1980年にミュージシャンの桑名正博さんと結婚するも、1984年に離婚すると、その後は再婚せず、現在も独身という、アン・ルイス(あん るいす)さんですが、桑名正博さんとの間には子供(息子)が1人誕生しているといいます。
今回は、アン・ルイスさんの子供(息子)についてご紹介します。

「アン・ルイスの前夫・桑名正博との馴れ初めは?離婚理由は?告別式も不参列?」からの続き
アン・ルイスの子供は一人息子の美勇士
アン・ルイスさんは、1981年5月8日、前夫・桑名正博さんとの間に、一人息子の美勇士(みゅうじ)さんを出産しています。
美勇士さんは、3歳の時に両親が離婚したことから、最初、お母さんのアン・ルイスさんに引き取られ、中学進学をきっかけに、お父さんの桑名正博さんの実家がある大阪へと移り住んだそうですが、
お母さん(アン・ルイスさん)とおばあちゃん(桑名正博さんの母親)が激しく対立する中、両親それぞれとの交流を持ち続け、両親をつなぐ役割を担っていたといいます。
そんな中、両親共にミュージシャンという環境で、自然と音楽を志すようになったそうで、
1988年、17歳の時には、お母さんのアン・ルイスさんとのデュエット曲「So in love with you」でデビューし、2000年には、「Over the View」でソロデビューも果たすと、
2008年には、バンド「トライポリズム」を結成してボーカル&ギターを担当し、2026年2月現在も活動中です。
また、音楽活動のかたわら、俳優としても、テレビドラマ、映画、ミュージカルに出演するなど、多方面で活動しています。
アン・ルイスは息子・美勇士に小5でタトゥー、中1でタバコを勧めていた
そんな美勇士さんは、2017年、トークバラエティ番組「胸いっぱいサミット!」に出演した際には、お母さんのアン・ルイスさんの驚くべきエピソードを明かしています。
まず、美勇士さんが小学5年生の時のこと、アン・ルイスさんは、ブラジル人のタトゥーイスト(入れ墨職人)と交際していたそうですが、彼氏ができて嬉しくなったのか、
あんたもタトゥー入れなよ
と、小学5年生の美勇士さんにタトゥーを入れることを勧めてきたといいます。
(ただ、美勇士さんは、「痛いのはイヤ」と言って断ったそうです)
さらには、美勇士さんが中学1年生(13歳)の時には、お父さんの桑名正博さんと暮らしている中、アン・ルイスさんから(アン・ルイスさんが自分で美勇士さんの名前を彫った)灰皿が届いたそうで、
あんたも中学生だし、ロック始めたんだからタバコぐらい吸いな
と、言われたのだそうです。
アン・ルイスは息子・美勇士の為にマハラジャを貸し切りウルトラマンとバルタン星人を呼んで盛大なパーティーを開いていた
その一方で、アン・ルイスさんは、美勇士さんの5歳の誕生日には、ウルトラマンが大好きだった美勇士さんのために、「マハラジャ」(バブル期に大人気だったディスコ)を貸し切り、
(コネを使って円谷プロに頼み込み)本物のウルトラマンとバルタン星人を呼んで盛大なパーティーを開いてくれたそうで、
美勇士さんは、お母さんとしてのアン・ルイスさんについて、
たとえばハロウィンとかクリスマスとか感謝祭とか、そういう時は必ず、僕のクラスメートに配るためのお菓子やプレゼントを用意するんです。
本人がそういうことが好きだったんでしょうし、見栄もあったのかもしれませんけど、こぶし大ぐらいの袋にお菓子をいっぱい詰めたものを20個、30個、1週間前ぐらいから夜な夜な手作りして・・・
インターナショナルスクールでも、そんな丁寧なことするお母さんはウチだけで、「さすがやな」と思ってました。だからって、けして良いお母さんではなかったです。お母さんだけど、やっぱりアン・ルイスなんです(笑)。
と、語っています。
アン・ルイスの息子・美勇士との関係は?
また、美勇士さんは、2013年のインタビューで、
もっと親孝行もしたいし、息子孝行もしてほしいなって思うんですけど、彼女は強気で「自分は一生、一人で生きてく」みたいなこと言ってますからね。僕としては、(心配だが)そっとしてます。
オヤジが亡くなった時に帰ってきてくれなかったことを息子としては実はまだ、許せてませんね。ロサンゼルスと日本なんだし、別れた夫婦なんだから無理だよな、ってひとりの人間としては理解できるんですけど。
ただ、アン・ルイスはやっぱりどこまでいってもアーティストなんですよ。
と、語っているほか、
別のインタビューでも、
(ロサンゼルスに)行けば会いますけど。でも、アンさんともそんなに仲いいわけじゃない
と、語っており、
お母さんのアン・ルイスさんとの関係がそれほどベタベタではないことを明かしています。
(美勇士さんは、アン・ルイスさんのことを心配しているのですが、アン・ルイスさんがあまりベタベタしたくない様子)
アン・ルイスには少なくとも孫が4人
ところで、美勇士さんには、2018年時点で、2011年に誕生した長女・音衣(ねい)さんをはじめ、長男の藍紅(あいく)さんら4人の子供が誕生しているそうで、
2018年11月には、アン・ルイスさんが、4年ぶりに日本に帰国し、1週間、美勇士さんが住む大阪に滞在して、孫たちとUSJを楽しんだそうですが、
美勇士さんは、
アンさんは孫の朝食にと手作りキンパ(韓国海苔巻き)片手に現れたんですが、『おばあちゃんとは呼ばせない。アンさんって呼んで!』って(苦笑)。
強がるけど孫には弱い。特に末っ子とは今回が初対面。『せっかくだから孫たちが楽しめるところで』とUSJを選んだのもアンさんです
去り際、ようやく懐いた孫たちが『さみしいよ』と。互いに名残り惜しそうでした
と、語っています。
さて、いかがでしたでしょうか。
アン・ルイスさんの、
- 【画像】アン・ルイスの生い立ちは?ハーフ?14歳でアイドル歌手デビュー!
