1967年、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成し、「帰って来たヨッパライ」をリリースすると、オリコン史上初のミリオンセラーとなる大ヒットを記録し(累計売上200万枚超)、
以降、「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛をもう一度」「タイムマシンにおねがい」など、数々のヒット曲を世に送り出し、日本の音楽シーンに多大な影響を与えた、加藤和彦(かとう かずひこ)さん。
そんな加藤和彦さんは、幼い頃は、お父さんの仕事の都合で転居を繰り返していたことから、友人ができず、いつも1人で遊んでいたそうですが、
中学生になると、エルヴィス・プレスリーの映画「ブルーハワイ」などを観て、映画音楽に興味を持つようになり、高校1年生の時には、ラジオでボブ・ディランの曲を聴いたことがきっかけで、ギターを始めたといいます。
今回は、加藤和彦さんの幼少期(生い立ち)から高校時代までをご紹介します。
加藤和彦のプロフィール
加藤和彦さんは、1947年3月21日生まれ、
京都府京都市伏見区の出身、
学歴は、
神奈川県鎌倉市の小学校
⇒中央区立明石中学(現・銀座中学校)
⇒東京都立竹台高等学校
⇒龍谷大学経済学部中退
趣味は、料理、読書、ファッション、
だそうです。
加藤和彦の本名は?愛称「トノバン」の由来は?
ちなみに、「加藤和彦」は本名で、愛称は「トノバン」なのですが、
ボブ・ディランらと並んで、フォークロックの草創期から活動していたスコットランドのアーティストである、ドノヴァン・フィリップス・レイッチ(Donovan Philips Leitch)の影響を受けた歌唱法だったことから、
「ドノバン」から、「殿番」の意味合いも兼ねて「トノバン」と呼ばれるようになったのだそうです。
(本人の署名も”TonoB”だったそうです)
加藤和彦は幼少期から小学校時代まで父親の仕事の関係で転居を繰り返していた
加藤和彦さんは、京都の老舗会社である福田金属箔粉工業に勤めていたお父さんと、モダンでオシャレなお母さんのもと、一人っ子として誕生すると、
生後まもなく神奈川県に移り住み、小学4年生まで鎌倉と逗子市で過ごしたそうですが、小学5年生の時には京都に戻ると、1年後には東京・日本橋へ移り住んだそうで、転居を繰り返したそうです。
(お父さんは怒ったことがないほど穏やかな人だったそうで、有能でありながらも従順な性格だったせいか、会社の事業規模が大きくなるにつれて、あちこちに転勤させられたのだそうです)
加藤和彦は中学校時代は友達ができずいつも1人だった
そんな加藤和彦さんは、1959年、中学校入学後は、授業が終わると、1人で、銀座のプラモデル屋or本屋に立ち寄るか、そうでなければ、まっすぐ家に帰っていたそうで、
幼い頃からの度重なる転校のせいで、友達ができず、いつも1人だったそうです。
加藤和彦は中学時代にエルヴィス・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」がきっかけで映画音楽に興味を持つようになっていた
そんな中、ジャズが好きだった両親がトランペットを買い与えてくれたそうですが、すぐに近所迷惑でやめさせられ、その代わりにクラシックギターを買ってもらったそうですが、これは1度も弾かずに終わったそうで、この頃はまだ音楽を演奏することへの興味はなかったそうです。
一方、エルヴィス・プレスリーの映画「ブルーハワイ」などを観て、アメリカ的なものが好きになり、この頃から、映画音楽のレコードを聴くようになったそうです。
(また、ファッションに興味を持ち、男性ファッション雑誌「メンズクラブ」を読み始めるほか、料理が得意だったお母さんの影響で、料理にも興味を持つようになったそうです)
加藤和彦は高校1年生の時にボブ・ディランのアルバムをアメリカから取り寄せていた
そして、1963年、高校1年生の夏には、ラジオ番組で、ボブ・ディランの曲を初めて聴いて、何か引っかかるものを感じたそうで、
さっそく、銀座のヤマハにレコードを買いに行ったそうですが、日本ではまだ発売されていなかったことから、わざわざ、アメリカから輸入盤を取り寄せると、
(加藤和彦さんが取り寄せたのは、ボブ・ディランの2枚目のアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」(1963年5月末にアメリカで発売)だったそうで、日本では、1965年12月、「ボブ・ディラン!」として発売されたそうです)
取り寄せたレコードには、何の手違いか、楽譜も一緒についてきたそうで、
このことがきっかけとなり、
ああ、ギター弾きたいな
と思って、ギターを始め、ボブ・ディランの曲をコピーするようになったのだそうです。
ちなみに、加藤和彦さんは、
「じゃあ、取り寄せてください」って手続きして。なんかいっぱい書類書くのね。で、待っていると、三カ月くらいして来る。船便でね。
で、「来ました」って取りに行ったら、何か間違えたのか、楽譜も一緒に来ちゃったわけ。ソングブックみたいなのがね。それにギターのタブレットとか書いてあった。
と、語っています。
また、ボブ・ディランの曲を始めて聴いた時に感じた”何かひっかかるもの”については、
ボブ・ディランそのものと言うより、背後にあるボヘミアン(放浪者)的なものに魅かれたんだと思います
と、語っています。
「加藤和彦は大学3年でザ・フォーク・クルセダーズを解散する予定だった!」に続く
高校1年生の時、ラジオでボブ・ディランの曲を聴いたことがきっかけでギターを始め、大学生の時には、北山修さん、平沼義男さんの3人で「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成してライブ活動を展開すると、関西を中心に人気を博した、加 …