テレビ黎明期の1950年代からテレビ活動をスタートすると、早口のトークや個性の強いキャラクターで国民的な人気を博した、黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)さん。今回は、そんな黒柳さんの意外過ぎる幼少期をご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
黒柳さんは、1933年8月9日生まれ、
東京府東京市赤坂区乃木坂(現・東京都港区乃木坂)のご出身、
身長163センチ、
血液型はA型、
趣味・ 特技は、水中ヨガ、
学歴は、
尋常小学校(現: 公立小学校)
⇒トモエ学園
⇒香蘭女学校
⇒東京音楽大学声楽科卒業
ちなみに、「黒柳徹子」は本名で、両親が男の子が生まれると思って「徹(とおる)」という名前を考えていたところ、実際には女の子だったため「子」をつけて「徹子」となったそうです♪
家族(父親、母親、弟、妹)が凄い
黒柳さんのご家族が凄いと話題です。
まず、お父さんは、「新交響楽団(NHK交響楽団の前身)」と「東京交響楽団」のコンサートマスターを歴任した、ヴァイオリニストの黒柳守綱さん。
お母さんは、声楽家で、エッセイストの黒柳朝(くろやなぎ ちょう)さん。
すぐ下の弟さんである黒柳明兒さんは、幼くして「敗血症」で他界されていますが、二番目の弟さんは、ヴァイオリニストの黒柳紀明さん。
妹さんは、バレリーナでエッセイストの黒柳眞理さん。
と、家族全員がアーティストという凄いエリート家族です。
幼少期の黒柳さんと両親
幼少期は発達障害で小学校を退学させられていた
そんな黒柳さんは、音楽家の両親のもと、4人兄弟の長女として誕生し、裕福な家庭でお嬢様として何不自由なく育つのですが、
幼い頃は、窓際でちんどん屋に声をかけたり、机のふたを何度も開け閉めするなど、落ち着きのない、ちょっと変わった女の子だったため、先生から迷惑がられて、ついに、小学校1年生の時、退学になってしまったというのです。
ただ、黒柳さん自身は、小学校を退学になったということを、20歳になるまで知らなかったそうで、
後に、もし、小学校1年生の時にそれを聞いていたら、
電車を見ても楽しいと思わない子になっていただろうし、他に退学になった人いないかな?と探してしまう子になっていたことでしょう
と、振り返り、
母親が自由に育ててくれた事のみならず、自分の人格を認めてくれていたので、のびのびと生きて来られた
と、お母さんに感謝されていました。
幼少期の黒柳さん。
(後に、黒柳さんは、自身が「発達障害」だったことを公表されています。)
※「発達障害」とは、身体、学習、言語、行動などのいずれかにおいて、発達が遅れた状態である、脳機能障害のことをいい、主な症状として、対人関係や社会性の障害、コミュニーケーションの障害のほか、ひとつのことにこだわりが強過ぎたり、集中したり、じっとしていられないなどがあるそうですが、黒柳さんの場合は、特に、「読書障害」や「計算障害」の症状が強かったそうです。
トモエ学園での校長先生との出会い
こうして、小学校を退学になってしまった黒柳さんですが、お母さんが、黒柳さんに悟られないように、黒柳さんに合う学校を探してくれたそうで、その後、「トモエ学園」に転校。
すると、黒柳さんは、いきなり、登校初日、初めて出会った「トモエ学園」の校長先生に、前の学校のことや、飼っている犬のこと、家族のことなどを話し続けたそうで、
最後に、着ていた洋服の襟の話をし終え、ようやく、
もうこれ以上話す事はない
と、思えたそうですが(なんと4時間も話し続けたそうです)、
その間、校長先生は話を遮ることなく、最後まで話しを聞いてくれ、黒柳さんの話を最後まで聞き終わった時に、
君はここの生徒だよ。
と、言ってくれたそうで、
その後も、黒柳さんは、幼いながらに、自分がみんなから疎外されていると感じていたそうですが、校長先生に何度も、
君は、本当は、いい子なんだよ。
と言ってもらったそうで、
その後も、この校長先生の言葉は、黒柳さんをいつも元気づけてくれたのだそうです。
(ちなみに、後に戦後最大のベストセラーとなった、黒柳さんの著書「窓ぎわのトットちゃん」は、この「トモエ学園」の校長先生に捧げられたものなのだそうです。)
「黒柳徹子の少女時代は死と隣合わせ!弟は死に父親は抑留されていた!」に続く