1972年、フォークグループ「赤い鳥」のドラマーとしてデビューすると、以降、数多くのミュージシャンの楽曲演奏に携わり、14,000曲以上ものスタジオワークをこなして、トップドラマーの地位を確立した、村上”ポンタ”秀一(むらかみ ぽんた しゅういち)さん。
そんな村上”ポンタ”秀一さんのプライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、村上”ポンタ”秀一さんの、妻、子供(娘)についてご紹介します。
「村上ポンタ秀一の死因は?山下達郎や泉谷しげるの証言は?」からの続き
村上”ポンタ”秀一の妻は?
村上”ポンタ”秀一さんの奥さんは、ひとみさんというそうですが、
村上”ポンタ”秀一さんは、プライベートについて、ほとんど明かしていないため、奥さんとどのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。
村上”ポンタ”秀一は妻に家計を全て任せていた
また、村上”ポンタ”秀一さんは、もっぱら、破天荒な人物だったと言われているのですが、結婚後も、自由気ままに生活していたようで、
村上”ポンタ”秀一さんは、(口頭による)自叙伝「自暴自伝」で、
俺、自分の収入って今でも知らないの。すべて奥さんまかせ。いくら税金を払っているとか、全然知らない。
と、語っています。
ただ、そんな村上”ポンタ”秀一さんも、晩年は、自宅で奥さんと穏やかに過ごしていたようで、
村上”ポンタ”秀一さんの元事務所の社長・山口哲一氏は、村上”ポンタ”秀一さんの訃報に接し、自身のSNSで、
訃報を聞いた後に、PONTABOXをビクターのディレクターとして「デビュー」させ、45周年イベントも仕切った旧友で、今はフジパシフィックミュージック執行役員の吉田雅裕さんと電話で話しました。
「コロナで家にこもったのが逆に良くなかったのかな」という僕の発言に「あれだけ好き勝手やった人が、最後ひとみさん(奥さん)と二人で過ごせてよかったんだよ。」よっちゃんの優しい言葉を聞いて、救われた気持ちになりました。
僕らはポンタさんの演奏が聴けなくて残念ですが、最後の一年間を奥さんと自宅で過ごせたことは、ポンタさんらしい「運の強さ」だと思うことにしました。
と、綴っています。
村上”ポンタ”秀一の子供は娘が1人
そんな村上”ポンタ”秀一さんと奥さんの間には、奈美さんという娘さんが1人誕生しており、
村上”ポンタ”秀一さんは、奈美さんについて、口頭による自叙伝「自暴自伝」で、
うちの一人娘の奈美ができたのが、式を挙げた、まさにその翌朝なんだよ。文字通りのハネムーン・ベイビー。うちのおふくろもそうだったらしいから、”一発必中”は村上家の伝統なのかもしれないな。
と、語っています。
そんな奈美さんは、1998年9月30日にリリースされた村上”ポンタ”秀一さんのデビュー25周年記念アルバム「Welcome to My Life」内に収録されている楽曲「It Might As Well Stay Monday From Now On」に、「赤い鳥」のボーカル・山本潤子さんと共に、ツインボーカルとして参加しており、
(「It Might As Well Stay Monday From Now On」は、村上”ポンタ”秀一さんが、初めてレコーディングに参加した「赤い鳥」のアルバム「美しい星」に「月曜はブルーな日」のタイトルで収録されている楽曲)
村上”ポンタ”秀一さんも、2015年9月には、自身のSNSで、奈美さんのことを「ポン子」と紹介しているのですが、奈美さんの画像は公開しておらず、また、その後の情報もなく、奈美さんが現在どうされているのかは不明です。
ただ、奈美さんは、結婚されているということなので、主婦業に専念しているのかもしれませんね。