16歳でプロの歌手として活動を始めると、19歳の時には、ティン・パン・アレー(細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さん)のファーストアルバム「キャラメル・ママ」にセッションボーカリストとして参加するなど、サポートミュージシャンとしても活動し、

1978年4月、21歳の時には、ファーストアルバム「MILLION STARS」でレコードデビューをしている、桑名正博の妹でもある、桑名晴子(くわな はるこ)さん。

今回は、桑名晴子さんの、生い立ち(幼少期)、若い頃(デビュー)から現在までのアルバム・シングルほか経歴をご紹介します。

桑名晴子

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桑名晴子のプロフィール

桑名晴子さんは、1956年5月19日生まれ、
大阪府大阪市の出身、

ちなみに、「桑名晴子」は本名で、「HALKO」名義でも活動しているそうです。

桑名晴子の兄は桑名正博

そんな桑名晴子さんは、

お兄さんが、ミュージシャンの桑名正博さん、
甥(兄の息子)が、ミュージシャンの美勇士さんという、

音楽一族です。

桑名晴子は音楽好きな父親の影響で幼い頃から歌を歌うことが好きだった

桑名晴子さんは、江戸時代(1830年)から廻船(かいせん)問屋「桑文」(後に桑名興業に改称)を営む旧家で、2人きょうだい(兄1人)の長女として誕生したそうで、

幼い頃は、お手伝いさん2人に、書生、運転手もいる、700坪の豪邸で何不自由なく育ったそうです。

また、桑名晴子さんは、お父さんが音楽好きでステレオにこだわりを持っていたことから、幼い頃から良い音を聴いて育ったこともあり、歌を歌うことが好きだったそうで、

父は坂本スミ子さんやレイチャールスなどをよく聞いてました。今振り返ると、私も坂本スミ子さんの影響を受けたかなと思います。

と、語っています。

そんな桑名晴子さんは、11歳の時には、親類のお兄さんの影響を受け、見よう見まねでギターを弾きながら歌を歌うようになり、シンガーソングライターに憧れるようになると、

14歳の時には、初めて、「あこがれのSun Down」という曲を作詞作曲したそうで(この曲はデビューアルバム「MILLION STARS」に収められています)、16歳の時には、プロとして活動を始めたそうです。 

桑名晴子は19歳の時にセッションボーカリストとしてティン・パン・アレーの1stアルバム「キャラメル・ママ」に参加していた

そして、19歳の時には、ティン・パン・アレー(細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さん)のファーストアルバム「キャラメル・ママ」にセッションボーカリストとして参加するほか、

(年代は不明ですが)上田正樹さんのレコーディング、細野晴臣さんのライブにも参加し、

「テツ&ザ・グッド・タイムス・ロール・バンド」や兄・桑名正博さんのグループ「ゴーストタウン・ピープル」にもコーラスとして参加したそうです。

桑名晴子は21歳の時にファーストアルバム「MILLION STARS」でレコードデビュー

すると、ギターで作曲していたオリジナル曲がレコード会社に高く評価され、1978年4月、21歳の時には、ファーストアルバム「MILLION STARS(ミリオン・スターズ)」でレコードデビューを果たしているのですが、

実は、いざ、アルバム制作が始まると、会社側が”ヒット性”を優先した楽曲を次々と持ち込んできて、全11曲のうち桑名晴子さんが作曲したものは4曲(兄・桑名正博さんの曲を含めると6曲)のみだったそうで、「当初の話と違う」と強い違和感を抱いていたといいます。

(この「MILLION STARS」は、全曲アメリカで録音したそうで、A面はハワイで、「カラパナ」のメンバーだったマッキー・フェアリーさんプロデュース、B面はロサンゼルスで、「リトル・フィート」のビル・ペインさんプロデュースだったそうです)

それでも、桑名晴子さんが、「これだけは絶対に収録してほしい」と譲らずに押し通したのが、1曲目の「あこがれのSUNDOWN」だったそうですが、

兄妹で作詞し、桑名正博さんが作曲した「待ち合わせ」も、リリースから40年もの間、場所や時代を問わず多くのDJたちに支持され、クラブシーンの定番曲として愛され続けてきたそうで、

