威夫とザ・スウィング・ウエスト」として、来日したニール・セガタのバックバンドを務めていた
大阪・難波のジャズ喫茶「銀馬車」でボーカルとして活動していた頃、東京から来た「ザ・スウィング・ウエスト」のギターでリーダーの堀威夫さん(後にホリプロ会長)に誘われ、上京した佐川満男さんは、「堀威夫とザ・スウィング・ウエスト」に所属すると、
1960年4月、アメリカの人気歌手のニール・セガタさんが来日した際には、「堀威夫とザ・スウィング・ウエスト」の一員として、ニール・セガタさんのバックバンドを務めたそうです。
佐川満男は20歳の時に「二人の並木径」でレコードデビュー
すると、その後、堀威夫さんがホリプロを設立し、
おまえ、『日本のニール・セダカ』にするから
と言って、週刊誌などに売り込んでくれたほか、
ニール・セガタさんも、「Walk with me」という曲を提供してくれたそうで、
佐川満男さんは、同年(1960年)7月5日には、「二人の並木径」(「佐川ミツオ」名義)でレコードデビューを果たしたのでした。
「二人の並木径」より。
ただ、売上は思わしくなく、その後、1960年9月には、「可愛いあの娘は拾と六」「ダッコちゃん」と、2枚のシングルをリリースするも、パッとしない状態が続きます。
佐川満男は20歳の時に「無情の夢」が大ヒット
それでも、1960年10月に、4枚目のシングル「無情の夢」をリリースすると、18万枚を売り上げる大ヒットを記録。
「無情の夢」
実は、当時は、既にロカビリーが廃れ、歌謡曲が全盛の時代となっていたほか、リバイバルブームだったことから、堀威夫さんに、児玉好雄さんが戦前に歌っていた曲「無情の夢」を歌うように言われ、嫌々歌っていたそうですが、
ジャズ喫茶「銀座ACB(アシベ)」に出演すると、お客さんからどんどんリクエストが入ったほか、地方に行くと、改札口を出た途端、女学生にキャーキャー言われるようになったそうで、売れていることが分かったのだそうです。
(佐川満男さんいわく、調子に乗り、ショーでは、勝手にアクション入れるほか、客席に降りたりと、派手なことをするようになったそうです)
佐川満男は21歳の時に「ゴンドラの唄」「背広姿の渡り鳥」が大ヒット
そんな佐川満男さんは、その後も、
- 1961年3月には、「ゴンドラの唄」
「ゴンドラの唄」 - 1961年5月には、「背広姿の渡り鳥」
「背広姿の渡り鳥」
など、立て続けにヒットを連発し、
1961年、1962年と2年連続NHK紅白歌合戦にも出場を果たしています。
佐川満男は23歳の時に人気が急降下していた
こうして、たちまち、スターダムに上り詰めた佐川満男さんですが・・・
ネフローゼ症候群という腎臓病と結核で約3ヶ月の入院生活を余儀なくされたほか、有頂天になったことで、「態度が悪い」「(今で言う)パワハラ」などと悪評が立ち、人気が急降下。
そんな中、佐川満男さんは、自身の前座をやっていた中村泰士さんと、毎晩のように2人でギターを弾きながら歌い、
ヒットを出そうな
などと、話したのだそうです。
(中村泰士さんとは、佐川満男さんが大阪・難波のジャズ喫茶「銀馬車」でボーカルとして活動していた時代、ボーカルをもう一人入れようとオーディションを実施した際、中村泰士さんが応募してきて知り合ったそうです)
佐川満男は20代前半の頃に「夢は夜ひらく」を歌わせてもらえなかった
また、ある時、佐川満男さんは、かつて少年院にいたというローディー(バンドボーイ)が、
少年院でこんな歌がはやってます
と教えてくれた曲を中村泰士さんに伝えると、
中村泰士さんは、歌詞を書き換え、「夢は夜ひらく」というタイトルをつけたそうで、
(この曲は、作曲家の曽根幸明さんが鑑別所に入っていた時に作った曲で、その曲には「♪格子窓の~」「♪鉄のワッパの~」などの歌詞がついていたそうです)
佐川満男さんは、これはいい曲だと思い、ビクターに持って行ったそうですが・・・
ビクターには、
もう君の時代は終わった
と、言われ、歌わせてもらえなかったといいます。
(ほどなくして、パチンコ店に行った際、園まりさんの歌声で「夢は夜ひらく」が流れてきたそうで、佐川満男さんはびっくりしたそうですが、中村泰士さんが5万円で権利を売ったことを後で知ったそうです)
佐川満男は28歳の時に中村泰士が10分で作った「今は幸せかい」を音楽出版社に持ち込むも相手にされなかった
