1958年に映画デビューして以来、数多くの映画で主演を務められた、佐久間良子(さくま よしこ)さんですが、書道においても、素晴らしい腕をお持ちのようです。今回は、佐久間さんと「書」の関係についてご紹介します。
幼い頃から字を書くことが好きだった
佐久間さんは、幼い頃から、字を書くことが好きで、学校から帰宅すると、新聞が真っ黒になるまで字を書いていたそうですが、その頃は、文字を書くというよりも、ただ、楽しんで書いていたそうです。
また、先生について練習したことはないものの、お母さんから、「手紙を書く時、人様を不快にさせる字を書いてはいけない」と教えられたこともあり、自然ときれいな字を書く練習ができたのだそうです。
書家に「日展」出展を勧められる
そして、その後、女優の仕事をするようになり、お世話になった方々にお礼状を書いておられたそうですが、ある時、偶然、ある書家の先生の目に留まり、
その先生に、
あなた今年の日展にお出ししなさい
と、言われたそうです。
(「日展」とは、「書」のほか、「日本画」「洋画」「彫刻」「工芸美術」と、5つの部門からなる総合美術展で、年齢・性別問わず、誰でも応募できる大規模な公募展。)
「夢」という書が「日展」で入選
とはいえ、当初、佐久間さんは、
書道家の最高峰と言われている日展に出すなんて、私なんかとてもじゃないですけどできないなぁ
と、思われたそうですが、思い切って挑戦してみようと決心を固めると、「夢」という字を書くことにしたそうです。
というのも、佐久間さんは、当時、子どもが生まれたばかりで、
どんな大人になるのかな。女優としての私の将来は……
などと、夢を膨らませていたからだそうで、
1975年、36歳の時、夏休みに軽井沢の別荘にこもり、子どもが寝静まった深夜に一心に和紙に向かい合って、1ヶ月ほどかけて800枚書き、その中から1枚選んで「日展」に出したところ、なんと、入選。
審査員をしていた、手島右郷さんから、
あなたの書には音楽的であり絵画的でもあり、そういった要素が詰まってる
と、評価されたそうで、
佐久間さんは、
(「日展」には)書のうまさだけでは、もちろん上手な方はたくさんいらっしゃいましたから。そういった方々の中でのそのお言葉は非常にうれしかったですね。
と、語っておられます。
(本職の書家でさえ、「日展」に入選するのは困難と言われています)
山の湧水で墨を2~3時間することも
ちなみに、佐久間さんによると、書の出来具合は、本当にその時その時によって異なり、朝起きてすぐにできることもあれば、逆に、何度も何度も紙を破ってもできない時もあるそうです。
また、時間がある時は、書を書くために1週間ほど山にこもり、さらには、富山県に隣接した白川郷で山の湧き水をくみ、その水で、2~3時間かけて墨をすることもあるそうで、山の湧水は、都会の水道水とは、乾きが全然違うため、都会で書いたものとは、作品の仕上がりが全然違うのだそうです。
そんな書に、佐久間さんは、
例えば私たちは舞台をしますでしょ。1カ月興行なら1カ月間毎日芝居をします。でも全く同じ芝居は毎日できないんですね。というのは、やはり芝居というのは、お相手もあることですし、その日の体調も左右します。
同じ芝居が二度とできないのと同じように、やはり書道も同じ作品は二度とできないんです。その場の息、空気により仕上がりも違ってくる。つまり両方とも一期一会なんですね。
と、すっかり魅せられているようです。
(佐久間さんは、女優業のみならず、書道においても、「毎日書道展」毎日賞受賞、「北陸書道院展」院展大賞受賞と、数々の賞を受賞されています)
さて、いかがでしたでしょうか。
佐久間さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 幼少期は裕福で何不自由なく育つ
- 疎開先で栄養失調に
- スカウトされて東映へ
- 「東映」に入社すると「俳優養成所」に
- 日本初の長編アニメ「白蛇伝」のヒロインのモデルに
- 次々と男性スターのヒロインに起用される
- 映画「母子草」での演技が評価される
- 投げやりだった?
- デビュー当時は超ハードスケジュールだった
- 「人生劇場 飛車角」では初の汚れ役
- 「五番町夕霧楼」で東映初の女性単独主演に抜擢
- 成人映画の主演も
- 「東映」に強い不信感を募らせるようになる
- 活動の場を映画からテレビ・舞台へと移す
- 三國連太郎の怪演に思わず悲鳴を上げる
- 三國連太郎からもらった手紙の内容とは?
- 鶴田浩二と不倫関係だった
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 「越後つついし親不知」はセックスシンボルと承知で出演していた
- 受賞・受章歴
- 平幹二朗と逃避行の末に結婚
- 男の子と女の子の双子に恵まれるも早々に仮面夫婦となっていた
- 芸能史に残る愛憎渦巻く離婚会見
- 「私の履歴書」で本当の離婚理由に言及
- 平幹二朗は同性愛者だった?
- 平幹二朗のコメント
- 平幹二朗とは離婚後も舞台「鹿鳴館」で共演
- 元夫・平幹二朗が急死
- 元夫・平幹二朗はテレビドラマ「カインとアベル」に出演中だった
- 佐久間良子が元夫・平幹二朗の急死にコメント
- 双子の息子は俳優の平岳大
- 平岳大が舞台「鹿鳴館」で父母との共演で俳優の道へ
- 佐久間良子は直前まで舞台「鹿鳴館」に息子・平岳大が出演することを知らなかった
- 息子の平岳大は平幹二朗と演技論を交わしていた
- 娘は佐久間良子の書道展に参加
- 幼い頃から字を書くことが好きだった
- 書家に「日展」出展を勧められる
- 「夢」という書が「日展」で入選
- 山の湧水で墨を2~3時間することも
について、まとめてみました。
当時、男性中心だった映画界で、主演女優として新たな道を切り開いて来られた佐久間さん。これからも、末永く女性の憧れの存在で有り続けてほしいものです。
「佐久間良子はデビュー前の高校時代から西武線のマドンナと有名だった!」