1970年代後半、YMOのワールドツアー参加で世界的に名前を知らしめ、ジャズやフュージョンを軸に、ロックからクラシックまで多様な音楽性で国内外で活躍すると、

超絶的な技巧と豊かな表現力で、常に音楽の新たな可能性を追求し続け、革新的な音楽活動で世界に影響を与え続けていた、渡辺香津美(わたなべ かずみ)さんですが、

2024年2月27日、70歳の時、軽井沢のアトリエで倒れ、緊急搬送されると、「脳幹出血」と診断され、意識不明の状態が2ヶ月続いたといいます。

今回は、そんな渡辺香津美さんが緊急搬送された時のこと、闘病生活、現在の病状について、妻の谷川公子さんの視点からご紹介します。

渡辺香津美

「【画像】渡辺香津美の若い頃は?デビューから現在までのアルバム(曲)や経歴は?」からの続き

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渡辺香津美は70歳の時に脳幹出血で救急搬送されていた

渡辺香津美さんは、2024年2月27日、早朝、軽井沢のアトリエで、突然、右半身のしびれを訴えて倒れ、救急搬送されると、検査の結果、「脳幹出血」と診断されたそうです。

しかも、重篤な症状で、この2週間でいつ死に至ってもおかしくないこと、仮に命が助かったとしても、重篤な後遺症は免れないことを告げられたそうです。

渡辺香津美は一命を取り留めるも意識がない状態だった

そんな渡辺香津美さんは、最も危険と言われた3日間を乗り越え、その後、一般病棟に移ったそうですが、やはり、意識は戻らないままだったそうです。

ただ、医師には、意識はなくても耳は聴こえていると言われ、妻の谷川公子さんは、絶えず、渡辺香津美さんの歴代のアルバムを流し続けたそうです。

渡辺香津美は緊急搬送されて2ヶ月後に意識を取り戻していた

すると、緊急搬送されてからちょうど2ヶ月経った午後、渡辺香津美さんの意識が戻ったそうで、

谷川公子さんが、

わたしがわかるの・・・?

と、呼びかけると、

渡辺香津美さんは、目に涙をいっぱいためて、首を縦に振ったそうで、

谷川公子さんが、本当に認識しているのか確かめるため、YesかNoで答えられる質問を何度か投げかけると、刺激に反応するだけだった左手の指先が、「そうだよ」と言うように動いたのだそうです。

そこで、谷川公子さんが驚いてその手を握ると、渡辺香津美さんの指先が強く握り返してきたそうで、そこには熱があり、それが意識的に握り返していると感じられたのだそうです。

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渡辺香津美の病状は?

その後、渡辺香津美さんは、回復期リハビリテーションに特化した病院に転院し、180日間の入院を経て、同年10月25日、軽井沢の自宅に戻ったそうですが、

(この病院の医院長は、”強気のリハビリ”で、長嶋茂雄さんも歩けるようになるなど、有名な先生だったそうです)

  • 要介護認定5、肢体不自由により障害者1級
  • 意思表示は右目のまばたきによって行われる
  • 左手の指先がわずかに動く
  • 飲み込むことが難しく、栄養は胃ろうを通じて摂取している

という状況で、

自分の力で起き上がることができず、立つことも座ることも体の向きを変えることも難しく、歩くことや走ることは言うまでもなく、楽器を手にすることもできない状態だそうです。

そのため、生活において、全面的に介護が必要で、妻の谷川公子さんが、地域の福祉サポートを受けながら在宅介護をしているそうで、

谷川公子さんは、自身のnoteに、

一言で在宅介護と言っても、
いろいろなケースがあるとは思います。
が、おしなべて、言えることは、
生半可な覚悟では継続は難しい・・・ということです。

と、綴っているのですが、

それ以上に、「心の問題」をどう和らげてあげるかが一番難しいそうで、

長年、食べることや飲むことを楽しみに、ギターを弾いてきた渡辺香津美さんが、口から食事を食べられないという現実はあまりに酷く、

その苦しみは痛みほど分かるものの、どうにもしてあげられず、途方にくれながらも、(たとえ、胃に流し込むだけの経管栄養であっても)美味しく、体に良い自然食を手作りし、渡辺香津美さん用にミキサーでペースト状にし、少しずつ時間をかけて胃に流し込んでいるのだそうです。

ただ、それでも、受け入れてくれるまで、説得に30分以上かかることもあるそうで、谷川公子さんは、それでも諦めず、渡辺香津美さんの心と身体のケアを続けているといいます。

「渡辺香津美の妻・谷川公子との馴れ初めは?現在の夫婦関係は?子供は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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