吉田拓郎は小室等と泉谷しげると井上陽水でレコード会社を設立していた!
1975年4月、小室等さん、井上陽水さん、泉谷しげるさん、後藤由多加さんとともに、日本初となる、アーティスト主導のレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、今回は、それぞれの証言を交えながら、・・・
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1975年4月、小室等さん、井上陽水さん、泉谷しげるさん、後藤由多加さんとともに、日本初となる、アーティスト主導のレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、今回は、それぞれの証言を交えながら、・・・
1975年、森進一さんに提供した「襟裳岬」がミリオンセラーとなり、作曲家としても不動の地位を確立した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんは、同年には、日本初の、制作・営業・宣伝・販売などをアーティストが主導するレコード会社「フォーライフ・レコ・・・
依頼され、森進一さんのために制作した「襟裳岬」がミリオンセラーとなる大ヒットとなった、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、実は、この「襟裳岬」、当初はB面扱いだったといいます。
1973年には、女子大生の嘘の証言を信じた警察により、何の取り調べもなく、突然、逮捕されて8日間も留置所に勾留され、そのうえ、マスコミの激しいバッシングに遭い、一時は歌手活動停止にまで追い込まれた、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、翌・・・
1973年5月23日の朝、突然、「婦女暴行容疑」で逮捕され、留置所に勾留されるも、その後、相手の狂言(嘘)だったことが明らかとなり、不起訴となった、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、この誤逮捕のダメージは大きく、活動停止にまで追い込ま・・・
1972年、シングル「旅の宿」やアルバム「元気です。」が大ヒットを記録するほか、「たどりついたらいつも雨降り」や「地下鉄に乗って」など、ほかの歌手への提供曲もヒットするなど、一躍、売れっ子となった、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、そ・・・
1972年1月、3枚目のシングル「結婚しようよ」をリリースすると、大ヒットとなり、一躍、スターダムに駆け上った、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、従来のフォークファンからは、”裏切り者”扱いされ、激しい批判を浴・・・
大学卒業後は、「エレックレコード」と契約するも、アーティスト契約ではなく、月給制の契約社員という扱いだったうえ、ソロデビュー曲「イメージの詩」が、発売前に滅茶苦茶なアレンジで、吉田さんに無断で販売されるなど、散々だった、吉田拓郎(よしだ た・・・
インディーズレーベル「エレックレコード」の専務・浅沼勇さんに見初められると、次々とソノシート(塩化ビニールなどで作られた薄手のやわらかいレコード)が売り出された、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、決して、何もかもが順風満帆という訳では・・・
1969年、大学5年目(1年休学しているため)の時、就職が決まるも、「広島フォーク村」名義のアルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」の自主制作に参加し、レコードを手売りしていた、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんは、やがて、・・・
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