1969年、21歳の時、「アンドレ・カンドレ」名義でレコードデビューするも、鳴かず飛ばずだったことから、1971年には「ポリドール・レコード」に移籍し、1972年、ファーストシングル「人生が二度あれば」で再デビューした、井上陽水(いのうえ ようすい)さん。
そんな井上陽水さんは、その後、ファーストアルバム「断絶」が当初はパッとしなかったものの、1973年にリリースしたシングル「夢の中へ」が20万枚近いセールスを記録したことによって、連鎖的に売上を伸ばし、4年越しで50万枚をセールス。
さらに、同年(1973年)リリースした3枚目のアルバム「氷の世界」が、発売から2年で日本レコード史上初のミリオンセールスとなる大ヒットとなっています。
今回は、井上陽水さんの若い頃(「アンドレ・カンドレ」以降)から現在までの代表曲やアルバムほか経歴を時系列でご紹介します。
「井上陽水の若い頃はアンドレ・カンドレ!カンドレ・マンドレでデビューも鳴かず飛ばすだった!」からの続き
井上陽水は23歳の時に「アンドレ・カンドレ」としての活動をやめ「ポリドール・レコード」に移籍していた
1969年、21歳の時、「アンドレ・カンドレ」名義で、「カンドレ・マンドレ」「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」「花にさえ、鳥にさえ」とシングルを3枚リリースするも、全く売れなかった井上陽水さんは、早くもホリプロの人員整理の対象になってしまったそうですが、
(井上陽水さんは、この頃、月2日くらいしか仕事がなく、麻雀とパチンコに明け暮れる日々だったそうです)
そんな中、「ポリドール・レコード」で、フリーディレクターをしていた多賀英典さんから誘われ、1971年、「ポリドール・レコード」に移籍したそうです。
というのも、井上陽水さんは、以前、音楽プロデューサーの川瀬泰雄さんにデモテープを渡したことがあったそうで、そのテープを聞いた川瀬泰雄さんは、
ビートルズの影響を受けながらも、メロディが素晴らしく美しい。
と、井上陽水さんを評価していたそうで、
そのテープを川瀬泰雄さんから渡された多賀英典さんも、川瀬泰雄さん同様、井上陽水さんを評価したのだそうです。
井上陽水は23歳の時にファーストシングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たしていた
そんな井上陽水さんは、「ポリドール・レコード」から、レコードを出すことになり、初のアルバム「断絶」のレコーディングを始めると同時に、芸名を、「アンドレ・カンドレ」から現在の「井上陽水(いのうえ ようすい)」に変えると、
翌年の1972年3月1日、23歳の時には、ファーストシングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たしています。
「人生が二度あれば」
井上陽水は23歳の時にファーストアルバム「断絶」が51.1万枚を売り上げる大ヒットを記録していた
そして、同年(1972年)5月1日には、アルバム「断絶」をリリースすると、当初は売れなかったものの、
(当時は、フォークブームの全盛期で、メッセージ性の強い歌が流行しており、そんな音楽シーンにおいて、井上陽水さんの独特な世界観を持つ詩や曲はなかなか受け入れられなかったのだそうです)
徐々に売れ始め、1974年~1975年には、51.1万枚を売り上げる大ヒットを記録したそうで、
プロデューサーの川瀬泰雄さんは、売れた理由について、
当時、吉田拓郎や泉谷しげる全盛の頃で、彼らのコンサートは、みんなしゃべりが上手だった。コンサートの半分は、しゃべりで客を沸かせたりしていた。
ところが、我が陽水選手は、まるでダメ。無理してしゃべってはみたが、ぜんぜん受けない。それでも彼の歌を聞いた客からは評判がよかった。そのうち、彼がコンサートでポツリと言う言葉がウケることがあった。
僕らはそれを忘れずにメモして、次のコンサートの時にも、同じ“ポツリ”を使ったり、ともかく客に受けることで必死だった。そうした努力が実ったというのか「断絶」は売れ始めた。
と、明かしています。
ちなみに、井上陽水さんは、
