高校1年生の時、ラジオでボブ・ディランの曲を聴いたことがきっかけでギターを始め、大学生の時には、北山修さん、平沼義男さんの3人で「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成してライブ活動を展開すると、関西を中心に人気を博した、加藤和彦さん(かとう かずひこ)さんですが、
大学卒業後は、コックになるつもりだったことから、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を解散して、記念に自主制作アルバムを制作していたといいます。
今回は、加藤和彦さんの、「ザ・フォーク・クルセダーズ」結成からラジオで「帰ってきたヨッパライ」が大反響を呼ぶまでをご紹介します。
「加藤和彦の生い立ちは?中学で映画音楽!高校でボブディランをギターでコピーしていた!」からの続き
加藤和彦は大学1年生の時に北山修らと「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成していた
加藤和彦さんは、高校卒業後、京都に戻ると、母方の祖父が仏師だったことから、その後継者にと考えた両親の意向で、仏教系の龍谷大学に進学したそうですが、
大学1年生の時、アメリカン・フォーク系のバンドを組もうと思い立ち、メンバー募集をするため、「メンズクラブ」の読者欄に、
フォーク・コーラスを作ろう。当方、バンジョーと12弦ギター有り。フォークの好きな方連絡待つ
と、応募すると、
(ファッション誌での募集なら、センスのいい人が来るのでは、と考えたのだそうです)
1965年9月に投稿が掲載され、すぐに反応があったそうで、
まずは、加藤和彦さんの自宅に、京都府立医科大学生で同い年の北山修さんが自転車に乗ってやって来ると、北山修さんは、高校からカントリー・フォークをやっていたとのことで、すぐに意気投合したそうです。
また、その後も、浪人生の井村幹夫さん、芦田雅喜さん、高校3年生だった平沼義男さんが加わり、5人組のバンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成したのだそうです。
(ただ、すぐに、浪人生の井村幹夫さん、芦田雅喜さんが脱退し、加藤和彦さん、北山修さん、平沼義男さんの3人での活動となったそうです)
加藤和彦は大学時代「ザ・フォーク・クルセダーズ」として学生主催のコンサートに引っ張りだことなっていた
こうして、加藤和彦さんら「ザ・フォーク・クルセダーズ」は、週2回ほど練習で集まり、それ以外の日は個人練習に没頭したそうで、
(加藤和彦さんのギター演奏技術は抜きん出ており、難しい曲もすぐに自分のものにしたといいます)
ライブでは、アメリカン・フォークを中心に洋楽のコピーをし、2年ほど経った頃には、洋楽のコピーに飽きて、様々なジャンルの音楽を取り入れ、アレンジソングやオリジナルソングにチャレンジするようになったそうですが、
メンバー全員がお笑い好きだったことから、音楽に笑いの要素を取り入れると、北山修さんのユニークなMCやパフォーマンスで観客を沸かせたそうで、
やがて、「ザ・フォーク・クルセダーズ」は、”笑いのフォークル”と呼ばれ、学生主催のコンサートに引っ張りだことなったのだそうです。
加藤和彦は大学3年生の時に「ザ・フォーク・クルセダーズ」を解散する予定だった
ただ、加藤和彦さんは、「ザ・フォーク・クルセダーズ」の活動は、仲間と歌っていると楽しいからという理由で続けていたそうで、
音楽の道でプロになろうとは思っておらず、料理が好きだったことから、大学卒業後はコックになろうと考えていたといいます。
また、北山修さんと平沼義男さんも同じで、北山修さんは、大学卒業後は、精神科医の道に進むと決めており、1967年、加藤和彦さんが大学3年生の時には、北山修さんが医学部の学業が忙しくなったことから、「ザ・フォーク・クルセダーズ」は解散することになったのだそうです。
加藤和彦は解散記念に制作した「帰ってきたヨッパライ」が大反響となっていた
そこで、解散記念にと、(北山修さんが父親から借金し)製作費30万円で自主制作盤アルバム「ハレンチ」を300枚制作したそうですが、
(このアルバムには、これまでライブで演奏してきた「イムジン河」などをスタジオで録り直すほか、オリジナルとして「帰ってきたヨッパライ」を収録したそうです)
たった10枚しか売れず、製作費の30万円すら回収できなかったそうで、
3人でラジオ局を回り、「帰ってきたヨッパライ」を流してもらえないかとお願いして回ると、そんな必死の売り込みが功を奏し、ラジオ関西が取り上げてくれ、
しかも、ラジオで「帰ってきたヨッパライ」が流れるや、たちまち、リクエストがラジオ局に殺到し、ラジオ関西始まって以来、初めて電話線がパンクしたそうで、
「ザ・フォーク・クルセダーズ」は、一躍、時の人となったのだそうです。
「【画像】加藤和彦の若い頃は?ザ・フォーク・クルセダーズは1年で解散していた!」に続く
1967年12月、「ザ・フォーク・クルセダーズ」として、シングル「帰って来たヨッパライ」でレコードデビューすると、ミリオンセラーの大ヒットとなり、2枚目のシングル「悲しくてやりきれない」もヒットした、加藤和彦(かとう か …