エッセイストとして活動するかたわら、現在は「一般財団法人サイトウ・キネン・オーケストラ財団」の評議員を務め、サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)の代表として運営に携わっている、小澤征良(おざわ せいら)さんですが、

父親・小澤征爾さんの遺産相続を巡り、母親の小澤ベラ(入江美樹)さんと弟の小澤征悦さんと対立していたといいます。

今回は、精神的使命感を重視している小澤征良さんと、現実的判断を重視している母親・小澤ベラ(入江美樹)さんと弟・小澤征良さんの、複雑な家族の対立を時系列でご紹介します。

小澤征良と家族

「小澤征良の生い立ちは?若い頃から現在までの経歴や著書は?」からの続き

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小澤征良は父親・小澤征爾の身の回りのケアをしていた

小澤征良さんのお父さんである小澤征爾さんは、2005年、白内障の手術を受けると、

以降、

  • 2010年には、食道がん発覚
  • 2015年には、腰の骨を骨折
  • 2018年には、大動脈弁狭窄症手術

と、次々と病に苦しめられるようになったそうですが、

長女である小澤征良さんが中心となって、お父さんの身の回りのケアをしていたそうです。

小澤征良は”パパの面倒を見る優しい娘”から”小澤征爾の代弁者”として振る舞うようになっていた

ただ、大学卒業後、オペラの演出を手伝っていた頃は、”パパの面倒を見る優しい娘さん”という印象だった小澤征良さんは、

いつしか、”小澤征爾さんの代弁者”として振る舞うようになったそうで、現場を自ら仕切り、旧来のスタッフを排除して小澤征爾さんの周りをガードし、評論家やファンを近づけなくしてしまったといいます。

(小澤征爾さんは気さくな人柄で、かつては誰でも楽屋に招き入れておしゃべりに応じることも多かったそうです)

小澤征良は父親・小澤征爾と息子のことを魂のチームメイトと語っていた

ちなみに、小澤征良さんは、2021年、「一般財団法人サイトウ・キネン・オーケストラ財団」の評議員・理事に就任しているのですが、

同年、雑誌「クロワッサン」(2021年8月10日号)での、内田也哉子さんとの対談では、

父が病気をしてから私の生活は激変し、父を守ることを人生のプライオリティの一番にすることにした

息子が生まれてミルクをあげているときに、ふと自分の赤ちゃんのころの記憶が蘇ったの。サンフランシスコの家で、眠れない私を父が抱きかかえながら歌を歌っていた。そのフレーズや父の胸の温かみまで鮮明に。

私が6歳のときに家族で帰国したのだけれど、父はその後も3週間おきに欧米と日本を往復するような生活だった。

ものすごく多忙だったはずなのに、父とはとても濃く繋がっていると感じていて、父が病に倒れてからは、その繋がりをよりはっきりと自覚するようになったのかも……。

私はびー(息子のあだ名)とは繋がっている感じがするな。京都の霊媒師さんに聞いたのだけれど、家族には「魂のファミリーツリー」があって、父親と母親の両方とつながっていることはまずないんだって。

父と私と息子は同じ霊系(魂の系列)で、母と弟が同じらしいの。たしかに、私は父と同じ土でできている感覚があり、母と弟はすごく似ていて気も合う。びーはじい(父)が大好きだし、父もびーを溺愛している。

と、息子さんと合わせて”3人で魂のチームメイト”と言うほど、お父さんとの深い絆を語っています。

小澤征良は弟・小澤征悦より父・小澤征爾の希望を優先させていた

そんな中、2021年9月には、小澤家の分断を象徴する出来事があったといいます。

小澤征良さんの弟の小澤征悦さんは、NHKのアナウンサー桑子真帆さんとの結婚を控えていて、小澤征爾さんの誕生日(9月1日)に、両家で集まり、小澤征爾さんの眼の前で、結婚指輪の交換をすることを計画していたそうですが、