おりからのフォークブームでなんとなく浮上
と、語っています(笑)
井上陽水が23歳の時には2枚目のシングル「傘がない」が注目されていた
そんな井上陽水さんは、1972年7月、23歳の時には、アルバム「断絶」よりシングルカットした、2枚目のシングル「傘がない」をリリースすると、
都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていただけども問題は今日の雨 傘がない 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
で、始まるこの曲は、
当初はヒットしなかったものの、じわじわと、聴いた人たちに軽い衝撃を与えていき、虚無的な当時の若者の真情を表現しているとして注目されます。
(現在では、井上さんの初期の頃の代表作とまで言われるようになっています)
「傘がない」
井上陽水は24歳の時にシングル「夢の中へ」が20万枚近く売り上げる大ヒット
その後、井上陽水さんは、1972年12月10日には、2枚目のアルバム「陽水II センチメンタル」をリリースすると、
「陽水II センチメンタル」
1973年3月1日にリリースした3枚目のシングル「夢の中へ」が、オリコンチャート17位にランクインし、20万枚近いセールスを記録しているのですが、
井上陽水さんは、日本語の音韻をうまくビート感に乗せたこの曲について、
みんなで歌えるように作った。
と、コメントしており、
その通り、多くの人に親しまれています。
(この「夢の中へ」の大ヒットで、当初はパッとしなかったアルバム「断絶」も連鎖的に売上を伸ばしたと言われています)
井上陽水が27歳の時にはアルバム「氷の世界」が日本レコード史上初のミリオンセールスを達成していた
また、1975年8月には、当時はまだ、LP(レコード盤)が高価だった時代にもかかわらず、1973年12月1日にリリースした3枚目のアルバム「氷の世界」が、発売から2年で日本レコード史上初のミリオンセールスを達成すると、
以降も、
- 4枚目のアルバム「二色の独楽」(1974年10月リリース)
- 5枚目のアルバム「招待状のないショー」(1976年3月リリース)
が、立て続けにオリコン1位を獲得するなど、安定した人気を誇ったのでした。
ちなみに、井上さんは、「氷の世界」について、
(物事の裏側に)確かにずっと興味があって、「氷の世界」を出す以前の歌謡曲の大半は、表の部分を表現するのがメインだった。
裏の部分なんて、わざわざ歌にしなくてもさ~っていう風潮でね(笑)。「自己嫌悪? だれがそんな歌聞きたいのよ~」って言われてたワケで。
でも僕はむしろ表面的なものはあまり好きじゃなくてね。「裏路地」が好きだったんですね、昔から(笑)。
と、語っています。
井上陽水は大麻取締法違反で逮捕されるも「”white”」「スニーカーダンサー」のセールスは好調だった
そんな絶頂期の中、井上陽水さんは、1977年9月10日(29歳)、大麻所持容疑で逮捕されると、同年10月11日には、「懲役8ヶ月、執行猶予2年」の判決が下されています。
1973年にリリースしたシングル「夢の中へ」が大ヒットしたことで、ファーストアルバム「断絶」も51.1万枚を売り上げる大ヒットとなったほか、1973年、3枚目のアルバム「氷の世界」が日本音楽史上初のミリオンセラーとなった …
ただ、その執行猶予期間中の、
- 1978年7月25日に、6枚目のアルバム「”white”」
- 1979年9月21日に、7枚目のアルバム「スニーカーダンサー」
をリリースすると、
いずれもオリコンチャート3位を獲得する、相変わらずの好調をキープしたのでした。
井上陽水は32歳の時にリリースしたアルバム「EVERY NIGHT」以降、売上が低迷していた
ただ、1980年12月5日にリリースした8枚目のアルバム「EVERY NIGHT」は、これまでと音楽性が大きく変わったせいか、売上が伸びず、
以降も、
- 9thアルバム「あやしい夜をまって」(1981年11月21日リリース)
- 10thアルバム「LION & PELICAN」(1982年12月5日リリース)
