16歳から24歳までの8年間、プロデビュー前の「安全地帯」でギターとキーボードと作詞を担当し、ボーカルと作曲を担っていた玉置浩二さんとゴールデンコンビを形成して、「安全地帯」の原点を支えていたという武沢俊也さん。

そんな武沢俊也さんは、プロデビュー直前に「安全地帯」を脱退しているのですが、数年後、再び玉置浩二さんから復帰を請われた際も、これを断り、北海道に残る事を選択していたといいます。

今回は、武沢俊也さんが、「安全地帯」を脱退した理由と復帰も断った理由、そして、脱退後から現在までの活動について、武沢俊也さん本人の証言を交えてご紹介します。

武沢俊也

「【画像】武沢俊也の若い頃は?「安全地帯」デビュー前は玉置浩二と黄金コンビ!」からの続き

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武沢俊也は24歳の時に「安全地帯」を脱退していた

1981年1月、ついに、「安全地帯」はキティ・レコードと契約を交わすのですが、武沢俊也さんはというと、これからという同年3月に「安全地帯」を脱退しています。

実は、武沢俊也さんは、上昇志向の強い玉置浩二さんが、練習に身が入っていなかった実兄の玉置一芳さんを脱退させる姿を目の当たりにするほか、

1980年頃からは、作詞を巡って、キティ・レコードのプロデューサーの星勝さんと激しいやりとりをする中、自信を失い、プロでやっていく重圧に耐えられず、深刻なスランプに陥っていたそうで、

やがては、詞を書くこともスタジオに行くこともできなくなって、バンド活動から距離を置くようになり、最終的に、「安全地帯」を脱退したのだそうです。

武沢俊也が脱退した後「安全地帯」は売上が振るわなかった

一方、「安全地帯」は、同年(1981年)7月、井上陽水さんのバックバンドに抜擢されて上京し、1982年2月25日には、「萠黄色のスナップ」でレコードデビューを果たすと、

その後も、

と、シングルやアルバムをリリースするのですが・・・

売り上げはどれも振るわず、パッとしない状態が続いたのでした。

武沢俊也が「安全地帯」に復帰しなかった理由とは?

そんな中、たまらず、玉置浩二さんが、北海道に残った武沢俊也さんのもとを訪ね、武沢俊也さんに「安全地帯」への復帰を請うたそうですが、武沢俊也さんは首を縦には振らなかったといいます。

(玉置浩二さんは、上京してレコードデビューしたものの、なかなかヒットに恵まれない中、武沢俊也さんの、初期の頃の「安全地帯」の抒情的で内省的な世界観を表した詞の重要性に気付いたのだそうです)

というのも、この時、武沢俊也さんは、妊娠中だった奥さんが風疹(ふうしん)にかかり、医師から、胎児に難聴の可能性がある診断を受け、堕胎を勧められていた中、奥さんと子供を生み育てることを決めていた直後だったそうで、

うれしく思いながらも、上京を断念し、家族と共に北海道にとどまることを選んだのだそうです。

とはいえ、武沢俊也さんは、2024年、NHK北海道スペシャル「安全地帯・零 ZERO ~旭川の奇跡~」のインタビューで、

悔しさと自分の選択の正しさを噛みしめる感情が入り混じった

と、その時の心境を涙ながらに語っています。

(ちなみに、その後、玉置浩二さんら「安全地帯」は、武沢俊也さんがいなくてもやっていくと決心し、この時から”北海道で音楽をやる”から”東京での成功”を第一目標に置き換えたそうで、1983年には、井上陽水さんが作詞した4枚目のシングル「ワインレッドの心」(1983年11月25日リリース)が大ヒットを記録しています)

ワインレッドの心
「ワインレッドの心」

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武沢俊也の「安全地帯」脱退後は?現在は?

「安全地帯」脱退後、武沢俊也さんは、音楽から離れ、生活の安定を求めて郵便局で働き始めたそうで、郵便局を定年退職まで勤め上げると、現在は、札幌で清掃員として勤務しているそうですが、

武沢俊也さんは、NHK北海道スペシャル「安全地帯・零 ZERO ~旭川の奇跡~」のインタビューで、

青年期、16歳から24歳迄8年間安全地帯のメンバーとして活動。夢に向かって活動していた。憧れの域を出なかった。夢から現実になっていく時に現実になりだした時にビビった。自分はそういう人間ではなかったとしか言えない。

夫婦で子供を社会に送り出した。これはこれで悪くない人生だと思う。

心では後悔なんかはしてないと思う。だけど自分を最後まで騙しきれなくてたまに夢に見る。

安全地帯のメンバーとステージの脇にいる。これからステージが始まるというところまで夢に見る。ステージには絶対上がっていない。経験したことないからね・・・

彼らは年を取ったけど音楽家として尊敬されている。

僅かだけど、若い頃、一緒にやれたということに誇りに思う。

と、現在の心境を語っています。

お読みいただきありがとうございました

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