- アン・ルイスのプロフィール
- アン・ルイスはハーフ?
- アン・ルイスは3歳頃から雑誌のモデルやフィルム会社のCMに出演していた
- アン・ルイスは14歳の時になかにし礼にスカウトされて「白い週末」でアイドル歌手デビュー
- アン・ルイスは15歳~17歳の時、アイドル歌手として「明日になったら」「ハッピー・ヨコハマ」「わかりません」「おぼえてますか」をリリースするも売上はパッとしなかった
- アン・ルイスは17歳の時に6thシングル「グッド・バイ・マイ・ラブ」が50万枚を売り上げる大ヒット
- アン・ルイスは18歳~20歳の時に「ハネムーン・イン・ハワイ」「フォー・シーズン」「恋のおもかげ」「ラスト・シーン」「ごめんなさい」「ラスト コンサート」をリリースするも売上はパッとしなかった
- 【画像】アン・ルイスの若い頃から現在までのヒット曲は?引退していた?
- アン・ルイスは21歳の時に松任谷由実に作詞作曲を依頼した「甘い予感」でアーティスト意識が目覚めていた
- アン・ルイスは22歳の時にアイドルから脱するべく加瀬邦彦に作詞作曲を依頼し「女はそれを我慢できない」をリリースしていた
- アン・ルイスは23歳の時に山下達郎プロデュースの「恋のブギ・ウギ・トレイン」をリリース
- アン・ルイスは24歳の時に竹内まりや作詞作曲の「リンダ」をリリース
- アン・ルイスは26歳の時に沢田研二作曲・山口百恵作詞の「ラ・セゾン」がオリコンチャート第3位となる大ヒット
- アン・ルイスは26歳の時に「NOBODY」作曲の「LUV-YA」をリリース
- アン・ルイスは27歳の時に柴山俊之作詞・大沢誉志幸作曲の「薔薇の奇蹟」をリリース
- アン・ルイスは27歳の時に「六本木心中」が大ヒット
- アン・ルイスは29歳の時に「あゝ無情」、33歳の時に「WOMAN」が大ヒット
- アン・ルイスは43歳の時にパニック障害により活動を休止していた
- アン・ルイスは49歳の時に「REBIRTH」で音楽活動を再開するもパニック障害の影響で人前で歌うことができなくなっていた
- アン・ルイスは56歳の時に引退していた
- アン・ルイスの前夫・桑名正博との馴れ初めは?離婚理由は?告別式も不参列?
- アン・ルイスの前夫・桑名正博との馴れ初めは?
- アン・ルイスは前夫・桑名正博から唐突にプロポーズされていた
- アン・ルイスは前夫・桑名正博と東京プリンスホテルで結婚披露宴を行っていた
- アン・ルイスは前夫・桑名正博と結婚に際し4つの約束を交わしていた
- アン・ルイスは相次いで不祥事を起こした桑名正博とは口論が絶えなかった
- アン・ルイスと桑名正博は復縁と破局を繰り返した末に離婚
- アン・ルイスと桑名正博の離婚理由は?
- 桑名正博の女性問題・大麻パーティーなどの不祥事
- 義母との確執
- アン・ルイスは桑名正博と離婚当初は長男の親権を取るも10年後には親権を桑名家に譲渡していた
- アン・ルイスが前夫・桑名正博の告別式に参列しなかった理由とは?
- アン・ルイスは息子・美勇士が子供の時にタトゥーやたばこを勧めていた!
- アン・ルイスの子供は一人息子の美勇士
- アン・ルイスは息子・美勇士に小5でタトゥー、中1でタバコを勧めていた
- アン・ルイスは息子・美勇士の為にマハラジャを貸し切りウルトラマンとバルタン星人を呼んで盛大なパーティーを開いていた
- アン・ルイスの息子・美勇士との関係は?
- アン・ルイスには少なくとも孫が4人
について、ご紹介しました。
14歳で清純派アイドルとして歌手デビューすると、17歳の時には、「グッド・バイ・マイ・ラブ」が50万枚を売り上げる大ヒットを記録し、
その後、松任谷由実さん、加瀬邦彦さん、山下達郎さん、竹内まりやさん、沢田研二さんらとのコラボレーションを経て、ロック路線へと転向すると、「六本木心中」「あゝ無情」「WOMAN」などがヒットし、日本の女性ロックシンガーの先駆者として独自の地位を確立したアン・ルイスさん。
現在は引退状態で寂しい限りですが、ご存じない方は、是非ともアン・ルイスさんの力強く情感あふれる歌声を聞いてほしいものです。
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1970年、14歳の時、作詞家のなかにし礼さんにスカウトされ、「白い週末」でアイドル歌手デビューすると、1974年、17歳の時には、「グッド・バイ・マイ・ラブ」が50万枚を売り上げる大ヒットを記録するも、その後は伸び悩ん …







