ひょんな出会いからあれよあれよと奥田瑛二さんと結婚したという、安藤和津(あんどう かず)さんですが、結婚後の奥田さんのプレイボーイぶりは凄まじく、当初はかなりこたえたそうですが、お母さんの一言がきっかけでガラッと対応を変えて乗り越えたといいます。
「安藤和津は母親に促され奥田瑛二とスピード結婚していた!」からの続き
結婚後は奥田瑛二が引っ張りだこに
安藤さんは、奥田瑛二さんと結婚後は、それまでお母さんと一緒に住んでいたマンション内の、一番下のフロアにある1LDKの部屋を借りたそうですが、当時、安藤さんも奥田さんもほとんど仕事がなかったため、お互いの親に家賃を出してもらったそうです。
(半年経って自分たちで払えなければ、経済状況に見合ったところに引っ越すことが条件だったそうです)
すると、その後、ほぼ無職だった安藤さんと奥田さんに、突然、仕事が舞い込んでくるようになり、特に、奥田さんは、あれよあれよと引っ張りだこになったそうで、半年後には、自分たちで家賃を払えるようになったそうですが・・・
結婚後は奥田瑛二に散々浮気されるも考え方を180度変換していた
奥田さんには、一夜限りのものから長年続くものまでと、散々浮気され、ずっと女性関係が絶えなかったそうです。
そんなある日のこと、たまらず、安藤さんは、お母さんに愚痴ったそうですが、
お母さんからは、
いい男と結婚したんだからしょうがないよ。浮気が嫌なら、醜男と結婚すれば良かったんだよ
と、諭されたそうで、
以来、
モテ男と結婚できた自分は幸せ者
と、考え方を180度変えることで乗り越えることができたのだそうです。
奥田瑛二が1年に1日だけ良い人になることで離婚をとどまっていた
また、ある時には、奥田さんがお弁当に入れるプチトマトを捨てたことがあり、
安藤さんは、
子どもの明日のお弁当に赤いプチトマトがあるかないかってすごく大事なこと。「あんな冷蔵庫にあったゴミみたいなもの」って私に言ったの。
ゴミじゃなくて大事なお弁当の1つの彩りだったの、って明け方の4時半ぐらいまで大げんかになって
と、離婚寸前にまでなったことを語っているのですが、
女の意地、そして、奥田さんが1年365日中364日はダメ夫でも、1日だけとてつもなくいい人になることがあったそうで、離婚を思いとどまったのだそうです。
娘が誕生後は母親が面倒を見てくれていた
ちなみに、結婚してから3年ほど経った1982年3月に子供(安藤桃子さん)が誕生すると、部屋が手狭になって、お母さんの部屋に戻り、
その4年後の1986年2月に2人目の子供(安藤サクラさん)が誕生すると、また、同じマンション内の別の部屋に引っ越したそうですが、
同じマンションの違う階に暮らしていたお母さんは、率先して孫の世話をするなど、仕事で忙しい安藤さんに代わり、とてもよく面倒を見てくれたそうで、安藤さんは、すっかりお母さんに甘えていたそうです。
(その後も安藤さんは、管理人さんと仲良くなったことから、いい部屋が空くと教えてもらい、同じマンションの中で4~5回引っ越ししたそうで、違う間取りや景色が楽しめ、とても楽しかったそうです)
「安藤和津が母親の異変に気づいたのは腐った弁当だった!」に続く
若い頃の安藤&奥田ファミリー。