1980年代、「六本木心中」「あゝ無情」「WOMAN」などヒットを連発して、女性を中心に絶大な人気を博し、日本の女性ロックシンガーのさきがけ的存在となった、アン・ルイス(あん るいす)さん。
そんなアン・ルイスさんは、プライベートではミュージシャンの桑名正博さんと結婚&離婚をしています。
今回は、アン・ルイスさんの前夫・桑名正博さんとの、馴れ初め、離婚に至った経緯、離婚理由、離婚後の関係、桑名正博さんの告別式に参列しなかった理由などについてご紹介します。

「【画像】アン・ルイスの若い頃から現在までのヒット曲は?引退していた?」からの続き
アン・ルイスの前夫・桑名正博との馴れ初めは?
アン・ルイスさんは、1980年3月、23歳の時、ミュージシャンの桑名正博さん(26歳)と結婚しています。
アン・ルイスさんと桑名正博さんは、音楽業界のパーティーで知り合うと、お互いの音楽性に惹かれ合い、すぐに親密となって交際をスタートさせたと言われているのですが、
実際、アン・ルイスさんが1979年にリリースしたアルバム「PINK POUSSY CAT(ピンク・キャット)」(山下達郎さんプロデュース)の制作には、桑名正博さんも参加しており、音楽性に惹かれ合っていたことが分かります。
アン・ルイスは前夫・桑名正博から唐突にプロポーズされていた
そんな二人は、ロサンゼルスで結婚したそうですが、
アン・ルイスさんによると、ロサンゼルスで桑名正博さんが、突然、
オレ、明日結婚するよ
と、宣言(プロポーズ)したそうで、
当初、アン・ルイスさんは、ドレスや結婚指輪もなく、お父さんやお母さんはどうするのかと、桑名正博さんに迫ったそうですが、
最終的には、
2人っきりでパーッとやっちゃうのも楽しいね
と、このプロポーズを承諾したそうで、
ロサンゼルスの友人の家を借り、出席者数名のアットホームな結婚式を挙げたのだそうです。
アン・ルイスは前夫・桑名正博と東京プリンスホテルで結婚披露宴を行っていた
そして、1980年5月8日には、東京プリンスホテルで結婚披露宴を執り行うと、多くの芸能関係者が出席する華やかなものとなったそうですが、
中でも、ひときわ注目を集めたのが、この年の3月に婚約発表をしたばかりの山口百恵さんと三浦友和さんだったそうで、
山口百恵さんは、桑名正博さんに、
アンをよろしくね
と、声をかけたと言われています。
(アン・ルイスさんと山口百恵さんは、2人でアメリカ旅行に行くほどの大の親友だったそうです)
アン・ルイスは前夫・桑名正博と結婚に際し4つの約束を交わしていた
そんなアン・ルイスさんと桑名正博さんは、結婚に際し、4つの約束を交わしたといいます。
それは、
- 酒を飲んでも午前2時までに帰る
- 嘘をつかない
- 地方公演に行ったら家に電話をかける
- 浮気してもいいけど、バレないようにする
というものだったといいます。
アン・ルイスは相次いで不祥事を起こした桑名正博とは口論が絶えなかった
そして、翌1981年には、長男が誕生し、幸せな日々を送っているかと思われていたのですが・・・
桑名正博さんが、同年(1981年)9月、19歳の女性ファンへの強制わいせつ致傷容疑で逮捕されると(後に示談が成立し不起訴)、
同年12月にも、9月に大阪の実家で開いたパーティーで大麻を使用していたとして、大麻取締法違反とコカイン所持などで逮捕されており、
アン・ルイスさんと桑名正博さんは口論が絶えなかったといいます。
アン・ルイスと桑名正博は復縁と破局を繰り返した末に離婚
そんな中、1983年3月、アン・ルイスさんは、別居に踏み切ったそうで、置き手紙を残し、幼い長男を連れて東京都内の母親の自宅に身を寄せたといいます。
そして、その後、復縁と破局を繰り返すと、ついには、1984年4月7日、アン・ルイスさんと桑名正博さんは正式に離婚したことを発表。
アン・ルイスさんは、取材に対し、
今から思うと随分前からもうダメだと思っていた。別居を始めたころからかな。でも美勇士(長男)のために、もう一度やり直せたらいいと思ってもいた
と、語っています。
アン・ルイスと桑名正博の離婚理由は?