小澤征爾さんは、当日、松本で行われる音楽イベントに行くことを強く望んでいたことから、お父さんの気持ちを組んだ小澤征良さんが、都内ではなく「(指輪を交換するなら)松本に来るように」と、弟の小澤征悦さんに伝えたのだそうです。

ただ、この時は、コロナ禍だったため、NHK職員の県外移動が困難だったことに加え、お父さんの体調も考慮して、小澤征悦さんは、東京から長野に行くのはやめたほうがいいと主張したそうですが、

小澤征良さんは譲らず、弟の結婚より、音楽家としての父の希望を優先させ、体調が悪い小澤征爾さんをストレッチャーで会場に運んでまで、松本の音楽イベントに参加させたそうで、結果として小澤征悦さん側の希望は叶わなかったのだそうです。

小澤征良は父・小澤征爾の個人事務所存続を巡って、母・小澤ベラ(入江美樹)と弟・小澤征悦と対立していた

さらに、家族が対立する出来事は続き、お母さんの小澤ベラ(入江美樹)さんと弟の小澤征悦さんは、2022年11月、小澤征爾さんが指揮を執れなくなって以降、維持費のかかる小澤征爾さんの個人事務所を閉め、オーケストラを他の人に任せるべきだと考えていたそうですが、

小澤征良さんはこれにも猛反対したそうで、「世界のオザワ」の文化と魂を受け継ぐ使命感に燃え、事務所の存続を主張して、お母さんの小澤ベラ(入江美樹)さん、小澤征悦さんと、自宅で療養していた小澤征爾さんのベッドを挟み、激しい言い合いになることもあったそうで、

某オペラ関係者は、

タクトを振れば1回の演奏で500万円以上が相場で、それとは別に音楽監督料や商標使用料が支払われる。さらに出演料とは別に、数千万単位のマネジメント料を受け取っていたため、事務所を清算してしまえばそれらの収入を失うことになります。

征爾さんが表に出られなくなってスタッフが次々に去った後も、征良さんは何とかして事務所を存続させようと躍起でした

と、語っています。

(年間3億円近い収入があったそうです)

小澤征良は父・小澤征爾の相続でも母・小澤ベラ(入江美樹)と弟・小澤征悦と対立していた

また、家族の話し合いは、個人事務所の問題だけではなく、相続の話にも及んだそうで、

小澤征爾さんの某知人は、

土地の一部はすでに妻のベラさんが譲り受けていましたが、大部分は征爾さんの名義のままになっていたんです。きちんとしておかなければならないのは当然のことですが、時には怒号が飛び交うほどの激しい口論になることもあったそうです。

征爾さんは妻や子供たちの話をただ黙って聞いているだけで、周囲はあれでは気が休まらず、治る病気も治らないと心配していました

と、語っています。

(小澤征爾さんの資産は、東京・成城の一等地に750㎡の土地、世界各地に別荘などがあり、30億円は下らないと言われました)

小澤征良は父・小澤征爾の最大の理解者だった?

そんな中、小澤征爾さんは、2024年2月6日に他界されているのですが、

小澤征良さんは、その最後の時を、

父は嬉しそうな顔で穏やかに目をつぶっていました。『I LOVE YOU』といつものように寝る前に手をさすったら、私の指をギュッと握り返してくれて、目をつぶっていても『わかっているよ』と合図してくれていました

と、綴っています。

ちなみに、小澤征爾さんは、若い頃、

音楽のためなら家族を泣かせてもいい

と、語っていたそうですが、

小澤征良さんは、そんな小澤征爾さんの価値観を最も理解しており、小澤征爾さんも、娘の小澤征良さんが最大の理解者だったと認めていたのかもしれませんね。

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小澤征良の家系図

それでは、最後に、小澤征良さんの家系図をご紹介しましょう。

小澤征良の家系図
小澤征良さんの家系図。

「小澤征良の結婚相手(前夫)は?子供は息子1人!離婚後は実家で小澤征爾と同居!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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