- 11thアルバム「バレリーナ」(1983年12月5日リリース)
と、売上が伸び悩んでいったのでした。
井上陽水が30代の時には「夜のヒットスタジオ」「ザ・ベストテン」などに出演していた
とはいえ、この時期にリリースした、「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」は、現在では、井上陽水さんの代表曲となっているほか、
1981年1月に、特番でテレビ初出演を果たすと、7月には、「夜のヒットスタジオ」、8月には、「ザ・ベストテン」(「いっそセレナーデ」がランクイン)と音楽番組に出演し、依然、変わらぬ人気を誇ります。
(ちなみに、「ザ・ベストテン」出演の翌週は、嘘か本当か「法事があるから」と出演を拒否しています)
1980年代、「夜のヒットスタジオ」に出演する井上陽水さん。
井上陽水は35歳~36歳の時に「ワインレッドの心」「恋の予感」「飾りじゃないのよ涙は」「いっそセレナーデ」が大ヒット
そんな井上陽水さんは、1983年11月には、「安全地帯」に詞を提供した「ワインレッドの心」が71万枚を売り上げる大ヒットを記録すると、
「ワインレッドの心」
1984年10月には、同じく「安全地帯」に詞を提供した、「恋の予感」が43万枚を売り上げる大ヒットを記録。
「恋の予感」
さらには、井上陽水さん自身も、1984年10月リリースの、「いっそセレナーデ」が35万枚を売り上げる大ヒットとなると、
「いっそセレナーデ」
1984年11月には、当時アイドル歌手だった中森明菜に詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」が、オリコン週間シングルチャート初登場1位で、62万枚を売り上げる大ヒットを記録し、
その年の12月10日付けオリコンチャートでは、
2位「飾りじゃないのよ涙は」
3位「恋の予感」
4位「いっそセレナーデ」
と、井上陽水さんの作品が上位3曲を独占する状態となったのでした。
井上陽水が36歳の時には「9.5カラット」が2回目のミリオンセラーを達成
また、1984年12月には、井上陽水さんが、これらのヒット曲をはじめとする提供曲をセルフカバーしたアルバム「9.5カラット」をリリースすると、翌年の1985年にかけて大ヒットとなり、1985年のアルバム年間売上1位を獲得。
「9.5カラット」
累計売上155万枚となり、実に「氷の世界」以来、2作目のミリオンセラーを達成したのでした。
井上陽水が40代の時にはシングル「リバーサイドホテル」「少年時代」「Make-up Shadow」がヒット
そんな井上陽水さんは、その後も勢いが衰えることなく、1988年には、「リバーサイドホテル」(1982年発売)が、フジテレビ系のドラマ「ニューヨーク恋物語」に使われると、当初は振るわなかった売上が、オリコン最高11位を記録するヒットし、
「ニューヨーク恋物語」より。(左から)夏桂子さん、五十嵐いづみさん、真田広之さん、岸本加世子さん、田村正和さん、桜田淳子さん、柳葉敏郎さん、李恵淑さん。
1991年には、映画「少年時代」の主題歌として制作した「少年時代」が、1990年のリリース当初はオリコン週間シングルチャート最高20位程度も、ソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMソングに起用されると、徐々に売上を伸ばし、最終的には累計136万枚を売り上げる自身最高の大ヒット。
「少年時代」
さらに、1993年には、「Make-up Shadow」で「第35回日本レコード大賞の金賞」を受賞しています。
「Make-up Shadow」
井上陽水は47歳~48歳の時に「PUFFY」の「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」が大ヒット
その後は、活動のペースを落としていたという井上陽水さんですが、
1996年、48歳の時、女性二人組のユニット「PUFFY」のデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」(作曲は奥田民生さん)がミリオンセラーとなる大ヒットを記録すると、
