1972年、21歳の時、フォークグループ「赤い鳥」のシングル「美しい星」でドラマーとしてデビューして以来、歌謡曲、ジャズ、ロックなど多彩なジャンルで活躍した、村上”ポンタ”秀一(むらかみ ぽんた しゅういち)さんですが、2001年、50歳頃から体調を崩すと、2021年、70歳で他界されています。
今回は、村上”ポンタ”秀一さんが体調を崩した原因を、親交があった山下達郎さんや泉谷しげるさんの証言を交えてご紹介します。
「【画像】村上ポンタ秀一の若い頃から死去までの経歴は?逮捕されていた?」からの続き
村上”ポンタ”秀一は2001年頃から内臓や足に問題を抱えるようになっていた
1970年代、村上”ポンタ”秀一さんと頻繁に共演していた山下達郎さんによると、
村上”ポンタ”秀一さんは、2001年か2002年頃、心臓など、様々な問題を抱えるようになり、以降、お酒やタバコをやめて健康に気を遣うようになっていたそうですが、
2016年10月20日、村上”ポンタ”秀一さんが、ギタリストの松木恒秀さんと新宿のピットインでライブを行った際には(山下達郎さんはゲスト出演)、山下達郎さんは、村上”ポンタ”秀一さんのドラムソロを聴いて、「つらそうだな」と思ったといいます。
(村上”ポンタ”秀一さんは、公の場では、葉巻を吸っていたこともあったそうですが、山下達郎さんいわく、それは”見栄”だったとのこと)
また、「泉谷しげる with LOSER」で、共に活動した泉谷しげるさんも、村上”ポンタ”秀一さんが、2012年、「アラバキロックフェス」で再結成した際、お酒もタバコもやめ、(足や内臓を悪くしたせいで)杖をついていたことを明かしています。
村上”ポンタ”秀一は過度な飲酒が原因で体調を崩していた
ちなみに、山下達郎さんは、村上”ポンタ”秀一さんが体調を崩した原因について、
(村上”ポンタ”秀一さんが、2011年頃からだいぶやつれたことに対し)うん。すでに体調は悪かった。とにかく飲みすぎなんですよ。一にも二にも飲みすぎ。90年代だって、リハはいいんだけど、本番になると出来上がってたから
(リハ中から)飲んでました。それはもう、昔から
と、語っているほか、
(お酒を飲んでいいか共演者を)見るんです。「PONTA BOX」(※1980~1990年代に村上”ポンタ”秀一さん組んでいたバンド)とかだと(メンバーに)甘えちゃう。
とにかく寂しがり屋なんですよ。いつも誰かがそばにいないとダメ。飲んでクダを巻くようなことがあっても、『うるさい、ポンタ!』と一喝すると、シュンとするようなところがあった
とも、語っています。
また、泉谷しげるさんも、
俺もむちゃくちゃだけど、彼はその上をいってたね。酒はすごいわ、女は連れてきちゃうわで。あれは体壊すわな。もういつ死んでもおかしくないって感じで。
ドラマーってそういうやつが多いけど、度を超えて自由でしたね。みんなが我慢してることをあいつは全部やっちゃったからさ。
アラバキ(ロックフェス)で再結成した時(2012年)は酒もたばこもやめてた。つえをついてて、足と内臓やられてたとか。
普通になっちゃうポンタは嫌だなあって、みんなで言ってたんだけど、彼がまじめに節制してたことをもっと評価すべきだった。それが悔やまれるなあ。その時は治ったらやりましょうって話してたんだけどね。残念ですね。
と、語っており、
村上”ポンタ”秀一さんが体調を崩した原因は、お酒の飲み過ぎだったようです。
村上”ポンタ”秀一の死因は?
そんな村上”ポンタ”秀一さんは、新型コロナウイルスが蔓延した2020年頃は、全ての仕事をキャンセルし、ほぼ完全ステイホームを貫くなど、かかりつけの病院への通院と散髪以外は、ほとんど外出せず、人に会うことも避けている状態だったそうですが・・・
そんな中、2021年2月8日、視床出血により、自宅で倒れると、同年3月9日には、入院先の病院で意識が戻らないまま、70歳で他界されたのでした。
予定に続く