ちなみに、アン・ルイスさんは、離婚理由について明かしていませんが、考えられる主な理由についてご紹介します。
桑名正博の女性問題・大麻パーティーなどの不祥事
桑名正博さんは、酒癖が悪く、日頃から女性関係も派手だったそうですが、さらに、女性関係のトラブルや大麻パーティーなどの不祥事で、夫婦間の信頼関係が崩れていたそうで、アン・ルイスさんが我慢できなくなったと言われています。
(桑名正博さんが、事件を起こして謹慎中だったにもかかわらず子育てに協力しないことにも、アン・ルイスさんは不満を漏らしていたと言われています)
義母との確執
また、アン・ルイスさんは、結婚当初から、桑名正博さんの実家と折り合いが悪かったといいます。
(桑名正博さんの実家は資産家の名家)
というのも、アン・ルイスさんが、まだ幼い長男を自宅マンションに1人残したまま、年下のミュージシャンとデートに行っていたことに対し、
義母が、”満足に子育てもできない夜遊び好きの女”と、快く思わず、
アン・ルイスさんも、そんな義母に対し、
あの人たちの顔を見るのも嫌!
顔を見ると息が詰まりそうになる
と、漏らしていたといいます。
アン・ルイスは桑名正博と離婚当初は長男の親権を取るも10年後には親権を桑名家に譲渡していた
また、離婚後、当初はアン・ルイスさんが長男の親権を取っていたそうですが、
(このことで、義母との関係はさらに悪化したそうです)
- アン・ルイスさんが、思春期を迎える息子の教育に自信を持てなくなった
- 義母側が(アン・ルイスさんに育てられた孫を不憫に思い)「孫を取り戻したい」と強い意向を示した
ことにより、アン・ルイスさんは、長男が中学に進学する1994年には、親権を桑名家に譲渡したといいます。
ちなみに、アン・ルイスさんは、親権を譲渡した後も、4年に1度、ロサンゼルスから帰国して長男と会っていたそうですが、桑名家の実家に足を踏み入れることは二度となかったと言われています。
(桑名正博さんは、アン・ルイスさんと離婚後、再婚しています)
アン・ルイスが前夫・桑名正博の告別式に参列しなかった理由とは?
そして、2012年7月15日未明、桑名正博さんが大阪市内の自宅で倒れ、脳幹出血で意識不明の状態が続くと、その後、アン・ルイスさんは、長男の美勇士さんから、桑名正博さんが危篤状態であるとの連絡を受けたそうですが、
その際には、10秒ほど絶句した後、美勇士さんに、
お祈りをしておくから代わりに話しかけてあげて
と、伝えたといいます。
また、周囲には、
(桑名正博さんが)危篤状態であるならば、手でも握って励ましたい
と語るなど、元夫を案じていたそうですが、
それでも、
息子には帰国するように頼まれているけれど、すぐに日本には帰れない
と、帰国はためらっていたそうで、
桑名正博さんが入院から104日間の闘病の末に亡くなった際にも、告別式には参列せず、
その代わり、美勇士さんを通じて、
桑名家の皆様のお気持ちを考えると、胸が締め付けられる思いです。そして、また一人マサヒロさんの様な素晴らしいミュージシャンが、こんなに早く逝ってしまう事も本当に残念な事
と、コメントしており、
アン・ルイスさんは、危篤状態の桑名正博さんに対して「手を握りたい」と思うほどの気持ちを持ちつつも、自分の存在が桑名家の人々にどのような影響を与えるかを考え、あえて身を引き、遠くから祈りを捧げるという形で、桑名正博さんと最後のお別れをしたのでした。
「アン・ルイスは息子・美勇士が子供の時にタトゥーやたばこを勧めていた!」に続く
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