翌年の1997年にも、同じく「PUFFY」に歌詞を提供した「渚にまつわるエトセトラ」(作曲は奥田民生さん)がミリオンセラーを記録しています。
「渚にまつわるエトセトラ」
井上陽水が50歳の時には「GOLDEN BEST」がダブルミリオンの大ヒット
さらに、1999年7月28日には、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年を記念して、2枚組のベスト・アルバム「GOLDEN BEST」をリリースすると、自身3作目のミリオンセラーを記録しているのですが、
(このヒットを受けて、その1年後の2000年7月28日には、B面曲やアルバム収録曲などから井上陽水さん自身が選んだ、「裏ベスト」として、「GOLDEN BAD」をリリースされています)
その後も「GOLDEN BEST」はセールスを伸ばし続け、2003年には、売上200万枚を突破しています。
(この記念として、2003年6月には、「GOLDEN BEST」以降の楽曲とライヴ音源を収録した、「GOLDEN BEST SUPER」をリリースしています)
その他にも、2001年には、
- 「コーヒー・ルンバ」(ウーゴ・ブランコ)
- 「花の首飾り」(ザ・タイガース)
のカバーをリリースしてヒットすると、
同年、名曲をカバーしたアルバム「UNITED COVER」が、これまた、80万枚を売り上げる大ヒット。
以降は、
- 2002年には、「カシス」
- 2006年には、「LOVE COMPLEX」
- 2010年には、「魔力」
と、約4年ごとにオリジナルアルバムをリリースするにとどまり、新作の発表は少なくなっているのですが、
歌うことへの意欲は依然変わらず、全国ツアーなど、ライブ活動は続けており、2014年~2015年には、40年前に発売されたアルバム「氷の世界」を全曲歌うという「井上陽水 氷の世界ツアー」を行うと、観客を熱狂の渦に巻き込んでいます。
井上陽水は66歳の時に旧「ポリドール・レコード」に復帰しアルバム「UNITED COVER 2」をリリース
ところで、井上陽水さんは、1975年6月に、「ポリドール・レコード」を離れ、吉田拓郎さん、泉谷しげるさん、小室等さんと、「フォーライフレコード」を設立し、移籍していたのですが、
2015年には、実に40年ぶりに、古巣である旧「ポリドール・レコード」(現・ユニバーサルミュージック)に復帰し、同年7月には、復帰後第一弾となる、アルバム「UNITED COVER 2」をリリースしています。
ちなみに、このアルバムには、
- 吉田拓郎さんの「リンゴ」
- 大橋純子さんの「シルエット・ロマンス」
- 松任谷由実さんの「リフレインが叫んでる」
- The Beatlesの「I WILL」
- 宇多田ヒカルさんの「SAKURAドロップス」
など、他のアーティストのカバーのほか、
自身の「氷の世界」のカバー、「女神」「瞬き」などの新曲が収められており、井上陽水さんの魅力満点の作品になっています。
さて、いかがでしたでしょうか?
井上陽水さんの親友だったという忌野清志郎さんは、出会った頃の井上陽水さんについて、
ビートルズの曲、やってたんですよ、アンドレ・カンドレって名前で・・・やっぱり、そのネーミングがすごいと。
それから、ビートルズのコピーがうまいなって、思った、ウン。
すごい、ビートルズの曲、研究してたし、研究熱心なヤツだと思いました、ウン。
と、語っているのですが、
2015年リリースのアルバム「UNITED COVER 2」にも、ビートルズのカバーが入っており、今もなお、井上陽水さんのビートルズ愛は続いているご様子。
この機会に、是非、井上陽水さんのハジけたビートルズをお聴きになってはいかがでしょうか。
「井上陽水は大麻取締法違反で逮捕されていた!大麻に手を出した理由とは?」に続く
1973年にリリースしたシングル「夢の中へ」が大ヒットしたことで、ファーストアルバム「断絶」も51.1万枚を売り上げる大ヒットとなったほか、1973年、3枚目のアルバム「氷の世界」が日本音楽史上初のミリオンセラーとなった …