米田哲也が阪急を選んだのは背番号18をくれたからだった! 野球 阪急ブレーブス、大阪(阪神)タイガースと二重契約するも、阪神に入団したつもりで、1956年1月10日から、甲子園球場で行われた阪神の合同自主トレに参加していた、米田哲也(よねだ てつや)さんですが、その後、井上登コミッシ […] 続きを読む
小山正明がMVPに選ばれなかった理由が酷すぎる! 野球 1962年には、27勝11敗、防御率1.66、47イニング連続無失点、270奪三振、13完封(セ・リーグ記録と)という素晴らしい成績で、阪神タイガースのリーグ優勝に大きく貢献した、小山正明(こやま まさあき)さんですが、 […] 続きを読む
吉田義男が3度目の阪神監督オファーを引き受けた理由とは? 野球 フランスから一時帰国していた、1996年10月2日深夜、阪神タイガース・三好一彦球団社長から電話を受け、翌日3日の午前5時半には自宅に訪問され、阪神監督要請を受けるも、一旦は固辞し、フランスに発ったという、吉田義男(よし […] 続きを読む
吉田義男が阪神(大阪)タイガース入団を決めた理由とは? 野球 物心ついた時からの大ファンだった阪神(大阪)タイガースから、大学1年生の時、スカウトされて舞い上がるも、半信半疑だったという、吉田義男(よしだ よしお)さんは、青木一三スカウトの2つの殺し文句で入団を決意したといいます。 続きを読む
吉田義男が牛若丸と言われた由来とは? 野球 1953年、立命館大学を中退して、大阪(阪神)タイガースに入団すると、1954年と1956年には盗塁王、1964年には179打席連続無三振記録を作るほか、遊撃手の守備では、小柄ながら俊敏で華麗な動きが牛若丸と讃えられ、ベ […] 続きを読む
広岡達朗が西武監督時代4年で優勝3回&日本一2回も突然辞任した理由とは? 野球 1982年、西武ライオンズを初のリーグ優勝&日本一に導くと、翌年の1983年には、宿敵・巨人を倒し、見事、2年連続日本一に輝いた、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、1984年には、主力の田淵幸一選手の体調悪化や、山崎 […] 続きを読む
杉下茂が215勝でも名球会に入っていない理由とは? 野球 1949年に中日ドラゴンズに入団すると、わずか11年で215勝をあげる活躍をするほか、日本プロ野球で初めてフォークボールを投げたことから、「フォークの神様」と称されている、杉下茂(すぎした しげる)さん。今回は、そんな杉 […] 続きを読む
中西太は阪神監督辞任を田中隆造オーナーの意向で取り消していた! 野球 1980年10月11日、阪神タイガースの監督を辞することを表明するも、10月14日、小津正次郎阪神球団社長との会談後は、態度を保留した、中西太(なかにし ふとし)さんは、10月16日、小津社長と2度目の会談後、監督続投が […] 続きを読む
田淵幸一が引退を考え出したのは花粉症がきっかけだった! 野球 1982年、1983年と、西武ライオンズの日本一に大きく貢献した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、1984年も、4月には、リーグトップの27打点を記録したそうですが(打率2割8分6厘、5本塁打)、2年前から症状が出始 […] 続きを読む
田淵幸一が阪神からトレードに出された理由とは? 野球 1968年に阪神タイガースに入団して以来、1978年までの10年間で、球団史上最多本塁打となる通算320本塁打を放ち、ミスタータイガースと呼ばれていたにもかかわらず、1978年には、まさかのトレードを通告された、田淵幸一 […] 続きを読む