1969年、テレビドラマ「柔道一直線」で主人公の鬼師匠役を熱演し、お茶の間に強いインパクトを残された、高松英郎(たかまつ ひでお)さん。以降、テレビドラマや映画で、極悪人や厳格な父親役を数多く演じられています。

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年齢は?出身は?本名は?

高松さんは、1929年10月24日生まれ、
高知県長岡郡大篠村(現・南国市)のご出身、
(3歳の時に東京都杉並区に移住)

学歴は、
旧制早稲田中学校卒業、

ちなみに、本名は、
武市哲郎(たけいち てつお)です。

俳優デビューは?

高松さんは、中学生の時にはパイロットを志しますが、
太平洋戦争敗戦により断念すると、

1947年、中学校卒業後は、「鎌倉アカデミア演劇科」に入学し、
舞踏家・檜健次さんのもとで創作舞踊を学びます。

そして、1951年、「鎌倉アカデミア」の講師の推薦で、
大映東京撮影所に「第5期ニューフェイス」として入社されると、
1953年には、「怒れ三平」で若尾文子さんの恋人役で映画デビュー。


「怒れ三平」より。高松さんと若尾文子さん。

その後も、

1954年「月よりの使者」
1955年「薔薇いくたびか」
1957年「スタジオはてんやわんや」

に出演されると、1958年には、「巨人と玩具」で、
猛烈サラリーマン合田役を演じて注目を集め、


「巨人と玩具」より。(左から)川口浩さん、
高松さん、野添ひとみさん。

以降、太い眉、ぎょろりとした目という、いかつい風貌から、
悪役や敵役を演じられると、

1962年には、「黒の試走車」で、一癖も二癖もある自動車会社の部長役を、
「しとやかな獣」では、欲望丸出しの人間臭い役どころを演じ、
高い評価を受けておられます。


「黒の試走車」より。田宮二郎さんと高松さん。

また、1960年に「にごりえ」でテレビドラマデビューし、
1963年「黒の報告書」への出演を最後に、大映を退社して、
活動の場を舞台からテレビに移されると、

1969年には、テレビドラマ「柔道一直線」で、主人公の師匠で、
必殺技「地獄車」を編み出した「講道館の鬼車」車周作役を熱演。

顔をしかめて一切笑わない鬼師匠ぶりがお茶の間に強いインパクトを残し、
ドラマのヒットに貢献されています。


「柔道一直線」より。桜木健一さんと高松さん。

出演作品(テレビドラマ、映画)

それでは、ここで、
高松さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1960年「にごりえ」
1961年「七人の刑事」
1962年「砂の器」
1964年「共犯者」
1965年「乗っていたのは二十七人」
1966年「午後の微笑」


「共犯者」より。
(左から)高松さん、渡辺文雄さん、小林重四郎さん。

1967年「とぼけた奴ら」
1968年「ザ・ガードマン」第175話、第179話
1969年 NHK大河ドラマ「天と地と」
1970年「ゴールドアイ」
1971年「大忠臣蔵」
1972年 NHK朝の連続テレビ小説「藍より青く」


「ゴールドアイ」より。
(左から)若林豪さん、吉田輝雄さん、高松さん。

1973年「必殺仕置人」
1974年「白い滑走路」
1975年「雲のじゅうたん」
1976年 NHK朝の連続テレビ小説「刑事物語・星空に撃て!」
1977年「新選組始末記」
1978年 NHK銀河テレビ小説「幸福の設計」


「必殺仕置人」より。

1979年「不毛地帯」
1980年「将軍 SHOGUN」
1981年「いのち燃ゆ」
1982年「獄医立花登手控え」
1983年「特捜最前線」第334話
1984年「水戸黄門」第14話


「将軍 SHOGUN」より。

1985年「影の軍団IV」第16話
1986年「娘よ! 父は走る」
1987年「京都かるがも病院」
1988年「かけおち通り」
1989年「詩城の旅びと」

1990年「トップスチュワーデス物語」
1991年「女検事・霞夕子8」
1992年「TBS大型時代劇スペシャル『平清盛』」
1993年「ララバイ刑事’93」第11話
1994年「夏子の酒」


