鋭さと繊細さを併せ持つドラミングに加え、ドラムを叩きながら歌うスタイルで、日本のロック史上唯一無二のミュージシャンと称されている、ジョニー吉長(じょにー よしなが)さん。
そんなジョニー吉長さんは、20歳の時には、1968年のミス・ユニバース日本代表の人気モデルで、ジャニース事務所の初めての女性タレントだった、飯野矢住代(いいの やすよ)さん(19歳)と交際していたといいます。
今回は、ジョニー吉長さんと飯野矢住代さんの馴れ初め、交際に発展した経緯、ヒモ同然だったという同棲生活について、ご紹介します。

「【画像】ジョニー吉長の若い頃は?Charらとバンドほか映画やドラマにも出演!」からの続き
ジョニー吉長の元カノ・飯野矢住代との馴れ初めは?
ジョニー吉長さんは、1968年、19歳の時、ジョー山中さんに誘われて上京し、バンド「カニバルス」で活動していたそうですが、
そんな中、1969年1月末、1968年のミス・ユニバース日本代表の人気モデルだった飯野矢住代さんと、数人のバンドマンと一緒に六本木に繰り出した際、
飯野矢住代さんが、
誰か私と焼き肉を食べに行かない?
と、呼びかけたことから、
ジョニー吉長さんが、
俺、行きたいな
と、言うと、
飯野矢住代さんは、
じゃあ、行こうよ。ごちそうするから
と、言ったそうで、
ジョニー吉長さんと飯野矢住代さんは、初対面だったにもかかわらず、二人で焼き肉を食べに行ったのだそうです。
そして、この時、二人は、お互いの身の上話をしたそうですが、幼い頃の境遇があまりにも似ていたことから、早くも、心を通わせるようになったといいます。
(飯野矢住代さんも、婚外子(お母さんが芸者でお父さんの愛人)として誕生したそうで、幼い頃は裕福な環境で育つも、9歳の時にお父さんが事業に失敗し、以降、貧しい生活を余儀なくされ、中学卒業後は、貧しい家計を支えるため、高校には進学せず、モデルや作詞などのアルバイトをしていたそうです)
ジョニー吉長は飯野矢住代と交際・同棲を始めるもヒモ同然だった
やがて、ジョニー吉長さんと飯野矢住代さんは交際するようになると、原宿のマンションで一緒に暮らすようになったそうですが、
ジョニー吉長さんが、まだ売れないバンドマンだった一方で、飯野矢住代さんは、ミス・ユニバース日本代表の人気モデルで、女優、モデルとしての活動のほか、クラブ「姫」でホステスとしても勤務し、人気ナンバーワンだったことから、飯野矢住代さんが生活を支えていたといいます。
しかも、ジョニー吉長さんが所属するバンド「カニバルス」の活動資金(スタジオ代、楽器代、移動費、ライブのチケットノルマなど)も飯野矢住代さんが捻出していたそうで、ジョニー吉長さんは、いわゆるヒモ同然の状態だったといいます。
さらには、飯野矢住代さんは、クラブ「姫」のマダムである山口洋子さんに給料の前借りを頼んでいたそうで、ジョニー吉長さんだけではなく、「カニバルス」のバンドメンバーの生活の面倒も見ていたのでは、と考えられています。
飯野矢住代はジョニー吉長と交際・同棲する前は裕福な大学生と交際していた
そんな飯野矢住代さんは、実は、ジョニー吉長さんと出会った際、裕福な大学生と交際していたそうですが、その彼と別れて、ジョニー吉長さんと交際を始めていたそうで、
なぜ裕福な大学生と別れて、貧しいバンドマンと付き合うようになったのか
玉の輿を捨てるなんて、どうかしているんじゃないか
と、マスコミに散々書きたてられたといいます。
ただ、飯野矢住代さん本人はというと、ジョニー吉長さんとの暮らしに幸せを感じていたそうで、
「週刊平凡」(1970年1月15日号)は、この頃のジョニー吉長さんと飯野矢住代さんの関係について、
毎日、矢住代は、マーガレット、ピンクのバラをいっぱい買って部屋を飾った。ジョニィのために、バスルームには、ヒゲソリ用の拡大鏡のついた鏡を入れた。ふたりにとっては、オトギ話のような楽しい生活がスタートした。
それは、すてきな男性とお花に囲まれた城で暮らす、矢住代の幼いころからの夢をかなえたし、誤解と中傷の渦巻く外界からふたりを守る、ただひとつの安息所でもあった
と、報じています。
ジョニー吉長と飯野矢住代はグラビア写真が雑誌「プレイボーイCUSTOM」に掲載されていた
ちなみに、ジョニー吉長さんと飯野矢住代さんが原宿のマンションで同棲を始めて半年後には、雑誌「プレイボーイCUSTOM」(1969年11月15日号)で、「GUAMのPRE-HONEYMOON 68ミス・ユニバース飯野矢住代+吉長信喜」とのタイトルで、2人のグラビアが掲載されているのですが、
このグラビアはグアムで撮影されたそうで、波と戯れながら裸で抱き合うなどの刺激的な写真が撮影され、何枚も掲載されたといいます。
(そんな中、ジョニー吉長さんの音楽活動は、相変わらずパッとしなかったそうです)
「ジョニー吉長と飯野矢住代の破局理由は?息子が生後24時間で死去していた!」に続く
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1969年、ミス・ユニバース日本代表の人気モデルだった飯野矢住代さんと交際・同棲を始めると、飯野矢住代さんが生活費の全てを賄ってくれたうえ、バンドの活動資金も捻出してくれるなど、至れり尽くせりだったという、ジョニー吉長( …







