1972年、フォークグループ「赤い鳥」のドラマーとしてプロデビューすると、1973年頃から、本格的にスタジオミュージシャンとして活動を開始し、井上陽水さん、深町純さん、山下達郎さん、坂本龍一さん、矢野顕子さん、矢沢永吉さん、沢田研二さんほか、数々のミュージシャンの楽曲演奏に携わり、その卓越したドラムプレイで引っ張りだことなった、村上”ポンタ”秀一(むらかみ ぽんた しゅういち)さん。
今回は、そんな村上”ポンタ”秀一さんの若い頃(デビュー)から他界されるまでの活動や経歴を時系列でご紹介します。
「村上ポンタ秀一の生い立ちは?中学でホルン⇒ティンパニ!ドラムは大学中退後!」からの続き
村上”ポンタ”秀一は21歳の時に「赤い鳥」の「美しい星」でプロデビュー
村上”ポンタ”秀一さんは、1972年、フォークグループ「赤い鳥」のドラマーオーディションに合格し、1973年、22歳の時、「美しい星」でプロデビューを果たしているのですが、
「赤い鳥」の「美しい星」。
実は、「赤い鳥」のリーダー・後藤悦治郎さんは、フォークグループだった「赤い鳥」にロックを取り入れたいと、ドラムオーディションで、村上”ポンタ”秀一さんを合格にしていたといいます。
実際、村上”ポンタ”秀一さんは、一足先に「赤い鳥」に加入していたギタリストの大村憲司さんと共に、フォークグループだった「赤い鳥」に、後藤悦治郎さんの期待を上回るロックサウンドを持ち込んだそうですが、
後藤悦治郎さんは、
ただ、あの2人、ライブだととにかく音がでかい。しかも興に乗ると延々と即興演奏を続ける。『本番の舞台で練習するな』としかったこともある。
と、語っています。
村上”ポンタ”秀一は22歳の時に、大村憲司、高水健司と共に「エントランス」を結成
その後、村上”ポンタ”秀一さんは、1973年、ギターの大村憲司さんと共に「赤い鳥」を脱退し、大村憲司さん、高水健司さんと共に、「エントランス」を結成すると、
「赤い鳥」時代に知り合った五輪真弓さんのバックバンドを務めています。
村上”ポンタ”秀一は「エントランス」解散後は本格的にスタジオミュージシャンとして活動を開始していた
そして、「エントランス」解散後は、本格的にスタジオミュージシャンとして活動を開始し、
井上陽水さん、渡辺貞夫さん、深町純さん、山下達郎さん、吉田美奈子さん、坂本龍一さん、矢野顕子さん、矢沢永吉さん、沢田研二さん、さだまさしさん、山下洋輔さん、忌野清志郎さん、泉谷しげるさん、EPOさん、角松敏生さん、氷室京介さん、尾崎豊さん、DREAMS COME TRUEを始め、数々のミュージシャンのレコーディングやライブに参加しているのですが、
その数、なんと14,000曲以上ということで、村上”ポンタ”秀一さんがいかに引っ張りだこだったかが分かります。
ちなみに、村上”ポンタ”秀一さんは、様々なジャンルの楽曲を演奏する中、歌をいかに引き立てるかを考えていたそうで、そんな村上”ポンタ”秀一さんのドラムプレイは、ボーカルの邪魔をしない演奏をすることから、特にバラードで高く評価されていたそうで、
1970年代、村上”ポンタ”秀一さんを起用することが多かったという、山下達郎さんは、
ああいう曲(山下達郎さん自身の楽曲「MONDAY BLUE」のような曲)はとにかくポンタが一番だった。バラードの表現力が、とにかく圧倒的だから
と、語っています。
村上”ポンタ”秀一は24歳の時にセッションバンド「バンブー」「カミーノ」に参加
そんな村上”ポンタ”秀一さんは、1975年頃には、セッションバンド「バンブー」に参加すると、
同年(1975年)後半には、「バンブー」から発展させた「カミーノ」を結成するなどセッションミュージシャンとしても活動しています。
村上”ポンタ”秀一は27歳の時にヘロイン不法所持で逮捕されていた
ただ、1978年、27歳の時には、ヘロインの不法所持で「麻薬及び向精神薬取締法違反容疑」により逮捕されています。
(ドラムの海外修行を控えて行われた壮行コンサートの直後だったそうです)
村上”ポンタ”秀一は35歳の時に全米ツアー、36歳の時にアフリカツアーを行っていた
それでも、出所後は、再びスタジオ・ミュージシャンとして復帰すると、
1986年、35歳の時には、全米ツアーやアメリカ・モントルーで開催されたJAZZフェスティバル、1987年、36歳の時には、国際交流基金によるアフリカツアーを、ギタリストの渡辺香津美さんと共に行うなど、グローバルに活動しています。
村上”ポンタ”秀一は43歳の時にバンド「PONTA BOX」を結成
そんな村上”ポンタ”秀一さんは、1994年には、佐山雅弘さん (ピアノ) 、水野正敏さん (ベース)と共に、バンド「PONTA BOX」(ポンタ・ボックス)を結成すると、
同年、アルバム「PONTA BOX」をリリースするほか、1999年4月から6月まで、FNNスーパーニュースのオープニングも務めています。
「PONTA BOX」
村上”ポンタ”秀一は70歳で死去
ただ、そんな村上”ポンタ”秀一さんも、2001年頃(50歳頃)から、内臓や足に問題を抱えるようになったといいます。
そこで、お酒やタバコを控えるなど、体調に気を遣うようになったそうで、2020年、新型コロナウイルスが蔓延した際には、全ての仕事をキャンセルして、かかりつけの病院や散髪以外はほとんど外出せず、人にも会わない等、感染対策を徹底していたそうですが・・・
2021年2月8日、視床出血(脳出血の一種)により入院すると、同年3月9日、70歳で他界されたのでした。
「村上ポンタ秀一の死因は?山下達郎や泉谷しげるの証言は?」に続く
1972年、21歳の時、フォークグループ「赤い鳥」のシングル「美しい星」でドラマーとしてデビューして以来、歌謡曲、ジャズ、ロックなど多彩なジャンルで活躍した、村上”ポンタ”秀一(むらかみ ぽんた しゅういち)さんですが、 …