友人の黒沢健一さん黒沢秀樹さん兄弟を誘って、3人でバンド活動を開始し、1991年、「L⇔R」として、ミニアルバム「L」でデビューすると、

1995年には、7枚目のシングル「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」がミリオンセラーの大ヒットとなり、一躍、トップバンドとしての地位を確立した、木下裕晴(きのした ひろはる)さん。

今回は、木下裕晴さんの、若い頃(L⇔R時代)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

木下裕晴

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木下裕晴のプロフィール

木下裕晴さんは、1967年10月11日生まれ、
東京都の出身、

血液型はB型、

ちなみに、「木下裕晴」は本名です。

木下裕晴は23歳の頃に黒沢健一&黒沢秀樹兄弟を誘いバンド活動を始めていた

木下裕晴さんは、1990年、23歳頃、友人の黒沢健一さん黒沢秀樹さん兄弟に、「バンドを一緒にやろう」と強く誘ったそうで、このことがきっかけとなり、3人で活動するようになったそうですが、

実は、ちょうどこの頃、黒沢健一さんと黒沢秀樹さんは、東京でのバンド活動がうまくいかず、最後に、ポール・マッカートニーさんの東京ドーム公演を記念に観て、田舎に帰ろうと話していたところだったといいます。

木下裕晴は24歳の時に「L⇔R」としてミニアルバム「L」でレコードデビュー

こうして、木下裕晴さんは、黒沢健一さん黒沢秀樹さん兄弟と共にバンド活動を開始すると、黒沢健一さんが作ったデモ・テープが、元「四人囃子」のメンバーで音楽プロデューサーの岡井大二さんの耳に留まり、岡井大二さんがポリスターレコードのプロデューサーだった牧村憲一さんに紹介したことにより、

1991年11月25日、24歳の時、「L⇔R」として、ミニアルバム「L」でレコードデビューを果たしています。

ちなみに、木下裕晴さんは、「L⇔R」を結成した時は会社員だったそうですが、本格的に音楽活動をするにあたり、会社は退職したそうです。

木下裕晴は当初「L⇔R」では全く売れなかった

そんな木下裕晴さんは、その後、「L⇔R」として、

  • 1992年5月25日には、「LAZY GIRL」
  • 1992年9月26日には、「(I WANNA)BE WITH YOU」
  • 1993年6月25日には、「恋のタンブリングダウン/君に虹が降りた」
  • 1993年12月20日には、「君と夏と僕のブルー・ジーン」

と、次々とシングルをリリースするのですが・・・

売上はパッとしない状態が続いたそうです。

木下裕晴は27歳の時に7枚目のシングル「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」がミリオンセラーの大ヒット

しかし、1994年7月21日にリリースした「REMEMBER」が、オリコン週間ランキングでトップ50位内のランク入り(42位)を果たすと、

「REMEMBER」
「REMEMBER」

1994年10月21日にリリースした6枚目のシングル「HELLO, IT’S ME」は、ポッキーのCM曲とのタイアップや映画「四姉妹物語」の主題歌に起用されたことから、初のトップ10入り。

「HELLO, IT'S ME」
「HELLO, IT’S ME」

さらには、1995年5月3日にリリースした7枚目のシングル「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」も、江口洋介さん主演の「月9」ドラマ「僕らに愛を!」の主題歌に起用されると、オリコンチャート1位を記録するほか、ミリオンセラーを達成するなど、デビュー4年目にして、ついにブレイクを果たしたのでした。

「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」
「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」

木下裕晴は28歳~29歳の時に「L⇔R」としてシングル「BYE」「DAY BY DAY」「GAME」「NICE TO MEET YOU」「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」「STAND」をリリース

その後も、木下裕晴さんは、「L⇔R」として、精力的に活動を続けると、

  • 1995年10月20日には、「BYE」
  • 1995年11月17日は、「DAY BY DAY」
    「DAY BY DAY」
    「DAY BY DAY」
  • 1996年1月19日には、「GAME」
  • 1996年6月21日には、「NICE TO MEET YOU」
  • 1997年2月19日には、「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」
    「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」
    「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」
  • 1997年3月19日には、「STAND」

と、コンスタントにシングルをリリースしています。

木下裕晴は31歳の時にソロアルバム「USE YOUR NEIGHBOR’S ENTERTAINER」をリリース

ただ、そんな「L⇔R」も、1997年に活動休止すると、

木下裕晴さんは、ソロプロジェクト「USE」で活動を開始し、1999年4月21日には、アルバム「USE YOUR NEIGHBOR’S ENTERTAINER」をリリースしています。

木下裕晴は「L⇔R」解散後はスタジオ・ミュージシャン、ライブサポートとして活動していた

その後、木下裕晴さんは、スタジオ・ミュージシャンとして活動するほか、「PUFFY」や元「JUDY AND MARY」のYUKIさんなどのライブサポートをするなど、ベーシストとして活動しています。

木下裕晴
2012年、YUKIさんのライブサポートを務める木下裕晴さん。

木下裕晴は35歳の時に、黒沢健一、井澤憂飛、堀宣良と共にインディーズバンド「curve509」を結成

そんな木下裕晴さんは、2003年5月には、黒沢健一さん、井澤憂飛さん(ギター)、堀宣良さん(ドラム)共に、インディーズバンド「curve509」を結成し、

  • 2003年5月9日には、「TOO LONELY TO SEE」(シングル)
  • 2003年8月20日には、「DA DA DA」(シングル)
  • 2004年4月21日には、「curve509」(ミニアルバム)

と、シングル2枚、アルバム1枚をリリースすると、

ミニアルバム「curve509」は、タワーレコードのインディーズ・チャートで1位を記録しています。

ちなみに、木下裕晴さんが、事務所で黒沢健一さんと偶然再会した際、自身が関わっているイベントへの出演を黒沢健一さんに打診したところ、

「どうせなら一緒に出よう」と、急遽バンドを結成することになり、「curve509」を結成したのだそうです。

木下裕晴は39歳の時に「有限会社ナインアップ」の取締役に就任していた

また、木下裕晴さんは、2007年5月27日には、音楽プロダクション「有限会社ナインアップ」取締役に就任しています。

(ただ、実際に動いているのは、社長の高橋卓也さんで、所属アーティストも、2020年時点では、フジタユウスケさん1人だけだったようです)

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木下裕晴の現在は?

そんな木下裕晴さんは、2024年7月には、ボーカル・デュオユニット「パフィストリー」(PUFFYとCHEMISTRY)の解散ライブで、サポートミュージシャンとして出演しているのですが、

PUFFYの大貫亜美さんが、インスタグラムに、

ベースの木下さんはPUFFYでも長年バンマスをやっていただいてるんですが、今回はPUFFYの「渚にまつわるエトセトラ」とおケミ(CHEMISTRY)の「Let’s Get Together Now」をビックリするぐらいマッシュアップした「Let’s 渚」という曲にアレンジしてくれました!これめちゃ好評だったなー!

と、投稿しています。

(「パフィストリー」は、総合芸能プロダクション「ソニー・ミュージックアーティスツ(通称SMA)」の創立50周年を記念して結成された、PUFFYとCHEMISTRYのボーカル・デュオユニット)

お読みいただきありがとうございました

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