落語家の名人・5代目古今亭志ん生さんを祖父、そして、その長男・10代目金原亭馬生さんを父親に、落語家一家に誕生すると、その環境からか、日舞、三味線、長唄など、芸ごとに興味を持つようになり、芸の道を極めたいと女優を志すようになったという、池波志乃(いけなみ しの)さん。今回は、そんな池波さんの生い立ちからデビューまでをご紹介します。
落語界の名門出身
池波さんは、東京の下町に、落語家のお父さん・金原亭馬生さんのもと、3人姉妹の長女として誕生すると、一軒おいた隣に住むおじいちゃん・古今亭志ん生さんは、初孫である池波さんをとてもかわいがったそうで、朝食を一緒に食べようと、毎朝迎えに来るほどだったそうです。
4歳の頃の池波さん(左)と父・10代目金原亭馬生さん(右から2人目)、祖父・5代目古今亭志ん生さん(右端)。
15歳で高校を中退して女優の道へ
そんな池波さんは、小学生の頃は、将来、家庭科の先生になりたかったそうですが、中学生になると、日舞、三味線、長唄など、芸ごとに興味を持つようになり、芸の道を極めたいと女優を志すようになったそうで、15歳の夏、
高校を中退して俳優養成所に通いたい
と、両親に伝えると、
お父さんは、
自分で考えた結論なら、思うようにしなさい
と、女優になることを許してくれたそうです。
「俳優小劇場」の養成所で大竹まことや風間杜夫にかわいがられる
こうして、池波さんは、1970年、15歳の時、高校を中退し、「俳優小劇場」の養成所に聴講生として入所すると、翌年の1971年、16歳の時には研究生に。
そして、養成所では、大竹まことさんや風間杜夫さんらと知り合い、妹のようにかわいがってもらったそうで、1971年、大竹さんたちが養成所を辞めることになった際には、池波さんも一緒に辞めようとしたそうですが、大竹さんたちに、「お前は残れ」と説得され、池波さんは養成所に残ることに。
ただ、その後、「俳優小劇場」が解散したため、池波さんは、正式団員になれぬまま、1973年、18歳の時、時代劇で人気だった「新国劇」に入団されます。
付き人時代にスカウトされる
「新国劇」では、舞台で通行人の役として出演しつつ、先輩女優の付き人をしていた池波さんですが、付き人は普段から着物を着てテキパキ動くようにと言われていたそうで、
NHK大河ドラマ「国盗り物語」の収録の際、わざと目立つように髪型を中割れにしたうえで、しっかり着物を着込んでタスキをかけ、キュッと引き締まった格好でこまめに動き回っていると、
そんな池波さんの、出演者のような姿でテキパキ仕事をする姿がNHKスタッフの目に留まり、
来年の大河で探している役がある。個人的に受けてみるかい
と、スカウトされます。
(中割れとは、真ん中が分かれた日本髪のヘアスタイルのひとつで、男役をやる時にする髪型のこと)
NHK連続テレビ小説「鳩子の海」でデビュー
そこで、池波さんは、オーディションを受けると(プロデューサーが何人かいる場所に行き、本を読まされたそうです)、その後、「新国劇」のマネージャーから、
来年の朝ドラの「鳩子の海」で初音という役に決まったから
と、合格を伝えられたそうで、1974年、19歳の時、NHK連続テレビ小説「鳩子の海」でテレビドラマデビューを果たしたのでした。(合格を伝えられた時、とてもびっくりしたそうです)
NHK連続テレビ小説「鳩子の海」より。
こうして、付き人をしながら「鳩子の海」に出演した池波さんは、以降、妖艶で日本的、そのうえ、品の良さと色っぽさを兼ね備えたバイプレーヤーとして引っ張りだことなると、
1983年には、映画「丑三つの村」で、夫の出征中、独り寝をもてあました末に、村一番の秀才・犬丸継男(古尾谷雅人さん)を誘惑する千坂えり子役を大胆に演じ、その妖艶な演技が大きな話題となったのでした。
「丑三つの村」より。