1970年7月に加藤和彦さんと結婚すると、結婚後は、加藤和彦さんが家事一切を引き受けてくれたうえ、どんなわがままも聞いてくれるなど、とてもやさしくされていたという、福井ミカ(ふくい みか)さんですが、1975年11月には、加藤和彦さんと離婚しています。
今回は、福井ミカさんの前夫(最初の夫)加藤和彦さんとの、離婚理由、離婚に至った経緯についてご紹介します。
「福井ミカの前夫(最初の夫)加藤和彦との馴れ初めは?結婚後の夫婦関係は?」からの続き
福井ミカは夫・加藤和彦と共に夫婦で「サディスティック・ミカ・バンド」として活動していた
福井ミカさんは、1971年11月、夫の加藤和彦さんが、つのだ☆ひろさんとお遊びで結成したパーティー・バンド「サディスティック・ミカ・バンド」に、ボーカルとして加わると、
(バンド名は、福井ミカさんが、料理ができず、魚に包丁を突き立てるなど、その扱いがサディスティックだったことから、「サディスティック・ミカ・バンド」と名付けられたそうです)
1972年6月5日には、「サイクリング・ブギ」でレコードデビューし、1973年5月5日には、ファースト・アルバム「サディスティック・ミカ・バンド」をリリースするなど、
当時、日本ではまだ珍しかった、夫婦在籍のロックバンドとして活動を展開しました。
(当時の日本では、夫婦でロックバンドをするどころか、女性がロックを歌うこと自体が珍しく、しかも、「サディスティック・ミカ・バンド」は、派手で奇抜なファッションに身を包んでいたため、メディアは、こぞって、福井ミカさんと加藤和彦さん夫婦を面白おかしく取り上げたそうですが、音楽的にはほとんど注目されなかったのだそうです)
福井ミカは加藤和彦とのロンドンでの暮らしを満喫していた
そんな中、加藤和彦さんは、ファースト・アルバム「サディスティック・ミカ・バンド」のレコーディングを終えた後、
2枚目のアルバムは、ブリティッシュ・ロック基調にしたかったことから、メンバーたちをロンドンの空気に触れさせようとイギリスに誘い、1ヶ月ほど、ロンドンで過ごすことにしたそうで、
福井ミカさんと加藤和彦さんは、ロンドン滞在中、コンサートやレコーディング・スタジオで音楽に触れたり、スーパーで買い出しをして自炊をしたり、連日、映画に通ったそうですが、
福井ミカさんは、そんなロンドンでの暮らしを満喫し、いつしか、イギリスで暮らし続けることを夢見るようになったといいます。
福井ミカと加藤和彦の離婚理由は?
そして、1974年、そんなロンドン滞在中のある日のこと、福井ミカさんたちは、イギリスのロックバンド「ロキシー・ミュージック」のコンサートに行ったそうですが、
その際、福井ミカさんが、休憩時間にお手洗いを探している時、向こうから歩いてくるジーンズ姿の男性にトイレの場所を聞いたそうですが、その人こそが、イギリスの大物プロデューサーのクリス・トーマスさんだったそうで、
この出会いをきっかけに、「サディスティック・ミカ・バンド」は、1974年11月、クリス・トーマスさんをプロデューサーに迎え、2枚目のアルバム「黒船」をリリースしたのですが・・・
この「黒船」のレコーディング中、福井ミカさんとクリス・トーマスさんは、不倫関係となったのだそうです。
福井ミカは離婚話の後もしばらく「サディスティック・ミカ・バンド」の活動を続けていた
その後、1975年に入り、福井ミカさんと加藤和彦さんの間には離婚話が持ち上がったそうですが、
「サディスティック・ミカ・バンド」の次のアルバム「ホット・メニュー」の制作が決まっていたことから(またしても、クリス・トーマスさんがプロデュースすることになっていたそうです)、離婚は先延ばしとなり、
(そんな中で行われた「ホット・メニュー」のレコーディングのスタジオでは、福井ミカさんとクリス・トーマスさんの関係は周囲にも隠せないほどになっていたそうです)
1975年10月には、「サディスティック・ミカ・バンド」として、福井ミカさんと加藤和彦さんは、イギリスのバンド「ロキシー・ミュージック」のイギリスツアーに帯同したのだそうです。
そして、ツアー最終日には、福井ミカさんがホテルに戻らず、クリス・トーマスさんの家に走り、「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーと共に日本へ帰国することを拒んで、クリス・トーマスさんとそのままイギリスに残ることになったそうで、
それからしばらくして、福井ミカさんが、加藤和彦さんとの離婚手続きのため帰国すると、
加藤和彦さんは、福井ミカさんの一方的なワガママにもかかわらず、その日のうちに、
君が幸せになるのなら
と、離婚届にサインをしたのだそうです。
ちなみに、福井ミカさんは、著書「ラブ&キッス英国―イギリスは暮らしの達人」で、
(加藤和彦さんは)最後まで、実に優しい人だった。でも、そんな加藤さんの「男の優しさ」を心底理解することができない未熟な私、だったと思う。
今にして思えば、加藤さんと私は「お友達夫婦」の走りとも言うべき結婚生活だった。ミカ、トノバンと呼び合い、お料理上手の加藤さんはいつでもおいしい食事を作ってくれた。
日本では、そんな夫婦はまだまだ少なかったと思う。それに、生活全般にわたって加藤さんの影響を受け、センスを磨かれたことは数え切れない。
と、綴っています。
(福井ミカさんは、加藤和彦さんと離婚した後も、ビジネスライクに「サディスティック・ミカ・バンド」を続けたかったそうですが、さすがの加藤和彦さんもこれを断り、「サディスティック・ミカ・バンド」は解散となっています)
「福井ミカとクリス・トーマスの馴れ初めは?事実婚を8年間!子供は?」に続く
1975年11月、プロデューサーのクリス・トーマスさんとの不倫が原因で、前夫・加藤和彦さんと離婚すると、その後、クリス・トーマスさんと同棲を始めたという、福井ミカ(ふくい みか)さん。 今回は、福井ミカさんと事実婚相手・ …