「女検事・霞夕子8」より。左時枝さんと高松さん。

1995年「寝たふりしてる男たち」
1996年「超光戦士シャンゼリオン」第37話
1998年「弁護士芸者のお座敷事件簿2」
1999年「風の行方」
2000年「妻たちの戦争」
2001年「スタアの恋」

2002年「リモート」第8話
2003年「屋形船の女1」
2004年「月下の棋士」
2005年「浅見光彦シリーズ20 崇徳伝説殺人事件」
2006年「地獄少女」
2007年「堀部安兵衛」

映画では、

1954年「月よりの使者」
1955年「薔薇いくたびか」
1957年「スタジオはてんやわんや」
1958年「巨人と玩具」
     「白鷺」
     「共犯者」


「スタジオはてんやわんや」より。高松さん(左)と船越英二さん。

1959年「四谷怪談」
1962年「黒の試走車」
1963年「黒の報告書」
     「しとやかな獣」
     「巨人 大隈重信」


「四谷怪談」より。高松さんと近藤美恵子さん。

1969年「密告 (たれこみ)」
1987年「ラストエンペラー」
1989年「226」
     「社葬」 
1996年「修羅がゆく2 戦争勃発」


「密告」より。高松さんと岡田英次さん。

1998年「大怪獣東京に現わる」
1999年「お墓がない!」
2001年「サトラレ」
2003年「黄泉がえり」
2004年「ロード88 出会い路、四国へ」

ほか、数多くの作品に出演されていますが、特に、極悪人や厳格な父親役を得意とし、
時代劇、現代劇を問わず、渋みのある男っぽい名脇役として存在感を示されています。

妻は?次女は元グラビアモデル!

そんな高松さんの気になるプライベートですが、

高松さんは、1962年、元モデルで、5歳年下の陽子さんと、
フジテレビの「テレビ結婚式」番組内で結婚式を挙げられており、

局持ちの挙式資金や、スポンサーから贈られた電化製品やせっけんなど、
すべての贈答品を恵まれない子どもたちのための施設に寄付されています。

ちなみに、結婚後は、2人の女の子が誕生。

長女は智子さんといい、1993年に結婚されているようですが、
それ以外の情報がないことから一般のお仕事をされているようです。

また、次女は、1980年代後半にグラビアモデルとして活動されていた、
武市幸子さんで、その後、結婚され、高橋幸子さんとなられたようですが、
現在は情報がないことから、芸能界を辞められているのかもしれません。


グラビアモデル時代の武市幸子さん。

交通事故?

ところで、高松さんを、
「交通事故」で多くの人が検索されているようです。

というのも、高松さんは、1997年9月5日、都内の交差点で、
9歳の男の子を車ではねて、重傷を負わせてしまっており、

都内での会見では、

全くの(自分の)不注意。将来ある子を傷つけてしまった。

と、涙ながらに陳謝されているのです。

その後、しばらくは自宅謹慎されていましたが、
翌年の1998年からは俳優業に復帰されています。

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死因は?

最後に、高松さんの死因ですが、

2007年2月25日、茨城県鹿嶋で、テレビドラマ「猪熊夫婦の駐在日誌4」
の収録が行われ、一段落ついたところで、高松さんが、

気分が悪いので1度家に帰りたい

とスタッフに言って、鹿嶋から高速バスで帰京されたそうで、

次女の幸子さんによると、深夜に帰宅して、そのまま就寝されたそうですが、
2月26日午前6時半頃、寝室で亡くなっているのを、幸子さんが発見。

発見した時にはすでに心配停止状態で、病院に搬送するも、
手遅れで、死因は「心筋梗塞」だったそうです。

(高松さんは、30年前から糖尿病を患って、自らインスリンを注射しており、
 晩年は飲み薬が手放せない状態だったそうですが、それ以外は、
 大きな病気はなかったそうです)

さて、いかがでしたでしょうか。

「糖尿病」であることを知らない人たちによると、
そんなことが信じられないほど仕事熱心だったという高松さんですが、

2000年に神奈川県に引っ越されると、そこで家族とともに暮らし、
仕事以外は家で過ごすことが好きだったそうで、

その家族の待つ家で最期を迎えられたのは、
とても幸せなことですね。

高松さんのご冥福をお祈り致します。

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