桑名晴子さんは、

ゴリ押しで入れてもらったオリジナルが、知らないところで延々と皆に聴いてもらっているのがうれしいし、レコード会社の人とケンカしながらも入れてもらって良かったなって。それが一番の、40年たっての感想です。やって良かったなっていう

と、語っています。

桑名晴子は51歳の時に「ピース・フレンドシップ」を立ち上げ教育支援などのボランティア活動も

また、桑名晴子さんは、音楽活動のかたわら、2007年には、何か社会に役立つことをアートを通じて活動していこうと、13人の仲間たちと「ピース・フレンドシップ」を立ち上げたそうで、

以降、教育支援などのボランティア活動などを行っているそうです。

桑名晴子は63歳の時に林立夫、佐藤克彦と共にトリオバンドを結成

そんな桑名晴子さんは、2019年、63歳の時には、林立夫さん(ドラム)、佐藤克彦さん(ギター)とトリオバンドを結成するなど、新たな音楽仲間とのセッションを楽しんでいるそうですが、

近年、シティ・ポップが再評価されている流れで、同年には、デビュー40周年を記念して、デビューアルバム「Million Stars」のアナログ盤が復刻されると、その後も、過去の作品がアナログ盤やCDで再発売されており、

桑名晴子さんは、

(再評価が)生きてるうちで良かったかな。亡くなってから出ても。辞めてる人もいるしね。復刻盤を見られて良かった

と、喜びを語っています。

桑名晴子と林立夫と佐藤克彦
(左から)桑名晴子さん、林立夫さん、佐藤克彦さん。

桑名晴子の現在は?

ところで、桑名晴子さんは、1993年頃から兵庫県西宮市に移り住んでいるそうですが、現在も西宮市を拠点に全国的でのライブ活動を精力的に展開しているそうで、

桑名晴子さんは、

西宮は、ステキな場所やお店がたくさんあって大好きです。年間百ヵ所くらい、全国各地でライブをやりますが、それぞれの地域性があっておもしろいですよ。

例えば、博多でやると九州のあちこちから「ハルちゃんが来る」と、車を飛ばしてきてくれるんです。また、大阪でのライブには神戸の方々は来にくいようですが、神戸でのライブ等は大阪の人は来て下さいます。西宮の方々は、随分と前もってお知らせしておかないと来て頂きにくい(笑)

と、語っています。

桑名晴子のアルバム

それでは、最後に、桑名晴子さんのディスコグラフィーをご紹介しましょう。

アルバムでは、

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桑名晴子のシングル

シングルでは、

  • 1978年「もっとイマジネーション」
    「もっとイマジネーション」
    「もっとイマジネーション」
  • 1978年「さりげなく過ぎゆく時に」
    「さりげなく過ぎゆく時に」
    「さりげなく過ぎゆく時に」
  • 1978年「バニシング・ポイント」
    「バニシング・ポイント」
    「バニシング・ポイント」
  • 1979年「そして電話のベルは」
    「そして電話のベルは」
    「そして電話のベルは」
  • 1979年「Keyはふたりで」
    「Keyはふたりで」
    「Keyはふたりで」
  • 1982年「ムーンライト・サーファー」
    「ムーンライト・サーファー」
    「ムーンライト・サーファー」
  • 1983年「ムーンライト・サーファー(英語版)」
  • 1985年「時の異邦人(エトランゼ)」
    「時の異邦人(エトランゼ)」
    「時の異邦人(エトランゼ)」
  • 1986年「冒険のアリバイ」
    「冒険のアリバイ」
    「冒険のアリバイ」
  • 1994年「Mr.Blue Moon」
  • 1996年「月下美人」
  • 1996年「Girl Friend」
  • 2015年「You’re Young」※(再発売)
    桑名晴子
    「You’re Young」
  • 2016年「あこがれのSundown」※(再発売)
    「あこがれのSundown」
    「あこがれのSundown」
  • 2016年「Down Town」※(再発売)
    「Down Town」
    「Down Town」

などをリリースしています。

お読みいただきありがとうございました

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