そんな1968年のある日のこと、成城に住んでいた佐川満男さんの家に中村泰士さんがやって来て、ギターを弾きながら歌い出すと、3番まで10分足らずで曲(「今は幸せかい」)ができたそうで、
とてもいい曲だったことから、佐川満男さんは、オープンリールのテープに吹き込み、あちこちの音楽出版社に自ら持ち込んだそうですが・・・
佐川満男さんの悪評(態度が悪い等)は、行く先々でまだ続いていたそうで、どの音楽出版社も取り合ってくれなかったのだそうです。
佐川満男は28歳の時に「今は幸せかい」が60万枚を売り上げる大ヒット
そこで、佐川満男さんは、自費で500枚のレコードを製作し、中村泰士さんと2人でアンプとギターを持って、大阪の、バー、ナイトクラブ、キャバレーを回って歌わせてもらうと、
(友人だった上岡龍太郎さんが司会をしてくれたこともあり、ありがたかったそうです)
そのうち有線放送でかかるようになり、有線放送のリクエスト件数で1位を記録したほか、日本国内の全レコード会社からリリースを正式に打診されたそうで、
最終的には、1968年10月、本名の「佐川満男」名義で、(一番好条件だった)日本コロムビアから、「今は幸せかい」をリリースすると、60万枚を売り上げる大ヒットとなったのでした。
(翌年の1969年には、この「今は幸せかい」で、7年ぶりに「NHK紅白歌合戦」に返り咲いています)
「今は幸せかい」
佐川満男は35歳の時に歌手を廃業していた
その後、佐川満男さんは、1971年7月には、歌手の伊東ゆかりさんと結婚するのですが、
1975年5月に離婚すると、その後は、大阪の北新地にステージを備えたクラブ「ルーマーハウス・アスク」をオープンし、同年6月には、歌手を廃業したといいます。
佐川満男は38歳の時に「かんにんしてや」がヒット
ただ、やはり、ヒットが忘れられず、中村泰士さんが1977年に開催したリサイタルで伊東ゆかりさんとデュエットした「かんにんしてや」という中村泰士さんの自作曲に惚れ、伊東ゆかりさんに一緒に歌ってくれるよう頼んだそうですが・・・
別れて1年半しか経っていなかったこともあり、伊東ゆかりさんには断られたのだそうです。
そこで、佐川満男さんは、店の専属歌手だった永田カツ子さんとデュエットし、1977年12月(佐川満男さん38歳)、「かんにんしてや」をリリースすると、(佐川満男さんいわく)中ヒットを記録したのだそうです。
「かんにんしてや」
佐川満男は41歳の時に芸能活動を再開し俳優として関西で活動していた
また、そんな中、佐川満男さんは、NHKのディレクターからバーテンダー役でドラマへの出演を依頼されたそうで、このことがきっかけとなり、1980年代に入ってから芸能活動を再開すると、
地元の関西を拠点に、主に俳優として活動し、NHk連続テレビ小説「だんだん」「べっぴんさん」やテレビドラマ「相棒」などに出演しています。
佐川満男の死因は胆のう炎
そんな佐川満男さんでしたが、2003年、胃ガンが判明し、胃の3分の2を切除する手術を受けると、手術は成功し、胃ガンの再発もなかったそうですが、
2007年頃から腰の痛みがあり、2018年1月に脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術を受けると、その後、いつ頃からかは不明ですが、体調が悪くなり、自宅から通院するようになったそうで、
2023年、映画「あまろっく」の撮影中にも体調不良を訴え、2024年3月中旬に入院すると、その後、容態が悪化し、同年4月12日午前3時14分、胆のう炎により、84歳で、神戸市内の病院で他界されたのでした。
佐川満男の主なシングル一覧
それでは、最後に、佐川満男さんの主なシングルをご紹介しましょう。
- 1960年「二人の並木道」
- 1961年「熱海ブルース」
「熱海ブルース」 - 1962年「波止場仁義」
- 1963年「泣いちゃいないさ」
- 1967年「明日に夢を持ちましょう」
「明日に夢を持ちましょう」 - 1968年「今は幸せかい」
- 1969年「フランス人のように」
- 1970年「白い朝」
- 1971年「ちょっと待って下さい」
「ちょっと待って下さい」 - 1972年「女の四季」
- 1975年「離婚(第一章)」
- 1977年「かんにんしてや」
- 1987年「男は風」
「男は風」 - 2001年「かんにんしてや」
などのシングルをリリースしています。
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